ポルシェ356
(2008年12月7日記載)
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往年の名スポーツカーの3回目は、ポルシェ356。さて、ポルシェの歴史もまだ触れていなかったので、同時にここで取り上げよう!
ポルシェと言えば、言うまでもなくポルシェ博士の話から始めねばならない。ワーゲン・ビートルやルノー4CVをはじめ、この車のコーナーで度々登場しているフェルディナント・ポルシェ博士だが、1875年9月3日に当時のオーストロ・ハンガリー帝国統治下のボヘミアの小さな町、マッフェルスドルフで生まれた。父は、金属細工職人。長男は早くになくなり、次男のフェルディナンドが父の仕事を手伝っていた。彼は、電気に興味を持ち、屋根裏部屋で独学で様々な実験を行なった。頑なな父ではあったが、彼を工業学校の夜間学部に通わせる事を許可し、最終的にはウィーンに出る事も許可した。
1894年にウィーンの電気会社に入社して、持ち前の努力ですぐに重要なポストに就いたが、6年後にはカロッツェリアのローナー社にチーフ・エンジニアとして引き抜かれた。ここで、彼が初めて設計したのが"ローナー・ポルシェ"と呼ばれる電気自動車。ホイールハブ内にモーターを組み込むと言う、現代にも通じる斬新なアイディアを採用した。その他、ガソリンエンジンにて発電すると言うハイブリッド自動車(!)などを設計し注目を集める。しかしローナーは小さな会社なので研究開発がはかどらず、1906年にオーストロ・ダイムラー社に技術部長として移籍し、高性能ガソリンエンジン車からトラクターまで手がけた。これらの実績によって、フェルディナンド・ポルシェは、ウィーン工科大学から"名誉博士号"を授与された。
しかし、高性能の小型車を作りたいポルシェは、他の重役と衝突してオーストロ・ダイムラーを去り、ダイムラー社(※後のダイムラー・ベンツ)に取締役技術部長として就任する。ここでも、彼は2リッターのレーシングカーを成功に導いた。しかしここでも1リッターの小型車にこだわる彼は、またまた重役と衝突して辞表を出す。
1928年に、ダイムラーを退社したポルシェは、いくつかの会社に招かれたが、ついに自らのデザイン事務所を開く決心をした。1930年、ドイツのシュツットガルト市にオフィスを構えた。メンバーは、オーストロ・ダイムラー時代のそうそうため技術者が揃い、また息子のフェリー・ポルシェも加わった。ポルシェ社は、1932年に"タイプ8"ヴァンダラー・カブリオレや"タイプ12"ツェンダップ国民車プロトタイプ、"タイプ32"NSU国民車プロトタイプの設計を次々に行なう。国民車プロトタイプは、ワーゲン・ビートルへと昇華されていくのは既にビートルでご紹介した通りである(→ビートルはこちらを参照)。
ちょうどこの頃、アウディをはじめドイツの自動車メーカー4社が合併したアウトウニオンは、ヒトラーの経済的支援を受けてドイツ製グランプリ・カーを走らせる計画を進めていた。ポルシェ社は、アウトウニオンのためにミッドシップレーシングマシーン"タイプ22"Pワーゲンを設計した。その際、ヒトラーと面識を持ったポルシェは、ヒトラーの提示した国民車構想に技術者として共鳴した。ポルシェが試作した国民車は、KdFと名付けられ販売される予定であったが、第二次世界大戦勃発により軍用車に切り替えられてしまった(※上述のようにKdFはビートルとして生産される事になる)。高性能の小型スポーツカーを作る計画は、ヒトラーに取り上げてもらえず、ポルシェの夢の実現は戦後を待たねばならなかった。
ポルシェのエンブレム
※ポルシェとフェラーリの跳ね馬のエンブレムは、共にシュツットガルト市の紋章をベースにしている。
ちなみにこのエンブレムは、1952年にフェリーの手によってデザインされたものである。
(→"フェラーリ"と"ポルシェ"の跳ね馬エンブレムに関する曰くについてはこちらを参照)
第二次大戦によって、ポルシェ社も壊滅的な打撃を受けていた。フェルディナンドは、ナチス・ドイツに協力したとみなされ、フランスに幽閉されてしまう(→その幽閉時のルノーとの関係はこちらを参照)。シュツットガルト市のポルシェ社の敷地も接収され、ポルシェの長男フェリー達は戦火を逃れて、南オーストリアにて軍用VWの修理等を細々と行なっていたが、イタリア・チシリア社の依頼によって、グランプリ・カー"タイプ360"を設計する。ミッドシップで4WDと言う画期的なこのマシーンは、財政難で舞台に上がる事はなかったが、フェリーらはその設計料をフェルディナンドの保釈金に充て、フェルディナンド・ポルシェは釈放され、フェリーらはフランスで父と再会した。
