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"ダ・ヴィンチ・コード"の内容の真偽    (2006年10月29日記載)

 さて、ダン・ブラウンの小説「ダ・ヴィンチ・コード」がベストセラーになり、その映画版も今年(※2006年)大ヒットした。騒ぎも一段楽し、ロードショー公開も終わったところで、改めてじっくりと「ダ・ヴィンチ・コード」を、頭の体操も兼ねてのんびりと考察してみよう。

 「ダ・ヴィンチ・コード」は、様々な物議を醸し出した。私も小説を読んだが、一部現実にある建築物や資料を引用しながらも、物語や登場人物自体はフィクション。そこがこの小説の妙なのだが、一方で(確信犯的に)虚実を綯い交ぜにした事で多数の問題や疑問も噴出した。引用されている説には、専門家が"眉唾とする仮説"や、"明らかに誤っている説"も多数用いられている。果たしてどこまでが事実、どこからが虚構なのか、読者なら興味を持つ事だろう。
 そんな疑問から、一読者の立場に立って、ジャーナリストで投資家のダン・バーンスタインが、取り敢えず自分の主観は棚上げにして、中立な立場から小説の中の情報の真偽の解明に全力を注ぎ、「ダ・ヴィンチ・コードの"真実"」を書き表した。各専門家や研究者にインタヴューしたり、彼らの著作物から引用したりして、肯定的な意見から批判的な意見まで網羅した。
 このコーナーでは、この本の情報を元に「ダ・ヴィンチ・コード」の真偽を探っていきたい。ただし、「ダ・ヴィンチ・コードの"真実"」の340ページのすべてをこの僅かなスペースのこのページにまとめる事は不可能なので、本の極一部の、その触りのエッセンスだけを紹介。もっと詳しく知りたい方は、「ダ・ヴィンチ・コードの"真実"」(竹書房文庫)を読まれることをお薦めする。本編を読んだ人なら、きっと面白いと思いますよ~。




★新約聖書の成立について…小説「ダ・ヴィンチ・コード」では、現代の新約聖書は、ほとんどが捏造されたものだと言う主観で貫かれている。専門家や研究者は、この件についてどう捕らえているか。

●エレーヌ・ペイゲルス・プリンストン大学宗教学教授(『ナグ・ハマディ写本-初期キリスト教の正統と異端』『禁じられた福音書-ナグ・ハマディ文書の解明』は共にベストセラーになった)の意見のエッセンス。

小説「ダ・ヴィンチ・コード」について…「もし(小説の言うように)教会の指導者達が、キリスト教初期の歴史の大部分を隠蔽したと言うなら、私達は何を知らないのでしょうか。何を知るべきなのでしょうか。私は歴史学者として、これはとても重要な問いだと考えています。ですから、私はあえてあの小説には反論しません」。

初期のキリスト教について…「ナザレのイエスについての記録で最古のものは、イエスの死から20年ほど後に書かれた手紙です。次に新約聖書の福音書、これはおそらくイエスの死後40年から70年経って書かれています。つまり私達が手にしているのは、すべて後から書かれたものなのです。イエスに傾倒していた人々(※注:弟子や信徒)か、さもなくばイエスを敵視していた人々(※注:ローマの歴史家や政治家)が書いたものです。残っているものが後から書かれた記録だけで、しかも肯定と否定とに、はっきりと分かれたものばかりと言うのは興味深い。1945年のナグ・ハマディ文書発見によって、初期のキリスト教は私達が考えていたよりもずっと多様なものであり、イエスに対する見方も様々だった事が分かりました」。
「ナグ・ハマディ文書を書いた人々は、自分達に啓示を見る力や深い理解力が備わっていると感じていたのでしょう。啓示を求める動きが盛んになりますが、教会の指導者がこう反応しました。『待ちなさい。どれが正しくてどれが間違っているのですか』。こうして正統派を作る必要が生じたのです。(ナグ・ハマディの)新たに発見された文書は、もともとエジプトの修道院の書庫に眠っていました。修道士達に文書を破棄するよう命じたのは司教です」。「聖書は、金色の雲に乗って天から降りてきたのではなく、数多くの人々が苦心してまとめた文書の集大成です」。

グノーシス主義について…「かつてはグノーシス文書と呼ばれていましたが、これらの文書には、厭世的な二元論が書かれている訳ではありません。トマスによる福音書は、自分自身の中にあるもの、人間に本来備わっている何かを引き出すことができれば、それが神に近づけてくれる。マグダラのマリアによる福音書は、自分自身の中に神を探しなさいと言う事です。どちらかと言うと、仏教の教えに似ていますね。これらの福音書では、自分自身の中に神を発見できるとほのめかしているわけです」。

