犯罪的傾向のある宗教および反社会的な宗教

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1.反社会的な宗教について考える

 世の中には少なからず、社会に対して異常に攻撃性向のある宗教団体や、犯罪的行為を行っている宗教団体と言うものが存在する。憲法で保障された思想・信教の自由や宗教団体の税制上の優遇措置を利用して、不当な収益を上げる宗教団体も存在する。暴力団等の闇の組織が隠れ蓑に利用する宗教団体も、現実に存在すると言われる。
 そう言った反社会的ないし犯罪傾向のある宗教団体の特徴と言うものを、最初に考えてみたい。

・カリスマ的指導者の存在

 反社会的な宗教には、多くの場合絶対的権力を持ったカリスマ的な指導者・教祖が存在する。彼らの生い立ちを辿ってみると、必ずといって良いほど非常に貧しい家庭の出身だったり、学歴に対するコンプレックスを持っていたりする。もちろん、「貧しいから」「学歴が低いから」と言って、すべての人が偏狭な指導者になるわけではない。しかし、反社会的なカリスマ的教祖は、過去の苦労やコンプレックスを社会への怨みに転化する。つまり自分を虐げた社会や人々への復讐心が、行動力の源泉となっていると考えられる。そう言った指導者の思考や性向は、当該宗教の教理や性向となって現れる。結果として、"国家への敵視"、"マスコミや他宗教への攻撃"が顕著となっていく。
 これらの宗教は、信徒に厳しい戒律や教義を課す傾向が高いが、一方で教祖の生活(具体的には金銭面・女性関係面等)はたいへんルーズで、世俗的である事が度々指摘される。これらの指導者は、名誉・権力・金銭や財産に対する執着心が一般人より遥かに高い事も指摘されている。また、こう言ったカリスマ教祖の超能力的な力や、改変された神秘的な過去の人生が、喧伝される事も多い。
 問題のある宗教団体の教祖は、確かにカリスマ的な魅力のある一方で、自分の過去を美化し、名誉欲・権力欲が以上に高く、周囲の者達を恫喝・威嚇する…そんなタイプが多いようだ。

・内と外の明確な区別と排外的・攻撃的な教理教育

 宗教と言うものは、一般に程度の差こそあれ「選民思想」を有している。「このお経を読んでこそ救われる」、「こう言う信仰を持っていれば救われる」と言った"(当該宗教の)信仰を持っている人のみが救われる"と言う思想である。しかし、反社会的な宗教の場合は、その思想の過激さが圧倒的に違う。信仰を持っていない人々を徹底的に差別し、「不幸になっても仕方ない人々、攻撃されても仕方のない人々」と言うように、はっきり言えばゴミ以下の扱いをする。当該宗教の教理を拒否する人々は、"積極的に滅ぼすべき敵"とさえみなされる事もある。このように、団体の「内側」と「外側」の差別がとても激しいのが特徴である。
 上記の過激な選民思想とも関連している事だが、反社会的な宗教は、国家やマスコミ、他宗教から一般の人々に至るまで、たいへん排外的で攻撃的な教理教育を行う傾向が高い。「(当該宗教の)正当性を無視する国家や民衆、また批判するマスコミは"天罰により滅ぼされて当然"」と言うような理論に従って信徒を教育する。そう言った類のカルト宗教や新興宗教は、実際にマスコミや他宗教への訴訟の乱発を繰り返す事が多い。これらの相手を攻撃する行為(※仮想敵を作る事)は、当該宗教内部の結束力を固める効果がある。一方で、訴訟を通り越し、実際のリンチ等の暴力やテロ行為、殺人にまで発展する事例も少なくない。

