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第二部:第四章 この人を見よ
76.この人を見よ
クロディウスが持ち場で警備の任務を果たしている間、アントニウス隊の兵士がイエスの服をくじ引きで分け合っていた。手足を釘で打ち終えたイエスの十字架が、2人の犯罪人の十字架と共にゴルゴダに立てられた。3つの十字架が並ぶ。
すると、一部の人々や祭司長や律法学者達は、今までの鬱憤を晴らすかのようにイエスを罵り始めた。
そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。
「おやおや、神殿を打ち倒し、3日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ」。
同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。
「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう」。
一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。 (※10)
十字架刑の惨たらしさは、クロディウスもよく知っている。過去に何度も見てきた。体を支える手足は十字架に釘で固定され、そこに全体重がかかる。骨は軋み、肉や皮膚が裂けても、死ぬまでその苦しみに耐えねばならない。命が尽きるまで、何日間もその苦しみに耐え続けねばならない事もある、ローマの処刑方法で最も残酷な刑である。
痛みだけではない。群衆たちから死ぬまで罵倒されて、誰もから見放されて絶望と孤独の中で死ぬのである。クロディウスが見ていると、左右の十字架刑の犯罪人達もイエスに向かって何か言い始めた。
十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。
「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」。
すると、もう一人の方がたしなめた。
「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない」。
そして、
「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」。
と言った。するとイエスは、
「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」。
と言われた。 (※11)
十字架上のイエスの命は、風前の灯であった。クロディウスは、再びヤツフェルの暗唱したイザヤ書の言葉を思い出した。
彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、
彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった。
彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、
彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。
わたしたちは羊の群れ。
道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。
そのわたしたちの罪をすべて、主は彼に負わせられた。
苦役を課せられて、かがみ込み、彼は口を開かなかった。
屠り場に引かれる小羊のように、
毛を刈る者の前に物を言わない羊のように、
彼は口を開かなかった。
捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。
彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか。
わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり、
命ある者の地から断たれたことを。
イエスの姿は、正にあのイザヤ書の予言の言葉通りの姿であった。人々に愛を述べ伝え、アレクサンドロスを治し、多くの人々を癒したイエス。彼が神から遣わされた者でないならば、どうしてあのような奇跡を行い得るのだろうか?
そのイエスが、犯罪者の一人として、今正に命を奪われようとしている。どうして、神はイエスを救わないのだろうか?クロディウスは、イザヤ書の続きを思い出した。
捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。
彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか。
わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり、
命ある者の地から断たれたことを。
彼は不法を働かず、その口に偽りもなかったのに、
その墓は神に逆らう者と共にされ、富める者と共に葬られた。
病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ、
彼は自らを償いの献げ物とした。
彼は、子孫が末永く続くのを見る。
主の望まれることは、彼の手によって成し遂げられる。
彼は自らの苦しみの実りを見、それを知って満足する。
わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために、
彼らの罪を自ら負った。
それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし、
彼は戦利品としておびただしい人を受ける。
彼が自らをなげうち、
死んで罪人のひとりに数えられたからだ。
多くの人の過ちを担い、背いた者のために執り成しをしたのは、この人であった。
クロディウスの中で、今この一瞬でこのイザヤの言葉と目の前で起こっている現実全てが繋がり、その意味を理解した。
この人は、正しい人なのに我々の罪を代わりに背負い、神に見捨てられて、罪人として裁かれたのだ。その人の死で、多くの人が正しい者とされるのだ。
まだ昼間だと言うのに、空が暗くなり始めた。クロディウスは、光が失われるのだと感じた。この光が失われるのは、この他ならぬ自分のせいなのだ。そう思いながら、十字架に近寄ってイエスを見上げた。
さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」。
これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、
この人はエリヤを呼んでいる」と言う者もいた。そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとした。ほかの人々は、
「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」。
と言った。 (※12)
太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。イエスは大声で叫ばれた。
「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」。
こう言って息を引き取られた。
百人隊長はこの出来事を見て、
「本当に、この人は正しい人だった」
と言って、神を賛美した。 (※13)
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(※10:新共同訳聖書:マルコによる福音書15章25~32節)
(※11:新共同訳聖書:ルカによる福音書23章39~43節)
(※12:新共同訳聖書:マタイによる福音書27書45~31節)
(※13:新共同訳聖書:ルカによる福音書23章45~49節)