●コリン・ハンセン(アメリカのWebサイト"Christianhistory"の記事)の意見のエッセンス

ニケーア公会議の真実…「この小説(ダ・ヴィンチ・コード)が訴えているのは、"キリストについて先祖から伝えられたほとんどの話が捏造されたものだ"と言う事である。根拠は何だろうか。325年に現在のトルコにあるニケーアで開かれた、たった一度の公会議である。ダン・ブラウンによれば、権力基盤を強化したいと考えた教会の指導者達が、その会議でイエスを神とする教義と、決定版の聖書を作り出したらしい-どちらもその時までは存在しなかったと言う。キリスト教史において、ニケーア公会議が極めて重要な役割を果たしたと言うダン・ブラウンの意見は正しい。アレクサンドリアの神学者アリウス率いる一派(※イエスは神ではないと主張した人々)に、ダン・ブラウンは、ニケーア以前のキリスト教をすべてアリウス派に代表させている。ダン・ブラウンは、ニケーア公会議の"その時点まで、信者達はイエスを人間の預言者だと-影響力に富んだ偉大な人物ではあるが、あくまでも人間と見なしていた"と主張している。現実には、初期のキリスト教徒たちは、イエス・キリストを復活した救い主として崇拝していた。キュリオス(ギリシャ語で"神")と言う言葉を取り入れ、早い時期からそれをイエスの呼び名としていた。ダン・ブラウンは、コンスタンティヌス帝が既存の文書を改竄させ、キリストと言う人間を神の地位に押し上げたと言っている。この説は、様々な点で間違っている。正典を統一する動きは、ニケーア公会議以前から既に始まっていて、313年のコンスタンティヌス帝によるキリスト教公認以前に、聖書はほとんど完成していた。この事実を、ダン・ブラウンは見逃している」。


★ナグ・ハマディ文書、グノーシス派、マグダラのマリアについて…「ダ・ヴィンチ・コード」では、ナグ・ハマディ等で発見された"失われた福音書"に書かれている(とする)高いマグダラのマリアの立場が、カトリック教会によって貶められたと主張するが、専門家はどうとらえているか。

●ジェイムズ・ロビンソン・クレアモント大学大学院宗教学名誉教授(初期キリスト教の世界的権威でナグ・ハマディ文書の英訳を監修した)の意見のエッセンス。

小説「ダ・ヴィンチ・コード」について…「ナグ・ハマディ文書発見のような史実等を数多く盛り込んで、あたかも事実を描いているかのように見せていますが、この本は極めて誤解を招きやすいと言えるでしょう。ダン・ブラウンが、こうした分野の学術的な面をよく知らないで、作り話を書いているのは明らかです。例えば、"Q資料"について"イエス直筆のものだろうと言われている"と書いていますが、研究者なら誰でもそれがイエス直筆のものではないと知っています」。

失われた福音書について…「ナグ・ハマディで見つかったものは、歴史物語のように綴られた伝統的な福音書と異なっており、語録福音書と呼ばれている。2~3世紀に書かれたとすれば、書いた人々はグノーシス主義者の一派。ナグ・ハマディで発見された福音書は、正典福音書に比べ、様々な資料からの抜粋をまとめたものに近い。このような写本を書いた(グノーシス主義の)人々は、当時の主流派が世俗的・物質主義的であると考え、霊的で深遠な意味を見逃していると考えていた。グノーシス主義は、少々現代風に言えば"リベラルな"キリスト教だったと思います」。

マグダラのマリアについて…「(イエスとマグダラのマリアが)結婚していたかどうかは、断定することはできません。(失われた福音書の)ピリポによる福音書にある"連れ"と言う言葉は、必ずしも性的関係をほのめかす言葉ではありません。ダン・ブラウンは"アラム語学者なら誰でも知っているが、『連れ』という言葉は配偶者を意味している"と書いていますが、ピリポによる福音書は、ギリシャ語からコプト語に翻訳されたものなので、アラム語学者の出番はありません。史実よりも憶測を優先すべきではありません。新約聖書には、イエスは他の弟子達よりも、マグダラのマリアと過ごす時間が長かった、等とはまったく書かれていません。(マグダラのマリアが)聖者か罪人か、結婚していたかそうでないか、判断に希望的観測を交えては、学問と這いえません。歴史学者にはあってはならないことです」。


★秘密結社について…「ダ・ヴィンチ・コード」には、秘密文書やテンプル騎士団やシオン修道会が登場するが、研究者はどうとらえているか

●リン・ピクネット、クライブ・プリンス(マグダラのヨハネのミステリー、二つの顔を持ったイエスの共著者。本著は"ダ・ヴィンチ・コード"のネタ本の中の一冊)。

フランスの国立図書館の秘密文書について…「秘密文書に信憑性がないことは一目瞭然です。書かれていることの大半は史実と食い違っていて、単なる想像の産物として一蹴したくなるほどです」。