・当該宗教団体名を隠して勧誘活動を行う

 問題の多い反社会的な宗教団体は、宗教活動を行う場合にその団体名を使わない傾向がある。一般的な宗教団体が伝道活動・布教活動を行う時には、ポスター、チラシ、そして口頭でも、主催団体を堂々と明かすのが普通だ。しかし問題のある宗教は、意図的に別の団体名や組織名を用いて、啓発セミナーや講演、各種勉強会、ヨガ教室等の名称を用いる傾向がある。参加者も、初めは問題のある宗教団体の活動とは知らず、最終的に宗教団体である事に気づくことになる。これは一般社会での活動に限らず、大学サークル内の活動でも同様である。当該宗教団体名とは違う別の名称、ないし宗教の内容とは関係のないような名称を用いてサークル活動をするため、学生はそれが問題のある宗教団体のサークルだとは気づかない。

・短期間の詰め込み缶詰教育を行う

 反社会的な宗教がマスコミで度々非難されるのは、長期間に渡って若者を宗教施設等に拘束して詰め込み型の教育をする点だ。これには二つの問題点がある。
 一つは、未成年者が親に無断で、もしくは虚偽の報告をして長期間の外泊をし、親が気が付いた時には自分の子供が何処にいるか分からず、誘拐されたのではないか、事件に巻き込まれたのではないか、家出や失踪等ではないかと心配し、しばしば社会的な問題になる事。
 もう一つは、もっと重大な問題で、若者達の睡眠をギリギリまで制限し、当該宗教の教理などを長期間に渡って詰め込むことによる"マインド・コントロール"の問題。これらは、上記で述べた偽名組織での勧誘活動とセットになっている事も多く、気が付いた時にはマインド・コントロール状況下に置かれていたという事も多い。マインドコントロールは、そもそも朝鮮戦争等で敵国兵士等に実践された方法だが、カルト宗教では意図的に頻繁に使用されている。一度長期のマインド・コントロール状況下に置かれると、教祖や教義への忠誠心、地獄や天罰への恐怖に縛られて、そこから脱して社会生活に復帰する事が難しくなる。そして、マインドコントロールを受けた当人が、また新たなマインドコントロール犠牲者を生み出す先兵となって行く。こう言った状況下では家庭不和だけでなく家庭崩壊にも至る事もあり、大きな社会問題となっている。

・過度な布施や労働の強要

 上記のような問題のある宗教団体は、信徒に対して過度な布施・献金の強要をする事が多い。通常の宗教は、生活に支障が生じない範囲内で布施や献金をする。しかし、問題のある宗教団体は過度な布施の要求をする。酷い場合には、宗教団体が指定のサラ金業者を指定したり斡旋したりして布施をさせる場合すらある(それらのローンを返済するのは、もちろん信徒となる)。もっと酷い場合には、宗教団体が悪質な弁護士と結託して不動産や財産を丸ごと巻き上げる例も実際に起こっている。
 財産の無い若者の場合は、身内の財産を布施させるように家族を説得させる事もある。また、霊感商法のような労働に従事させられたり、無賃奉仕による訪問販売や、当該団体関連企業での低賃金労働を強いられる事もある(払われているはずの低賃金が架空の場合すらある)。また各種募金名目で募金活動をして、それをそのまま当該宗教団体の運営に使用している可能性も指摘されている。これらは、もはや労働や奉仕の域を超えて、奴隷に近い。
 これ以外にも、本来は事業収入と言うべき"霊園事業"や"各種関連事業"によって得られた利益も、宗教法人の税制上の優遇措置を隠れ蓑にして、税金を払わずに莫大な収益を稼ぎ出している宗教団体もある。
 このように不当に得られた莫大な資金は、宗教法人を隠れ蓑にマネーロンダリングされ、当該宗教運営のためだけでなく、暴力団の資金源となったり、政界工作のために政官財に流れるとも言われる。こう言った闇資金の実態はなかなか解明されないが、宗教団体の規模によっては、日本の一流企業に匹敵する財産と資金を有するまでになっている可能性があると言われる。


 他にも色々と問題点は指摘できると思うが、具体例は問題のある各宗教団体の内実を見ながら考察していきたい。


(記載:2005年 9月25日)