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「ウェストミンスター会議」の翻訳に挑戦

第一部 背景と状況

・信条の歴史的意義


 過去二世紀の最も意味深い知的行動の一つは、歴史的考察の発展でしょう。人類の業績は単純に歴史ではありませんが、しかしそれらは歴史から成長して抜け出し、そして歴史に左右され、それら自身の歴史的背景から離れては理解できない、と言うことに気づいた時、人々は歴史的に考えます。この新しい歴史の感覚によって、歴史研究の新しい方法論が発展しました。洞察や批評のこの新しい方法論は、起こったと考えられている事柄と対照的な"実際に起こった事柄"を人々に発見させました。歴史的作業が完璧に達成できなくとも、これはすべての良き歴史の目標です。歴史家の技術における進歩は、19世紀の間にいっそう強まり大きく進歩し、故に歴史の調査の結果は、過去について沸き起こった着想を時折ひっくり返しました。しかし、例えば、歴史的考察や意識が成し遂げる事の最も重大な変更は、人間の業績が特異な歴史から成長して抜け出し、同時にその歴史によって限定されていると言う、新しい認識です。
 1644年から1647年の間に書かれたようなウェストミンスター信仰告白を、今日誰も書くことができないか、書く意志がないでしょう。もちろん、書かれたままの信仰告白を採用したり、意志の実行によりそれを今日繰り返すことは可能です。しかし、もしそれが書かれていなかったら、どのグループの人々も、当時書かれたのと同じようには、今日書くことはできかったでしょう。とは言うものの、これは17世紀の信仰告白が今の我々には意味が無い、と言うことを意味しません。現代の人は、もしその会議のメンバーであることを認められたなら、同じ問題に直面し、彼が入手できる同じ資料によって、会議が信仰告白において断言した事を彼もたくさん発言し、信仰告白を断言できたでしょう。その上、ウェストミンスター会議がその特殊な歴史的状況において言ったこと、彼が彼自身の立場に適するような方法で実質上断言しなければならないことを、彼はまた断言できるでしょう。それらは、歴史の中の不連続と同じぐらい連続性があります。ある世代から別の世代に単に繰り返すことが可能な永久の神学がないのなら、永久的な人間の問題があります。そしてまた、神の真理の人の理解がいつも歴史的に左右されるにも関わらず、神自身は人類の不公平と断片的な視野によっては縛られていないと言うことを、キリスト教徒は信じています。
 ウェストミンスター信仰告白が、17世紀の特定の歴史的状況から成長して出てきたのと同じことを我々に認識させるのと同様の歴史的自覚が、また我々の現代の神学的業績と洞察が、我々自身の特定の時代によって左右させられる、と言うことを我々に認識させます。ウェストミンスター信仰告白が、歴史的であり人類の業績であると言う事実は、同じ歴史的意識が我々自身の世代の仮定の批評を我々にさせると言う理由で、その価値を減らしはしません。過去の業績は、彼らが彼等の仕事について行ったように、今日の神学者が本気で取り組めるように、道しるべとなりまた正します。歴史的業績と同様、ウェストミンスター信仰告白は、完璧でも不良品でもありません。それは、17世紀における改革派共同体の注目に値する神学的業績として認められ、今日の神学作業のために与えられた案内標識として感謝して受け入れられるべきでしょう。
 神学事業の歴史的性格は、たいへんじれったいものです。確実性と永続性に対する人類の要求があります。人々は、すべての信条に取って代わる、不変かつ確実な信条を求めます。改革派共同体でさえ、どの信条が教会の生活において独占的な地位に上がれるかと言う考えを、常に拒絶していました。確かにいくつかの信条が他の物より優れているけれども、多様な信条の確かな事実は、すべての信条の性格を限定し定型にすることを如実に物語っています。1925年に長老派教会の同盟において、改革派信条の普遍性に対する運動が起こった時、カール・バルトはすべての神学、とりわけ改革派信条の歴史的性格を、徹底的に指摘しました。「改革派信条は、(※訳者注:原文はここからイタリック体)地域的に限定された範囲のキリスト教徒の共同体によって、自然発生的そして公式に示された声明書です。それは、一方の働きで、異端の特徴を定義し、一方の働きで、それ自身の教義と生命のための案内を与えるものです。ただ唯一聖書によってのみ証言されるイエス・キリストの啓示によって、全てのキリスト教会に、現代に与えられた洞察の公式文です。」。
 神学は、未来のためでなくこの時代のために、永遠のためにではなく今日のために書かれたと言うバルトの説得は、確かに信条的事業には適切です。この事実は、改革者達によって、はっきりと十分に理解されました。ブーリンガーとジュドが、最初のスイス(※訳者注:原文Helvetic。Helvetiaはスイスのラテン名)信仰告白に署名した時、彼らはこう論評しています。「単一の信仰の基準を箇条書きにすることによって、全ての教会を決して規定してしまわないことを、我々は望みます。何故なら聖書以上の信仰の基準は他に無いと言う事を、我々は知っているからです。誰もがこのことを同意するように、我々はこれに同意します。けれども、人は我々の信仰告白から異なった表現を使います。事実それ自身のためと真実のために我々は注意を払うのであって、言葉のためではありません。我々は、各自の教会に合うように彼自身の表現を使う自由を全ての人に認めます。そして、これを使うことによって我々自身が自由になり、同時に歪みに対する信仰告白の本当の意味を擁護します」。ブーリンガーとジュドは、しかしながら特定の時代と場所においてキリスト教信仰を名言するのに、信条は有用ではあるが不完全で限定的な試みであることを認めています。
