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5.ヒンドゥー・ナショナリズム

 イスラム原理主義、ユダヤ民族主義、アメリカのキリスト教原理主義は、それを要因として引き起こされる世界各地の紛争やテロ活動によって、日本に住む我々にとってもそれなりの影響を与えている。今回取り上げるヒンドゥー・ナショナリズムはそれらと比べると、我々との関連性が希薄に感じられる。しかし、世界人口の約1/6である10億人もの人口を擁し、パキスタンとの間に核戦争勃発の危機にまで発展した、インドの社会の根底にあるヒンドゥー・ナショナリズムは無視することができなくなっている。今回は、このインドのヒンドゥー・ナショナリズムについて考えてみたい。
 何故、原理主義と言う用語ではなく、ナショナリズムと言う表現を使うかと言うと、ヒンドゥーには、聖書やコーランのような絶対的な聖典が存在せず、そもそも一神教と言う概念もないので、原理主義になりにくいと言う側面があるからである。ヒンドゥー教は、ガンジーに代表されるような寛容の宗教のイメージが強い。インドには、6億8千万人のヒンドゥー教徒(人口の82%)と1億1千万人のイスラム教徒(人口の12%)が存在し、その他少数のキリスト教徒、シーク教徒、仏教徒、ジャイナ教徒、ゾロアスター教徒が存在する。そんなインドにおいて今日、「インドはヒンドゥー教徒の国である。イスラム教徒やキリスト教徒はインドから出て行け」と叫ぶヒンドゥー・ナショナリズムが勢力を増していて、各地でヒンドゥー教徒とイスラム教徒間の紛争が激化している。21世紀に入ってからも、数百名もの犠牲者を出すような惨事が各地で起こっている。インドは世俗国家であることを基本理念とし、世界有数の多宗教国家であった。憲法によって政教分離が規定され、個人の信教の自由が認められ、国家は各宗教に中立である事が求められた(一方、社会改革等の正統な理由があれば、国家が宗教に介入し是正する権利も認めていた)。ガンディーは国家はすべての宗教に対して敬意を表すべきとし、西洋的な合理主義のネルーは国家は全ての宗教に対して距離を置くべきであると考えていた。このようなインド独立以来の国是に挑戦してきたのが、ヒンドゥー・ナショナリズムなのである。何故ヒンドゥー・ナショナリズムが形成されてきたのか、歴史を振り返ってみよう。

