入口 >トップメニュー >ネット小説 >百人隊長物語 >現ページ
第二部:第四章 この人を見よ
75.ヴィア・ドロローサ/苦難の道
翌日、クロディウスの隊は、また市内道路の警備担当を割り当てられていた。ピラト総督官邸門前からの道を、80人の部下達が警備する。
仲間の軍団兵から聞いた話によると、イエスは最高法院に連れて行かれた後、ピラトの官邸に送られて尋問され、イエスがガリラヤ出身であると分かると、ガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスの王宮に送られたと言う。そして、再びこのピラトの総督官邸に戻されたのだと言う。
ピラトの総督官邸とヘロデの王宮は共に、ダビデの3つの塔の側に建てられていた。総督官邸には、既に大勢の人々が集まっている。 ピラト総督官邸内の警備は、アントニウス隊が担当していた。クロディウスの隊の持ち場は門の外側と道路なので、その持ち場を離れて中に入ることはできない。アントニウスはピラト総督の目に留まるように、自らの隊を最も目立ちかつ重要な、総督官邸内の警備に割り当てたのであった。
エルサレムの祭司長や長老達が、門前に集まる人々に、
「バラバだぞ!良いな、バラバだぞ!」
と言って回っていた。クロディウスは、その名を聞いたことがある。確かバラバは、暴動を起こした殺人者だったはずだ。ローマへの反抗の象徴として、一部の民衆から人気もあるとも聞いている。祭司長や長老達が、そのバラバの名を群衆に次々に伝えていた。クロディウスは、直ぐに理解した。
祭りの度ごとに、ローマ総督は民衆の希望する囚人に恩赦を与え、1人釈放することになっている。属州では、属州民自らの権限で人を死刑にする権限はなく、総督に裁いてもらう必要がある。釈放も死刑も、ローマ総督の権限なのであった。
そして祭司長達は・・・クロディウスには理由は分からないが・・・、何故か殺人者のバラバを釈放させる気なのだ。彼は、総督がまさか殺人者を釈放する事はないだろうと思った。
やがてポンテオ・ピラト総督が、総督官邸のテラスに現れた。官邸の外から、クロディウスはその様子を見た。ピラト総督が、民衆に語り出す。
「あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう」。
しかし、人々は一斉に、
「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」
と叫んだ。このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである。ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた。しかし人々は、
「十字架につけろ、十字架につけろ」
と叫び続けた。ピラトは3度目に言った。
「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう」。
ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた。 (※8)
クロディウスは、我が耳を疑った。あの殺人者のバラバが釈放されて、あの恩人のイエスが十字架刑に?十字架刑は、我々ローマ市民には用いられない最も残虐残酷な処刑方法である。その十字架刑に、イエスが何故?死ぬべきは、明らかにバラバの方ではないか。
ピラト総督は群衆の暴動を恐れて、正しい裁きを曲げたのだ。
クロディウスが見ていると、アントニウス隊の80人全員がイエスの周りに集まった。
それから、総督の兵士たちは、イエスを総督官邸に連れて行き、部隊の全員をイエスの周りに集めた。そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、
「ユダヤ人の王、万歳」
と言って、侮辱した。また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。
このようにイエスを侮辱したあげく、外套を脱がせて元の服を着せ、十字架につけるために引いて行った。 (※9)
クロディウスは、そのような行為をひたすら耐えて見ているしかなかった。カファルナウムでイエスの奇跡を目の当たりにしていたミヌキウスもケルシアヌスも、歯を噛み締めてその光景を見つめていた。
総督官邸の敷地で血を流す訳にはいかないので、イエスは軍団駐屯基地の3つの塔の敷地へ連れて行かれた。そこであの残虐な鞭打ち刑を受け、十字架を背負わされるのだろう。クロディウスは警備の持ち場を離れることが許されなかったので、イエスのその後を見届ける事ができなかったが、鞭を打つあの残虐な嫌な音だけは聴こえてきた。
次にイエスを見た時は、茨の冠を被せられ、背中の肉と皮が鞭で無惨に引き裂かれて血が流れ、尚且つその背中に重い十字架を背負わされていた。傷だらけのイエスは、十字架を背負ったまま道を歩かされる。刑場のある第2の壁の外まで歩かされるのだ。
人々はその後のイエスの十字架刑を見たくて、家畜の群れの様にぞろぞろと後を付いていく。まるで見世物であった。気がつけば、総督官邸の前には誰もいなくなっていた。
その後直ぐに、エルサレム隊の連隊長からの使いがやってきた。隊の半数を総督官邸門前の警備に残して、混乱が予想される刑場までの警備に加わるようにとの命令だった。そこでクロディウスは、副隊長のミヌキウスに40人を預けて門前の警備を任せ、ケルシアヌス旗手と40人の部下と共にイエスの十字架の道を追った。群衆に阻まれて前に進めなくなったので、裏通りの小道に迂回して進む。
裏通りの建物の隙間から、十字架を担ぐイエスの姿が時折見えた。冠の茨が突き刺さった頭からは血が流れ、皮膚が剥がれて肉が剥き出しになった血だらけの背中には十字架が食い込んでいる。その重い十字架を背負い、黙ったまま一歩一歩と足を前に踏み出す姿は、ガリラヤで堂々と説教をしていた人物と同じとは、とても思えなかった。泣くことを生業とする泣き女達の泣き声が、建物の壁に反響して聴こえてくる。
クロディウスと部下たちは、ようやく群衆の先頭に出た。アントニウス隊の兵士達に追い立てられるように、十字架を担いだイエスがよろめきながらこちらへ向かってくる。クロディウスは、無力を感じていた。アレクサンドロスを救ってくれた恩人のイエスに、何ら救いの手を差し伸べる事もできない。百人隊長の肩書きも、何一つ役に立たない。十字架を代わりに背負う事すらできない。自分は何と無力なことか。 その時、十字架を担いでいたイエスが膝を付いた。そこでイエスを追い立てる兵士達が、たまたま沿道にいた外国人に命じて、その十字架を代わりに無理に担がせた。外国の男は、何故自分がローマで最も残酷な刑の十字架を担がされるのか意味が分からなかったが、兵士を恐れて十字架を担いだ。
刑場のゴルゴダに到着すると、イエスは十字架に手足を釘で撃たれた。十字架には「ユダヤの王」と言う札も掲げられた。クロディウスの隊は、人々が十字架に近寄り過ぎないように、群衆を押しとどめる警備の役割を担った。
→次のエピソードへ進む
(※8:新共同訳聖書:ルカによる福音書23章14~25節)
(※9:新共同訳聖書:マタイによる福音書27書27~31節)