クリスチャンのための哲学講座
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(哲学番外編:読後の簡易な感想のみ)
21.唯物史観と科学的社会主義/カール・マルクス
(本・家の中で「資本論」を捜査中・・・どこに行った?)
大学時代は経済学部だったので、アダム・スミスやカール・マルクスといった古典は一度は通過する必要があり、アダムスミスの「国富論」やカール・マルクスの「資本論」は嫌でも目を通さざるを得なかった。特にマルクスは、経済と言う分野を超えて思想・哲学全般で後の世に大きな影響を与えた人物なのだが、私自身はマルクスには特段思い入れは無い(笑)。
マルクスは、1818年生まれの哲学者であり、思想家であり、経済学者。そして、革命家であった。20世紀以降の世界は、民主主義・資本主義国家と共産主義(社会主義)国家の二つに別れて争うことになるので・・・冷戦時代も世界各地で多数の戦争や内線が起こり大勢の死者を出す・・・そう言った意味で、歴史上、最も世界に影響を与えた哲学者、思想家、経済学者と言えるかもしれない。
彼の人生を振り返ると長くなるので、ばっさり割愛して短く記述するに留める。彼の「社会主義思想」の後、20世紀に入って雨後の筍の如くあちこちに出現した「社会主義国家(共産主義国家)」についても、以前、経済のコーナーで超簡潔に取り上げているので、ここではカットする(→社会主義と計画経済について)。
彼の科学的社会主義の根幹を成す事となる「唯物論(唯物史観)」だが、ベルリン大学時代にキリスト教批判や無神論の影響を受けてそちらの方向へ傾いていく(※まだ社会主義者ではなく民主主義者だった)。その後、ヘーゲル批判へと向かい、人間を神(=絶対者)に置き換える人間主義に至るのである。そこから、人間こそが国家の根幹をなす主体であると結論する。そして彼の民主主義は、共産主義へと変わっていく。これも長くなるので途中を省くが、冒頭に掲げたアダム・スミスなどの古典経済学を批判する側になり、社会主義者達の学説に傾倒していく。そして、自然社会と同じく人間社会にも客観的な法則が在り、生産の発展に応じて生産者と労働者の関係(※生産関係)が移り変わって行くと言う「唯物史観」へと至る。「宗教も哲学も道徳も、生産と関連する人間関係から生まれた」と結論付ける。(唯物史観=無神論。共産主義国家が、宗教や各個人の思想を許容しない、宗教や思想を弾圧する根源的思想・哲学がここにある)。
資本家は労働力を搾取することで資本を増やし、賃金労働者は資本に隷属していると述べる。だから、労働者(プロレタリア)が共産主義革命で搾取する資本家(ブルジョア)を打倒すべしとの、「プロレタリア革命」の必然性をマルクスは述べる。
その後のマルクスの人生は、闘争やら追放やら極貧やら激動期を過ごし、あの世界中で読まれることとなる、共産主義者のバイブルのような「資本論」を書き上げることとなる。その後も闘争などの激動の人生を過ごし、1883年に没する。
彼の、「唯物史観」そして「共産主義思想」を短く強引にまとめると、こんな感じである。マルクスね、煽りに煽って、後の世界を大混乱と殺戮に招いたけど、今、どの共産主義(社会主義)国家の経済も衰退し、その多くが消えて無くなった。現在残っている共産主義国家も、思想・信教の自由を認めない全体主義の恐怖政治の国がほとんどである。そもそもマルクスは、労働者に希望をちらつかせはしたけれど、解答は出していなかったからね。後の世の人が、マルクスの教科書を頼りに、大社会実験的に「あれもやって」「これもやった」けど、今までの存在した国家と同様、国家の支配階級ができて、彼らが贅沢三昧な生活をして、国民は苦しみ、ある国はほぼマフィアの支配下と化し、政治も経済もよりひどく腐敗したからね。カール・マルクスが、今の世界を見たらどう思うだろう。「いや、こんなはずじゃなかったんです」と言っても遅いぜ~、マルクスさんよ。
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