テンプル騎士団とシオン修道会について…「中世に発足したと言うシオン修道会の主張は、1956年以前に存在していた形跡が見当たらないため、整合性を欠くものでした。最近になって、修道会はその創設時期を18世紀に訂正しました。秘密文書の中で、シオン修道会はテンプル騎士団の兄弟組織であると主張していますが、そのような関係を示す証拠はありません。いずれにしても、シオン修道会は後になってから、その主張を引っ込めました。18世紀に発足したのなら、関係無いのは当たり前です。一方、現代のシオン修道会と、中世テンプル騎士団の"系譜を継ぐ"秘密結社との間には密接なつながりがあります」。「正統なフランスの王位継承者メロヴィング王朝の血筋を王の座に復活させる事が、シオン修道会の究極の目的と言われています。まったく愚にもつかない話しですね。メロヴィング王家の祖先がイエスとマグダラのマリアであると言う(※『レン=ヌル=シャトーの謎』の説でこれもダ・ヴィンチ・コードのネタ本の一冊)説は、これはベイジェントらによる単なる仮説です。秘密文書のどこにも、シオン修道会に関するどんな文書にも書かれておらず、ピエール・プランタール(※シオン修道会の元総長)もはっきり否定しています」。「(テンプル騎士団については)一般的な歴史書で、根本的な存在理由について触れたものはあまりありません。(各種伝説と結び付けられますが)正確なところは誰も知らないのです」


★おまけ…その他の小説の内容の真偽…「ダ・ヴィンチ・コード」には、信仰や聖書と関係無い項目においても様々な疑問が呈されている。

●デイヴィット・シュガルツ(調査報道記者)の調査結果から一部を要約。


・腹(胃)部を撃たれたら15分で死ぬ → 腹腔を撃たれた人間の死亡率は12%。
胃に穴が空いただけではすぐに死ぬ事は無く、たった15分とは考えにくい。

・ルーブル美術館のピラミッドのガラスは666枚 → この記述は誤りで、
正確には698枚

・ルーヴル美術館の防犯カメラはすべて偽物 → これも誤りで、
800台の防犯カメラと195台のデジタル録画装置が使われている

・五芒星は、神聖な女性や聖なる女神を著す → 違う。陰と陽のように、
女性と男性を著す

・どのミツバチの雌雄の数も必ず黄金比になる → ダン・ブラウンは勘違いをしている。
雌雄の個体数比が同じと言うことはあり得ず、黄金比とはほど遠い

・モナリザ(MONA LISA)は、AMON L'ISAのアナグラムで男女の調和と言うメッセージがこめられている → 
ダ・ヴィンチがこの絵を「モナ・リザ」と呼んだ事は一度も無いのであり得ない。ダ・ヴィンチの存命中に、この絵には名前がなかった。

・ブラックライトを当てると血が光を放った → あり得ない。ルミノール(薬品)を使えば部屋を暗くするだけで確認できるが、
紫外線ライトを使う時は、フルオレセン溶液を噴霧し、過酸化水素水を加える必要がある

・教皇クレメンス5世が、テンプル騎士団壊滅作戦を行ったのが13日の金曜日に始まったので、不吉な日とされている → 
いくつもある仮説の一つ

・貸し金庫を開ける十桁の口座番号の組み合わせは百億通りで、強力な並列処理コンピューターを使っても、解読には何週間もかかるだろう → 
パソコンで数分で可能

・ガラス瓶が割れて、ビネガーがパピルスをあっという間に溶かしてしまう → 考えにくい。
パピルスはほとんどがセルロースで非常に丈夫で、ビネガーに溶かしてもあっという間に溶けるという事はない。

・フランス政府が聖職者の圧力を受け、「最後の誘惑」の上映禁止に同意した → 
フランス政府は、この映画を上映禁止にしていない

・キングス・カレッジの組織神学研究所は、数百テラバイトのデータを毎秒500メガバイトの速度でスキャンできる → 組織神学研究所談…「うちで使っているコンピューターと言えば、職員が使っているiMacのデスク・トップぐらいです」(苦笑)。
そのようなコンピューター設備は無い

・アレクザンダー・ポープは、ニュートンの埋葬の司宰し頌徳の言葉を述べた → 
ポープは同時代の詩人だが埋葬には立ち会っていない。ニュートンの死後4年後に、墓碑を立てる時に碑文の起草者に選ばれた。

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最後に、小説「ダ・ヴィンチ・コード」を読んでの僕なりの率直な感想。