 古代インドは、最も進んだ文明が栄え、インド亜大陸を制する大国だった。その文明は途切れることなく、バラモン教からヒンドゥー教へと発展して引き継がれていく。ヒンドゥー教の聖典は一つではなく、古代バラモン教の聖典「ヴェーダ」は4種類の文献の総称である。ヴェーダは、「天啓聖典(シュルティ)」と呼ばれるが、この他に古代の聖人が書いたと言われる「スートラ」等の古伝書(スムリティ)等が存在する。また広く民衆に読まれた「ラーマーヤナ」や「マハーバーラタ」等の叙事詩もある。これ以外にも数多くのサンスクリット文献が存在し、書かれた時代も異なるので、相互に矛盾する箇所も少なくない。こう言う事情で、ヒンドゥー教は聖書やコーランのような教義の中核となる聖典が存在せず、統一的な教義も無かった。つまりヒンドゥー教は、宗教原理そのものが成り立たなかった。また、釈迦やムハンマド、キリストのような創始者が、ヒンドゥー教には存在しない。ヒンドゥー教は、日本の神道と同様、自然宗教なのである。ヒンドゥー教は世界宗教ではなく、民族と宗派が一致する民族宗教なのである。そもそもイスラム教やキリスト教が入ってくる以前は、ヒンドゥー教と言う概念すら無かった。ヒンドゥー教と言う言葉は、西洋人が作り出した術語である。つまりヒンドゥー教とは、インドで生まれた多種多様な信仰とこれに結びついた生活と文化様式の総称と捕らえることができる。儀礼や習俗、カースト制度等を包合しているので、社会制度とも言える。
 ヒンドゥー教は、多神教の世界である。主神だけで、ヴィシュヌ神、シヴァ神、ブラフマー神がいるし、重複して信仰することも可能である。その他に、地母神信仰、精霊信仰、自然信仰、動物信仰等も盛んに行なわれている。
 ヒンドゥー教は教護な教団組織を持たないが、カーストと言う社会統合の仕組みを作り出した。上位から「バラモン(僧侶)」「クシャトリア(武士)」「ヴァイシャ(庶民)」「シュードラ(隷属民)」と言う4階級の他に、カースト外の「不可触民」が存在する。「シュードラ」や「不可触民」は低カーストとされ、上位カーストから、共食、儀式の参加、婚姻を拒否され、長年、社会的、経済的差別を受けてきた(このような階級は「ヴァルナ」と呼ばれるが、今日カーストとして意識されるのは、職能集団「ジャーティー」である。「大工」「陶工」と言ったジャーティーの種類は、2,000を超えると言われる)。上位カーストは、下位カーストの地母神信仰や太陽信仰などの民衆信仰を卑下していた。こうした理由で、ヒンドゥーの「同胞意識」はまったく芽生えなかった。
 中世に入ってからイスラム教徒がインドに侵略を始めて、ヒンドゥー教寺院を破壊し、重税を取り立てる圧制を引いた。ムガル帝国の第六代皇帝の時代、弾圧に対して、西インドのマラータ王国の英雄シヴァージーが反乱を起こす(この抗争は宗派戦争と言うよりも、まだ政治権力闘争であった)。
 近代に入ってからは、インドはイスラムの支配から変わって大英帝国の支配下に置かれて、武力、財力、教育を通じてキリスト教への改宗が推し進められた。キリスト教の目覚しい成功にショックを受けたヒンドゥー教徒の中から、西洋型の宗派組織化モデルを取り入れる動きが出てくる。同胞意識の少なかったヒンドゥー教が、ヒンドゥー改革運動によってヒンドゥー・ナショナリズムへと傾倒して行く。1875年にボンベイで設立された「アーリヤ・サマージ」は、今もカースト制度の撤廃や、イスラム教徒やキリスト教徒の最改宗、牝牛の保護運動などに取り組んでいる。この団体を創立したのは、グジャラートの高僧であったダヤーナンダ・サラスヴァティーである。彼は、「ヒンドゥー教の多数の神々は実は唯一神(ブラフマン)の異名に過ぎない」と主張した。また彼は、「絶対の聖典」を強調する簡素化した分かりやすい教義の確立、理性的な神性の理解、科学合理性を追及した。ダヤーナンダは、「ヴェーダ」こそが神が人類に与えた至上の天啓だとした。雑多なヒンドゥー儀礼も簡素化し、近代生活に適合するものに改めていった。上位3カーストにしか学習を認められていなかったヴェーダを、すべての階層に開放した。ダヤーナンダは、雑多なヒンドゥーの教義を一神教のように整理し、簡素化して、万人に分かりやすいようにしたのである。こうして、ヒンドゥー教徒統合への道が整っていく。アーリヤ・サマージはヒンドゥーの原点回帰を唱える組織であったが、動機や活動目的は宗教に限られていた。これに対して、パンジャブ州のアーリヤ・サマージが中心になって1909年に創設されたヒンドゥー・サバーは、宗教と政治が合体したヒンドゥー・ナショナリズムの原型となった。この運動は他州にも広がり、1915年には全国協議体であるヒンドゥー・マハーサバーが結成された。この団体は、ムスリム連盟を牽制し、国民会議派内のヒンドゥー教徒の利益を代弁する圧力団体として機能した。1919年にガンジーが始めた反英非協力運動(キラーファト運動)に端を発し、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の間で宗派間暴動が頻発するようになる。こうした状況下で、ヒンドゥー教徒の団結を目指す「ヒンドゥー・サンダカン運動(ヒンドゥー団結運動)」が北インドで盛んになっていく。
 インドのカースト差別に苦しんできた下層カースト(特に不可触民)が、キリスト教やイスラム教へ改宗する例が増えていく一方、不可触民出身の政治家アンベードによって反バラモン、反差別闘争が1920年にマハラシュトラ州で沸き起こり、上位カーストの旗色はどんどん悪くなっていく。こうした状況下登場したのが、V.D.サーヴァルカルである。彼はインド独立のための政治運動を組織したが、英国留学中に同グループが起こしたのテロの共謀の疑いでインド洋の流刑地に送られる。そこで彼が執筆したのが、「ヒンドゥトゥバ(ヒンドゥーの原理の事):ヒンドゥー教徒とは誰か?」で、1923年に執筆された。この本は、ヒンドゥー・ナショナリズムの古典と言うべき本である。この本には、西洋の領土概念や国民国家の概念が移植されている。彼は、複雑な歴史を持つ広大なインドに、一つの国、一つの国民、一つの文化と言う概念を投影した。インドの領土と、ヒンドゥー文化、ヒンドゥー国民は切り離すことができないと主張する。
 サーヴァカルが提唱したヒンドゥトゥバ思想を継承し発展させたのが、1925年にインド西部ナーグプルでヘドゲワールによって設立された「民族義勇団」である。民族義勇団は、カースト制度を克服し全ヒンドゥー教徒の統合を目指すが、組織は上位カーストの文化に拠ると言う矛盾があり、これを克服する為に共通の敵が必要だった。それがイスラム教徒であり、それを敵と叫ぶことでヒンドゥー社会の統合を推し進めようとした。ヒンドゥーに基づく単一文化国家の建設が民族義勇団の目指す所であり、そのために教育、社会プログラムを通じて新しい「国民」を創り出すことに組織の目的があった。
 ヒンドゥーに基づく単一文化国家を目指す人々は、こう考える。インドの独立運動は、イスラム教徒によって足を引っ張られ、本来一つのインドが、インドとパキスタンの分離独立という不本意な形になってしまった。今日のインドは、イスラムと西洋と言う二つの外敵に脅かされている。インド国内のイスラム教徒は、パキスタンや富裕な中東諸国の影響を受けて、カシミールでテロ活動を繰り返して、インドの安全を脅かしている。イスラム教徒は少数にも関わらず、インド政府に優遇されている。また西洋の文化に浸かった若者は、拝金主義に走りモラルが低下している。・・・と言う状況に対して、ヒンドゥー教徒は団結して外敵の侵入を防ぎ、本来享受すべき権利をイスラム教徒から奪回せよ。
 しかし、インドには実際には多民族が暮し、多文化社会である。それに目をつぶり、単一文化のヒンドゥー国家を建設しようと言う試みは、様々な軋轢をインド社会にもたらし、社会の分裂を招いているのである。


(2005年 1月30日記載)


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