 実際の慣例において、改革派教会は重要な事が起こった時には、いつでも信仰告白を書いています。ウェストミンスターに先立つ125年の間に、改革派主義共同体によって、大いに重要な50以上の信条的な声明書が公式に表されています。これは信条の急増が、必要だったからではありません。改革派の教会員達は、時折りスコットランドにおけるようなたいへん緊張した状勢において存在する信条が通用する時でさえ、新しい信条を書くことを熟考して選択しました。彼らは、特定の時代と場所において彼らが知っているのと同じその信仰を告白しました。彼らは、教会の絶えざる神学としてもしくは永久の神学として、どれか一つの信条の地位を高めることを拒絶しました。彼らは、信仰の全ての声明書が人の罪と有限性によってたいへん歴史的であること、限定的であること、を理解していました。
 ルーテル教会の状況は、違っていました。彼らは、8年の間に一つの地理内に住んでいた、マルティン・ルターとフィリップ・メランヒトンと言う二人の人物により、一致した式文の他に書かれた信条文章を持っていました。ルター派の信仰告白の立場の神学を語ることは可能ですが、しかし改革派の神学を語るために一つのものとして認めるには、改革派の信仰告白はあまりに多様でした。それで、ルター派の信条の立場を欲する改革派のキリスト教徒が、現代と同様に当時も存在したのです。1581年においてさえ、ルター派の信条的単一性が一致した聖書の新しい採択によって印象付けられた時に、改革派の共同体は存在する信仰告白の調和で一応満足し、一つの信条を採択することを拒絶したのです。信条に関するこの初期の立場は、神学的な方法と用語の増加する規格化と、信仰を純化しかつ信仰を保持・保護する事の正当性を増加する重要性によって、17世紀に失われ始めました。ウェストミンスター会議の作業の後、その工程は信仰告白と教理問答の本質により強められました。その信仰告白は、すぐに英語圏のカルヴァン派教会において規範的な神学、威厳のあるものとなっていきました。
 信仰告白と教理問答の様式と性格は、それらの歴史的性格をあいまいにします。それらは、"ローマカトリック教徒"の精力的な告発や、偉いとか下等とか平等とか言った人類の区分などの、歴史の具体的な事実に関するいくつかの参考事項を含んでいます。ほとんどの部分で、信仰告白の言葉は、論理的・専門的・抽象的です。歴史的性格と、聖書と多くの改革派信条の言葉は、熟考して退けられました。正確を期すために神学は、歴史や体験から可能な限り離れるように抽象的にされています。それ故に、信仰告白と教理問答の様式は、すべての歴史的事業のあいまいさと関連性からこの神学を免させようと読者を誘惑します。全ての時代と場所で等しく十分である永久的な神学であるように、多くが完結されました。
 しかしながら、より最近の調査は、抽象的な様式と論理的な正確さが、歴史における信仰告白の位置に背いていることを明らかにします。会議の委員達は、多くのたいへん意味深い科学的、哲学的そして政治的出来事から孤立して彼等の作業を進めたのですけれども、彼等の様式はその年代を同定します。信仰告白と教理問答と時代を誰もが知っているけれども、特に絶頂期であった年代は、相対的な正確さで文書の年代を特定します。この理由によって、歴史的要因のいくつかが、信仰告白と教理問答の執筆におけるより大きな重要性であったと指摘することは重要です。
 ウェストミンスター信仰告白の歴史的な研究が、二つの方法において現代に有益に貢献します。まず初めに、歴史的研究は、信仰告白が実際に何を言っているのかを、現代の読者に理解させることができ、中傷や誤解を消し去ります。信仰告白のすべての研究者達は、アレックス・F・ミッチェルのような学者の恩恵を受けています。彼は信仰告白の研究を、会議の審議を研究する人のために、唯一可能となるような方法で読者達に開放しました。ミッチェルは、特に信仰告白が改革派信仰の極端な立場を表していなかったことを、指摘することを願っていました。信仰告白の執筆者達が、実際の創作に週に6日、一日に24時間を費やす必要はなかったこと、信仰告白は限定的な償いを教える必要はなかったこと、もしくは幼少期において死んだ多少の子供達についてはひどかったこと、信仰告白は福音を聴く事のなかった人々に対しては、今思われているような拒否的ではなかったこと、を彼は論じています。ミッチェルの研究は、19世紀における当時の人々が信仰告白を持つことによるいくつかの問題を解決しました。
 1640年代に生きる人々の文化が19世紀後半の三分の一世紀を生きる人々より問題が少なかったのと同様、20世紀後半の三分の一世紀を生きる人々にとって、今日、問題はより深くなっています。ウェストミンスター信仰告白を持つ現代の読者の問題は、信仰告白内に特殊な箇条があることではなくて、完全な信仰告白の文化的な視野と表現形式があると言うことです。ウェストミンスター信仰告白が、実際に今日の信仰の重要な声明書になりうる唯一の方法は、歴史的な性質を理解することを通してです。信仰告白が、その特殊な状況における信仰の重要な声明書であると理解された時、特有な問題、疑問、難題を持つ現代文化において信仰を明確にする手がかりや案内書になるのです。歴史的な研究は、信仰告白が言っていることを理解することばかりでなく、信仰告白が言っていることが、歴史におけるその特殊な場所によっていかに条件づけられ、形作られ、引き出されたかを確定するのに役立つ研究の供給をしなければなりません。


(2003年 7月27日記載)