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政治について考える

4.政治社会の方法       (2010年11月 7日記載)

 今回は、政治的社会を構築&維持する方法について考えます。政治的社会の究極目的は国民の福祉(※具体的には安全に自由に幸せに生きられること)のためにあり、それを構築・維持するために相互に契約を取り結んだ者たちによって成立したのが政治的社会です。では、どのようにそのような政治的社会を成立させるのかと言う、方法論の問題があります。
 結論から言うと、上記の目的をきちんと果たせるのであれば、絶対王政であれ、立憲君主政であれ、民主政であれ、方法論は何でもかまわないと言うことになります。しかし歴史を振り返ると、どのうよな政治制度にも問題や限界がある事が分かります。特に、絶対王政の下では、統治者による法の制定や施行がしばしば一貫性を欠き(朝令暮改のように)無秩序に行われたり、人民の公共の福祉を無視した施策が行われてきました。どのような人徳のある王であったとしても(それが心から人民の幸せを願う王であったとしても)、国民の福祉のために最善の法の制定や施行ができるわけではありません。そして絶対王政の根本的な問題は、王自身が"立法権"と"司法権"と"行政権"、そして軍事の全権力を持っているため、政治的社会の本来の目的である人民の安全や公共の福祉に王自身が反していても、誰も王に逆らったり辞めさせたりすることができないと言う点です(※強大な兵力を持った王に対して、圧政下の人民は抵抗する手段をほとんど何も持っていません。反抗の先には、投獄、追放、財産没収などの過酷な運命が待っています。そんな状況では、人民に残された唯一の手段は"革命"だけでしょう)。絶対王政時代が長期に続く中、立憲君主政の時代を挟みながら、次第に(歴史において多数の犠牲を払いながらも)人民自身の安全と福祉は人民の多数の意見によって決められる方法論へと移りました。
 人民の多数意見を決めると言っても、これも一筋縄ではいきません。百人かせいぜい千人規模の政治的社会であるならば、全員が集まって政治的集会を開くことも可能かもしれません。古代ギリシャの(善く言えば"哲人政治"、悪く言えば"衆愚政治"の)ように、雄弁家が熱弁を振るって聴衆の世論を誘導して意見の集約を図ることも、人数が少なければ可能でしょう。しかし、数十万人~数百万人ないし数千万人~数億人のような大規模の政治的社会にあっては、それはほぼ不可能です。それで、
人民の中から"人民の福祉向上を図るための代表者"を選ぶ方法が発展します。つまり"選挙"です。当初は財力のある貴族のような人々の中から代表者(※以下、議員とします)が選ばれましたが、これも時代と共に次第に一般の人民から選ばれる方法へと移っていきました。人民から選ばれた議員がなすべきことは何でしょうか。議員がなすべき事は、"法律"を作ることです。究極的には、これ以外には何もありません。そして、その作るべき法律の内容とは、政治的社会の本来の目的である"人民の安全や福祉の向上"のための法律に尽きます。具体的には、国民の安全と福祉のために"税金"をどう使うかと言うことを法律で決める訳で、"教育や医療など国民の幅広い福祉のための予算"、"国内の治安や人民の生活の安全のための予算"、"自国の財産と人民を他国の侵害や侵略から護るための予算"などなどを決めていく訳です。
 議員には、法律を作るべき立法権が付与されていますが、司法権や行政権はありません。法律を作る人とそれを行使する人間が一緒であると、法律を不正に作って行使しようとする弊害が起るからであり、王政やそれに類する政治制度でそれは歴史的に充分に証明されていると言えます。
 議員が、国民の福祉と言う目的に反して、一部の人民や団体、官僚に利益を誘導するような法律を作ると言うこともしばしば歴史で起りました。こうした場合に、人民はその議員を選挙で落とし、議員の地位の剥奪をして、他者に付与することができるわけです。これが、前述の王政との最大の違いです。人民が自らのその政治的代表者を選ぶ事が出き、議会に議員を送ることができるのです。
 次に、
「人民はなぜ"法"に従わねばならないか?」と言う問題です。これは、重大な問題です。何故なら、「この法律には従うが、この法律は反対だから従わない」と言う人々で社会が形成されたら、法律の意味がなくなり無政府状態と同じだからです。「俺はこの刑法には反対だから、自由に盗ませていただくよ」…これでは、誰も安全に自由に社会で生活できなくなります。政治的社会を成立させるために、少数意見にも慎重に耳を傾けた徹底的な議論の上、多数決で決まった法律には、その反対の少数者も従わねばならないと言うのが、政治的社会の最低限のルールなのです。そのような訳で、法律に反した場合は、特に犯罪や反社会行為には司法による裁きも受けねばなりません。しかし、法律に反対であると言う意思や信念は持ち続けることはできます。例えば、(政治的社会の本来の目的に反して)思想や信教に関する自由を制限するような法律が多数の意見で制定されてしまった場合も、個人の信念として自分の思想や信教を持ち続ける事はできます。国家が、個人の心の襞にまで入って禁止することは、人民の安全や自由のために存在するはずの政治的社会の本来の目的に反するからです。
 さて、ここまで政治的社会の目的、その構成員は誰か、その方法はどういうものか、について簡潔に書いてきました。現代は、民主政治が他の政治制度と比較して優れていると言う観点から、多くの国で民主政が採用されています。しかし、民主政も完璧と言うわけではありません。次回は、現代の政治的社会の問題点を指摘して、このシリーズを締めくくりたいと思います。

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