医療事務管理士への道
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1.医療事務管理士を目指すきっかけ (2011年 9月 4日記載)
私がHPでこの"わくわく健康ランド"シリーズを始めた時は、自分が医療関連の道を目指す事になる等とは微塵も思っていませんでした。なぜ、私が"医療事務管理士"を目指すことになったかと言うと、まずは経済的な理由がほとんどです。
私は、社会人人生を通じて3年間の銀行員生活を除けば、ほとんどCG制作業による収入だけで食べてきました。色々と苦しいシーンもありましたが、幸いにもこれまで切り抜けて来られました。家も建てましたし、事務所も独立できましたし、家族も与えられました。しかし、2008年秋に大きな転機が訪れました。あの元々価値の無かった住宅証券が紙切れと化した"サブプライムローン"問題に端を発した"リーマンショック金融危機"です。私自身は証券取引とも投資信託とも無縁でしたが、日本経済自体は大きな影響を受け、私もその負の面を強制的に背負うこととなりました。世界中が大不況となり、日本の経済も低迷しました。映像制作業と言うのは、企業の経済活動の影響を大きく受けます。企業が広報活動に資金を出さなくなると、当然映像制作の仕事も減ります。広告代理店や映像プロダクションの仕事も減り、それに従い当然CG制作の仕事も急激に減り、同時にCGの制作単価も下がります。
2008年秋"リーマンショック"で始まった不況は、2009年以降プロダクションを苦しめます。事実、私の取引先のプロダクション3社が、撤退や店じまいであっと言う間に無くなりました。プロデューサーやディレクターに至っては、十名以上と連絡が取れなくなりました。それほど、リーマンショックの金融バブル崩壊が与えた惨禍は酷いものでした。
それほどの映像不況でしたから、私もその惨禍から逃れる事は不可能でした。売り上げや単価が大幅に下落する中、事務所の移転で経費を抑えたり、貯金を崩したり、夜勤で生活費を補ったりと、様々な対応をしました。2009年から2011年まで3年に及ぶ経営効率向上や営業努力も限界に達し、CG業以外の収入の道も模索せざるを得なくなりました。
しかし、大学新卒の就職も過去最低の昨今、(CG業だけに脇目も振らず集中してきた)私の転職は"超"難しいものであることは理解しています。特に家族や住宅ローンを抱える私の必要年収を考えると、ハードルはさらに上がります。今から何年もかけて日中の学校に通うことも、経済的、時間的に無理です。様々な選択肢の中で、私は"医療事務管理士"を選択枝の一つに選びました。これなら仕事を続けながら、通信教育で夜間や休日に勉強ができるからです。年収を考えると正直辛い部分はありますが、待遇の上下動の激しい民間の一般企業よりは安定している医療の道を選んだのです。そして、医療事務の勉強を始める事となりました。
次回以降、医療事務の勉強をいかに進めていったかを書きます。
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