犯罪的傾向のある宗教および反社会的な宗教/番外編

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1.某新興宗教団体について

 原理主義的新興宗教の恐ろしさ。今日は某新興宗教団体のお話し。
 こう言うのを書くのは勇気がいる。誰が読んでいるか分からないので。推測は外し、僕が経験した事実のみ書きます。
 当時、某新興宗教が近所で隆盛を誇っていた。僕が教会の日曜学校に通い始めたのが、小学生5年。その頃、友達だと思っていた近所の子がこう言った。「おまえ、毛唐(毛色が変わった外国人の蔑称)の教会に行ってるんだってな!」。何故、そんな事を言われるのか、意味が分からなかった。
 そして小学生から中学生の頃、近所の人に朝の挨拶しても、そっぽを向かれて無視されるようになった。子ども心にハブられているのは理解できたので、超悲しかった。
 後日大人になってから知ったのだが、当時その団体は「3大邪宗撲滅運動」と言うのを展開していて、日蓮宗やキリスト教などが標的にされていたのである。
 高校生になっても、同級生が何枚もの便箋用紙にびっしりとキリスト教批判を書いて寄こした。もはや病的である。団体内で、どう言う指導や教育を受けているのであろうか?
 大学生になったら、別名義で活動(○○文明研究会)しているのサークルが、僕らの聖書研究会の部屋に「うるさい!」と言って怒鳴り込んできたこともある。こちらが関わりたくなくても、向こうから目の敵として関わってくるので皆で困っていた。
 社会人になってから、とある友人より「結婚したのでぜひお寄りください」との案内を受けたので遊びに行ったら、布教活動だった。部屋の中には、ずらりとI氏の本が並んでいる。そしてまた始まったキリスト教批判。彼らは、自分のための行動を肯定するために「嘘も方便」を使う。流石にやるせなくて、縁を切った。

 正直な話、嫌いとかそう言うの以前に、とにかくこの団体とはもう関わりたくない。
 思想・信教が自分と違っても、反社会的でないかぎり相手の意見は尊重するのが、現代社会・国際社会の基本的ルール。 彼らは、政治と深く結びついている。政教分離の法則をどう考えているのかは知らないが、選挙の度に投票のお願いが来る。
 今では若干柔らかくなったようだが、今まで僕が受けた数々の経験を考えると、他の思想や信教に対してあれほど排他的な宗教団体が政治と結びついているのは、怖さしか感じない。

(記載:2022年8月15日)