帰国した彼等は、既存モデルをベースにした2シーター・ライトウェイト・スポーツカーの開発に着手する。1947年6月、"タイプ356"のプロジェクトがスタートし、7月には一号車356.001の基本レイアウトが決定し、翌年2月にはシャシーが完成した。これほどスピーディに356の開発が進んだのは、ポルシェ博士らが設計したあの前述のVW(フォルクス・ワーゲン)と言う素晴らしい"素材"の存在があったからで、そのコンポーネンツのベース車両が既に手中にあったからである。356.001は、鋼管スペース・フレームに、40psにチューンした空冷水平対向4気筒のOHVエンジンを積み、主要パーツはVWの物を流用した。全長3,860mm、車重わずか600kgのボディを、135km/hまで引っ張った。
第一号車は、1948年3月に、フェリー・ポルシェの手によってテストが始められ、9月にはスイス人の手に売り渡された(※この車両はヒルクライムレースなどで活躍した後、ポルシェの一号車と言う事で1958年にポルシェ社が買い戻した。現在、同社の博物館に収められている)。
続く356.2/001は、より量販車に近づき、キャビン・スペースのユーティリティも考慮された。クーペのアルミボディは、一号車同様、空力特性を考慮したものにデザインされていた。最高速度は、140km/hにアップしている。このクルマの完成後、カタログを作成した。
前から見た356B(1600S)ロードスター(千代田区内市ヶ谷にて)
1949年3月、ジュネーブ・ショーにポルシェはブースを設けて、356の販売を本格的に開始した。しかし問題は山積みだった…ポルシェ社は製造屋ではなく設計事務所であり、本来の設計の仕事を抱えていた。また356のボディはハンドメイドだったので、生産に時間がかかった。オーストリアでの生産は僅かで、1948年は4台。1949年は25台、1950年も僅か18台が生産されるに留まった。
1949年、ポルシェ社は、接収されていたシュツットガルトの敷地の返還交渉を進めつつ、敷地向かいのロイター社を間借りしてドイツに戻った。シュツットガルト市の工場を再開させ、ロイター社に356のボディ生産を依頼した。こうした努力により生産生の低さを解消し、ロイター社に500台のボディを発注した。1950年4月、ドイツ製ポルシェ356の第一号車が、シュツットガルトの工場から送り出された。
横から見た356B(1600S)ロードスター(千代田区内市ヶ谷にて)
1949年9月、ポルシェはVW社と25年間にわたる重要な契約を取り交わした。この契約により、ポルシェはVWビートルのロイヤリティを受け取る事となっただけでなく、スポーツカー生産の主要なパーツの供給をVW社から受けられる事となった。これはたいへん大きなメリットだった。
シュツットガルト製356は、基本構成はそのままだったが、各部がリファインされて完成度が増した。ボディはアルミから鉄になった。ボディタイプは、クーペとカブリオレが用意された。1950年、シュツットガルト製356は、410台生産された。この年、9月3日にフェルディナンドは75歳の誕生日を迎え、それを祝して356クーペを贈られた。
しかし、フェルディナンドは長い幽閉生活で身体を蝕まれていて、翌1951年1月30日、その生涯を閉じた。
前方から見た356Bクーペ(千代田区内麹町界隈にて)
その後も、356は細かな改良が加えられていった。従来の1.1リッターエンジンに加え、1286ccエンジン(44ps)と、1488ccエンジン(60ps)も加えられた。この1.5リッター版の最高速度は、160km/hに達した。
さらに1952年には、新しいエンジンが2種類用意された。ソレックス製のキャブレターを装着したパワーのある70psのエンジンと、扱いやすさを重視した55psのエンジンである。前者は1500Sと呼ばれ、後者は"dame(淑女)"とニックネームが付けられた。
ウィンドウガラスは2分割から1ピースに変わり、バンパーの位置も変更され、ラゲッジルームも拡大し、ブレーキ性能も向上した。この年には、アメリカ輸出用の、アメリカ・ロードスターと呼ばれるモデルも生産された。
1953年には、ヨーロッパの1300ccクラスのカー・レース用に、60psの1300Sを追加した。ちなみに、この年からミツワ(※現在までのポルシェの輸入元)によって、日本にも356の輸入が開始された。
1954年にも、細かな改良が加えられている。そしてこの年には、356スピードスターがデビューした。翌1955年にも、細かな改良が施された。このように、ポルシェの356は絶えず手を加えられていった。
