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政治について考える

6(番外編).日本の政治が抱える問題点       (2010年12月12日記載)

 前回まで、"政治とは何ぞや?"と言う根本原理について、私なりに簡潔に述べてきました。今回は番外編として、この"日本"の政治が抱える問題の核心点を「政治の根本原理」と照らし合わせながら、私なりに簡潔に述べてみたいと思います。

 日本の政治は、現在(と言うか以前からですが)混迷しています。その問題点は何なのでしょうか?理念が無い点でしょうか?リーダーシップの欠如でしょうか?日本的な"事なかれ主義"が原因でしょうか?これらを全部ひっくるめて言い換えれば、優柔不断なDNAを持つ人が多い国民性が原因でしょうか?それらも要因かもしれませんが、私なりの観点で述べさせていただきます。
 自民党(小泉政権)は"郵政改革"をメインのスローガンに勝利し、民主党は"官僚主導から政治主導"や"国民の生活優先"のマニフェストで勝利し、先日の選挙ではやはり"脱官僚"をアジェンダで訴えるみんなの党が大きく議席数を伸ばしました。この結果を、政策の大まかな分類たる"政府の大きさ"で見ると「小さな政府志向→大きな政府志向→小さな政府志向」を行ったり来たりと揺れ動いているように見えます。マスコミは、これを政治的理念を持たない浮動層の気まぐれ人気投票のように書き立てますが、実際には論点が少し間違っていると思います。
 この論点に触れる前に、まず"小さな政府"と"大きな政府"の違いを明確にしておきましょう。
 
小さな政府とは、政府や行政の介入を極力なくして規制などをなるべく少なくして、自由競争の社会にしましょうと言う考え方です。自由に活動をしてもらう代わりに、政府の財政規模は小さいから、年金や医療などの社会補償などはしませんよ、もしくは少ないですよ、と言う政策です。この方式だと、事業で成功して金持ちになった人は良いですが、セーフティネットが無いので、成功しなかった人々の生活はたいへん苦しくなります。この社会の典型がアメリカで、一部の持てる者とその他大勢の持たざる者の二極分化の格差社会になっています。
 一方、
大きな政府とは、老後の年金、福祉、セーフティネット、教育などについて国が全面的にバックアップしますけれど、その代り、税金は高くするし、規制も色々としますよ、と言う政策です。そのような政策を取っているのは、北欧の国や欧州の一部の国々です。
 日本はどうかと言うと、たいへん中途半端です。中途半端ですが、格差社会は確実にアメリカのようになりつつあり、貧富の差が日に日に大きくなっています。
 先述の選挙結果のように、傾向として、"小さな政府→大きな政府→小さな政府"のように選挙民の選択が揺れ動いて見えるのは何故でしょう?おそらく選挙民は、「"大きな政府"か"小さな政府"を選択する」と言う思考・論理では一票を投じていないと思うのです。私はシンクタンクやマスコミの人間ではないのでアンケート調査などしていませんが(※アンケートや統計もかなり怪しいですが別の問題なので省きます)、一連の選挙民の投票の背景には、「小泉さんが、"郵政改革(行政改革)"してくれるって言った」→「小泉さんで日本の生活がひどくなっちゃった。でも、民主党がマニフェストで、4,400もある天下り法人をなくしたり予算削減したり、官僚機構にメスを入れてくれるって約束した」→「民主党は改革できず官僚の言いなりになっちゃったようだけど、みんなの党はがんばって官僚と闘ってくれると言っている」…おそらくこう言う官僚(ないし政治家)に対する不信感とその払拭を願っていた点が、最も大きいのではないかと思います。
 何故、このような大きな官僚や政治家に対する不信があるのでしょうか。簡単に図示すると次の様になると思います。