・ミステリーファンとして…長年のミステリー小説(ならびにSF小説)の一ファンとして、まず一言。ミステリー小説としては、評判と違って平均的なストーリー。この小説は、予定調和的な(はっきり言うとご都合主義で)ミステリーが進行していて、本格推理小説ファンとして読んでいて正直かなり辛かった。暗号の解読一つとっても、作者の"さじ加減一つ"でどうにでもなる展開と内容。半分ほど読んだところで、「この調子であと半分も続くのか…」と思ってげんなりした。この小説は、小説家が書いたと言うよりは、ハリウッド御用立ちの脚本家が書いたようなシロモノ。
 推理小説には、(例え理解できなくとも)読者に推理の判断材料を必ず提供しなければいけないと言う暗黙の前提があるのだが、何の前触れもなしにいきなり「この人が犯行の張本人です」、「ひらめきで突然謎が理解できました」みたいな展開になっていくのは、興醒めである。この本のヒットは、ミステリー小説としての完成度よりも、むしろこの本が扱ったテーマのセンセーション…つまり話題性で売れたと言う事を、作者は認識しておいた方が良いと思う(※実際それを象徴するかのように、彼の他の作品はほとんど売れていなかった)。

・映画ファンとして…次に一映画ファンとして一言。この小説、ロン・ハワード監督、トム・ハンクス主演で映画化されて、この夏日本でも上映されヒットした。実は、僕はまだ見ていないのだが、この小説を2~3時間の映画に収めるのは、視覚効果をかなり上手く利用しないと難しいと思う。物語の内容的に、映画の演出は台詞を多用したくなると思うが、台詞に頼ったら冗長化してしまい間違いなく失敗すると思う。ロン・ハワードは好きな監督だが、最近低迷していると聞く…その辺の視覚効果を、物語の雰囲気を壊さずにうまく処理できるだろうか。カンヌ映画祭のオープニング上映では、観客からは失笑が漏れたとも聞く。興行的には話題性でそこそこヒットしたけれど、映画作品の完成度はどうなのでしょう?映画が小説以上に面白いとも思えんのだけれど…。

・キリスト者として…扱っている題材が題材だけに、最後にやはり一クリスチャンとして、一言言っておく必要があると思う。キリスト教や聖書にまつわる逸話、伝承、学説と言うのは、ピンからキリまで、世界中に有象無象、星の数ほど存在する。
 キリスト教とまったく縁がないような日本においてすら、キリスト教に関係する古い伝承や説が多数ある。キリストの遺骨が日本に存在するとか、西洋から伝来するよりもずっと以前にシルクロード経由で日本にキリスト教が伝わっていたとか、聖徳太子の逸話はキリスト伝をモチーフにしたと言う説とか、色々存在するのである。それらが、遺跡、図承、伝承、習俗等の例証を基に、リアルに実しやかに伝えらているのである。それが、ヨーロッパともなれば、伝承や逸話、学説の類は比較にならないほど膨大である。この小説は、そんな膨大な逸話の一仮説を完全に正しい土台として形成している。
 この小説に登場する芸術作品、建築物、文書等はすべて実際に存在するのだろうが、その土台となっている背景や逸話はほとんど仮説でしかなく、登場人物や物語はすべてフィクションである。(私はカトリック教会の組織や制度には詳しくはないが)その仮定やフィクションに基づいて、カトリック教会を(歴史上も含めた)絶対なる"悪"として徹底的に攻撃し、シオン修道会を絶対なる"善"の存在の象徴として描いたのだから、カトリック教会が怒るのも無理はないだろうし、ダン・ブラウンもこの作品で"巨額の富"と"世界的な名声"を得た以上、自分自身が行った記述に対して大きな責任があると思う。素朴に信仰生活を送っているクリスチャンや求道者の心や魂を、この小説が傷つける事があるかもしれないのだから。
 まあ、たかが一般受けを狙った娯楽ミステリー小説、教会もあんまり目くじらを立てない方が良いだろう。ファシズムが支配する世界ではないのだし、それこそ中世暗黒時代ではないのだから。教会が騒げば騒ぐほど、広告費のいらないパブリシティ効果で話題を振り撒き、逆に大きな宣伝になってしまう(※この小説の作者ダン・ブラウンは、そんな攻撃は百も承知で、そう言う状況を想定して小説を書いている。カトリック教会の攻撃が、逆にこの小説の内容の正しさを強調するかのような記述の仕方を小説内で敢えてしているのである)。過去の例を見る限り、奇をてらった流行モノは流行った後に静かに消えていく。

ps.この小説で最も重要な物語のベースとなっている、シオン修道会の基になった(と本小説が主張している)"テンプル騎士団"と"騎士団に対する弾圧事件"(その事件は中世暗黒時代の魔女狩りの原形となる事件である)については、私は次のようにとらえている。
→テンプル騎士団についてはここをクリック!