後方から見た356Bクーペ(千代田区内麹町界隈にて)
1955年10月、第二世代と位置付けられる356Aが生産開始された。クーペ、カブリオレ、スピードスターの3種類のボディが用意された。外観もかなり手が加えられ、あのエンブレムも付くようになった。機能面でも、当然様々な改良が施された。エンジンは、1.5リッター版が1.6リッター(60ps)へとアップした。パワー版の1600Sは、75psとなった。1957年も、1958年も、止む事無く改良が加えられていく。
1959年には、スピードスターがコンヴァーティブルDへと移行した。Dとは、ボディの制作を担当したコーチビルダーのドラウツの頭文字"D"である。356Aは1956年から1959年の間、毎年4千~6千台の生産台数で移行し、初期の356とは比較にならぬほど生産台数が増加した。
5年間に渡って作られた356Aの後を受け、1959年フランクフルトショーで、356Bが登場した。新しいボディを纏って登場した356Bは、人々の注目を集めた。全長4,010mm(全幅1670mm、全高1306mm)の新しいT-5ボディはより直線的になり、ヘッドライトとバンパーが高い位置に付けられた。バンパーも厚みのあるしっかりした形状となった。ブレーキ等の安全面も改良され、室内も改良された。エンジンは、旧来の2種類に加え更に90psを発揮する高性能エンジンを積んだ"スーパー90"も発売された。356シリーズには"カレラ・モデル"もあったが、気難しい性格で乗り手を選んだ。しかしスーパー90は扱い易さも備え、速度は185km/hにまで達した。
1961年には、カルマン社がカブリオレにハードトップを固定した"カルマン・ハードトップ・クーペ"を手がけた。一時中断したミツワのポルシェ輸入も、この年再開された。1962年には、T-5ボディが更にT-6ボディに変更された。356Bの生産は、1963年6月まで行なわれ、初年の1959年と最終年の1963年をのぞき、毎年7千~8千台ほどの356Bが生産された。
ポルシェ356クーペ(石川県・日本自動車博物館にて)
※この356、1963年製(この年はBとCの移行時期)だけれど、ホイール形状から判断すると"356B"なのかな?
そして1963年、356シリーズは最終モデルの356Cへと移行した。356Cは、356シリーズの中でも最高と言われる(…まあ最後発だからそうじゃなかったら困るけど)。基本的にT-6ボディを踏襲し、外見から356Bとの違いを見つけるのは難しい(※ホイールキャップ等一部が相違する)。
機能面では、従来のドラム式のブレーキがディスク・ブレーキにバージョン・アップした。エンジンは、75psと95psの1.6リッターエンジンで、前者は1600C、後者は1600SCと呼ばれる。カレラは、4カムシャフトの2リッター・エンジンなり、130psにパワーアップした。そのうち20台はアバルトの軽量なボディが用いられ、180psのエンジンが搭載された。
1964年には、ポルシェ社は、ポルシェのボディを製造を依頼していたロイター社を買収した。1965年からは、シリンダーが鋳鉄ライナーをアルミニウムで包んだ加工のシリンダーが用いられる(※これは356の後継車911に受け継がれる)。356Cは、1964年に1万台以上生産したのを含め、1965年生産終了まで1万4千台ほどを生産した。こうして、ポルシェ356シリーズの歴史はピリオドが打たれ、ポルシェのスポーツ・カーは911へと受け継がれていくのである。
以上、ポルシェの歴史と共に、ポルシェ356の歴史もざっと振り返ってみた。半世紀も前に生まれた356だが、356Bや356C等の後期型は、まだ街中で元気に走る姿を目にする事ができる。そして、未だに世界中の多くのエンスージアスト達に支持され、愛されているのである。
追記:2009年8月、お台場ヒストリーガレージにて、ポルシェ356(1954年タイプ)を見ました。
追記:2010年5月、地元の事務所の近くで、クールなポルシェ356を見ました。オバフェンがボリューミーでクール!
マイコレクションより"ポルシェ356A"
マイコレクションより"ポルシェ356カブリオレ"
マイコレクションより"ポルシェ356クーペ"
参考・引用文献
ポルシェ356 (デルプラド・カーコレクション)
メルセデスの魂 御堀 直嗣 著 (河出書房新社)
僕の好きな時代、僕の好きなクルマたち・3
いのうえ・こーいち著 (枻 文 庫) 他
他
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