省庁(官僚) 天下り法人 政策(※資金)の必要な人々や団体

 政治家の努めは、国民の安全と福祉のために(=幸せのために)法律を作ることです。法律を作ることは、すなわち税金の使い方を決める事であり、具体的には集めた税金を分配することに他なりません。で、その法律を実行する行政側は(省庁は)、法律ができるたびに法人を作り、そこへ多額の報酬を伴う天下りを行ってきました。"母屋でお粥を食べて、離れですき焼きを食べる"と言われる所以です。その法人の数が、積もりに積もって約4400団体!…日本の市町村数全部を合わせたよりもずっと多いのです
 この中間に存在する天下り法人達が曲者です。"架空の例"で解説するとこのような感じです。
①経済不況が酷くて失業者が増大した。
②政府は失業者支援の政策として、再就職のための多額の教育資金や、当面の生活資金を提供したいと考えた。
③しかし当該担当省庁は、失業者にお金を渡す政策ではなく、労働者のための教育センターを作る法案を提示した。
④その法案は政府の手で国会を通過し、当該教育センター造りに多額の資金が投入された。
⑤実際に使われた予算の大半は、建物の建築費用とその維持費と天下り役人への報酬であった。
これを図で示すと次のようになります(※あくまで"架空の例"ですよ)。

政府が政策のために組んだ予算
100%
天下り法人が使った予算
80%
必要な人々に届いた額
20%

と、こう言うことです。これでは、政府が多額の予算を組んだとしても、人々は予算の恩恵を受けた実感がほとんど無いは当然でしょう。例えば、研究機関で研究資金を必要としているのに、末端に届くのが僅かな資金だったら研究者だってやりきれないでしょう。そう言うことがあちこちで起こっている訳です。かつての社保庁で、年金を自分達の金のようにジャブジャブと使えると勘違いしていたのは、このような例の典型です。国民から集めた年金は、全部受給者のために使われるべきものなのに、自分たちのために色んな設備を買って良いのだ…勘違いも甚だしい、とんでもない不正です。
 本来は、下記のような図式に限りなく近くなければならないでしょう。

政府が政策のために組んだ予算
100%
政策(※資金)の必要な人々や団体に届く額
100%

 日本人の政治や官僚に対する不信感の根底は、正にこれなのです。自由競争主義の小さな政府が良いか、大きな政府が良いか(※増税が伴う)、かと言う議論に入る以前に、「どうせおまえら官僚は、税収が増えたら、なんやかんや難しい論理と巧みな言葉で法律作って、途中で税金を吸い取る気なんだろう!」と言う
"深~い不信感"が存在するのです。実際のところ、予算のどれだけが、不正ないし不公正に使われているのか、マスコミや学者ですら全体を把握している人はほとんどいないと思います(もちろん私にも分かりません)。政権が代わって色んなものが白日の下に晒されるかと思いましたが、政権の最も間近の官房機密費の内容すら明らかにされませんでした。これで国民に信頼せよと言うのは無理な相談でしょう、絶対に…。
 そしてこの不信は、お金に限ったことではありません。予算と裏表の関係にある問題ですが、法律による様々な規制の問題も同様な事が言えます。市場主義経済は、基本的に競争原理による自由主義です。しかし、自由主義が行き過ぎると、それは野放図になり過ぎて種々の弊害を生むのも事実で、一定の歯止めの規制が必要となります。そうでないと、(経済のページでも見たのですが)原価を度外視した、どの事業者も得しないサバイバルなデフレスパイラルが起こったり、同様の原因で不必要となった労働者が簡単に切り捨てられて大量の失業者が発生して、結果として、経済の悪化、自殺者の増大、犯罪の増大など、社会の秩序や安全が悪化します。今、正に日本はこの最悪の状況に陥りつつあります。徹底した自由主義か、それとも一定の規制を儲けるべきか、この間の熾烈な闘いがあるわけです。
 僕自身は、自由主義をベースとして、労働者保護や商ルールの策定などのある一定の規制(=法律の制定)が必要と考えていますが、しかし過去の官僚の法案作成(※3権分立の下では法の作成は政治家の務めですが、法案の"実質的な"作成者は官僚と考えられるので敢えてこう書かせていただいています)や実際の政策を顧みると、官僚に任せるのは不安です。前述のように、国民のためになるような言葉の表現を巧みに使いながら、実質は"官僚の責任回避"ならびに"天下り先の創出"のような官僚の利益となるような政策を、長年積み重ねてきたからです。超低リスク&ハイリターンなのです。"美味しい所"はしっかり確保して、"責任が発生する部分"は民間の業者や人々に押し付けるのです。そう言う訳で、規制はある程度必要だけれど、これを官僚が政策として行うことに対しては国民にとって大きな不信があるのです。

 さて、これらの話を"政治の根本原理"と照らし合わせます。くどいですが、政治社会が存在するのは、そこで暮らす人民が、互いに安全に幸せに暮らすためです。日本とて、もちろん例外ではありません。日本人が、この日本で、安全に幸せに暮らしたいからこそ、国民によって選ばれた議員によって構成される議会、そして政府が存在するのです。失業者が増大し(※失業だけでなく就職できない学生も増大しています)、鬱々とした表情の人々が増え(※鬱症状の人々の数が増えています)、毎年多くの自殺者がでる社会(※この12年間連続で毎年3万人以上の人々が自らの命を絶っています)は、政治社会が存在する根本原理に大きく反しています。政治社会は、幸せの実現のためにあるはずなのです。
 "自由に競争できる社会のために小さな政府"を望むのか、それとも"税金の負担は重いが安心できる社会のために大きな政府"を望むのか、そろそろ日本国民も曖昧にしていないので決断すべき時にきています。待ったなしの状況です。ところが、それを決断する以前の"政治家への信頼"ならびに"官僚への信頼"が失われているのです。信頼が全く欠如しているから、増税の話を胡散臭く感じているのです。予算規模が膨む…つまり歳出が増大すると言うことは、官僚の権限が一層増大し、陰に日向に官僚自身の利益も増すと言うことです。
「税金を増やしても、結局、官僚や取り巻き企業など一部の連中が良い思いをするだけなんじゃないの?」と、国民は気づいているのです。

 私自身は日本人の信条と風土、歴史に照らし合わせて、アメリカンドリームを目指すアメリカ型社会はそぐわないと思っています。自由競争がいけないとか、成功者を羨むと言うことではなくて、セーフティネットや安心して暮らせる社会のシステムがそこにないからです。実際、当のアメリカですら富を握っているのは僅かな人々だけで、その他のアメリカ国民は貧しいのです。まともな医療や教育を受けられない人々が、数多くいるのです。日本は、そう言う社会に間違いなく近づいています。まず小泉政権下で、間違いなくその方向へ一歩踏み出しました。僕らの子供の頃のように、みんなが中流家庭意識で(※実際は今よりずっと貧しく不自由な生活だったのですが)将来が明るかった時代は、すでに過去のものになってしまいました。今は若者が就職すら難しいのです。
 敢えて繰り返して書きますが、日本がどう言う社会を築くかの議論に入る前に、まず政治家と官僚への信頼回復が必要です。とても"消費税増税"の話ができる土壌が、醸成されているとは思いません。信頼回復ためには、(このHPの別の章で書きましたが)政治家への厳しい罰則の法整備が必要であるし、官僚の天下りや不公正な制度にも規制が必要でしょう。それをしないのは、彼らの保身と権益維持のためであると取られても仕方ないでしょう。そんな状態が続いているからこそ日本は前に進めず、じりじりと後退をし続け、じり貧&奈落の底へと突っ走っていると思うのです。
 最後に、しつこく、しつこくもう一度書かせていただきますが、政治が存在する究極の目的は、そこに住む国民の安全と幸福のためです。この原点に立ち返って、権益維持と自己保身の政治家、官僚には即刻ご退場いただき、"国民の安全と幸福"のための政治的社会を築く"志"と"能力"のある政治家と官僚に代わってほしいと、ここに強く願います。心から願います。僕は、僕の大切な一票を、今後もそのために使い続けます。

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