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第二部:第四章 この人を見よ

71.雄牛隊、エルサレムへ

マーイウス月の後半となった。クロディウスもアレクサンドロスも、2週間前の出来事を経験し、自分の中の何かが大きく変わった気がしていた。それが何なのかは、自分でも良く分からない。人知を超えた事を2人は経験したのだ。哲学に造詣が深い二人でも、それを言葉でどう表現すれば良いのかが分からない。

ちょうどその頃、カファルナウムの駐屯基地の司令部から、雄牛隊に命令が下った。雄牛隊は、ユダヤの「過ぎ越しの祭」の警備のために、エルサレムに派遣されることとなった。
ユダヤの暦でニサンの月の14日から1週間に渡って過ぎ越しの祭が行われるのだが、それはローマ歴ではマーイウス月後半かアプリーリス月前半の満月の日に当たる。過ぎ越しの祭には、ユダヤ全土から何十万人もの人々がエルサレムに訪れる。
通常の平穏な日々は、エルサレムは1個歩兵隊の6個百人隊480人で警備されている。しかし祭りの日はとてもその人数では警備しきれないので、もう1個歩兵隊を派遣して2個歩兵隊960人で警備に当たるのである。

カファルナウムからエルサレムまでは、5日間かけての行軍となる。ルートの策定は、ユダヤでの経験の多い大鷲隊のベテラン陣営隊長が予め作成してくれた。ヨルダン川沿いの道を進むルートでなく、サマリア地方を進むルートに決まった。
クロディウス隊が留守の間の治安は、大鷲隊の半個百人隊40人に委ねられた。もっとも町の住民の多くもエルサレムに上るので、町の治安の悪化は避けられるだろう。
ユダヤ暦のニサンの月の7日に、雄牛隊はカファルナウムの駐屯地基地出発の日を迎えた。ちょうどエルサレム往復の間に軍団の給与支払い式の日が訪れるので、少し早いが派遣式と給与支払い式が同時に行われた。式を終えた後、雄牛隊は大鷲隊や士官達に見送られてエルサレムへと出発した。

いつもの様に道先案内人と騎乗の筆頭百人隊長が先頭を行き、それぞれの隊のシグナムを先頭にそれぞれの百人隊が続き、更にその後ろを従者たちの率いる馬車や驢馬が続いた。行軍の旅は順調に進み、出発から5日後のユダヤ暦ニサンの月12日、過ぎ越し祭の前々日に、雄牛隊は無事にエルサレムに到着した。



彼らは、ヤッフォ門からエルサレム城内に入る。ヤッフォ門の脇に、見事な3つの塔が建っていた。ファサエルの塔、ヒビックスの塔、マリアンメの塔である。これらの塔はダビデの塔と呼ばれていたが、実際に建てたのは30年以上前に世を去ったヘロデ大王である。クロディウスは、その塔を見上げる。さらにその隣には、贅を尽くしたヘロデ大王の宮殿が建っていた。さらに塔の先には、総督官邸が構えている。
ヤッフォ門を潜り抜けると、エルサレム駐屯部隊の連隊長と筆頭百人隊長や数十名の軍団兵が出迎えた。
「カファルナムの雄牛隊の諸君、ようこそエルサレムへ。明日の夜から過ぎ越しの祭が始まるので既に市内は人で溢れているが、雄牛隊と我々エルサレム隊でこの祭りを乗り切りたいと思う。早速、諸君を宿泊場所にご案内しよう。通常、我々はこのダビデの3つの塔に詰めているのだが、流石に千人もの軍団兵を収容しきれない。祭の間だけは、アントニア要塞に寝泊まりする事になっている。そこが、祭の終わりまで宿泊場所になる。」
連隊長とエルサレム隊の数十人の後に、雄牛隊が続く。市内の道は狭く、既に人で溢れ、そこを480人の軍団兵が通るだけで一苦労であった。
東側の巨大な城壁の上に、エルサレム神殿の上の部分が少しだけ見えたが、下から見上げただけでは全容は分からない。アントニア要塞は、その神殿北側に隣接して建てられている。
ここもまたヘロデ大王が建てた要塞で、かのアントニウスが全盛を誇っていた時に、彼のご機嫌を伺うために「アントニア要塞」と名付けられたのである。次にカエサルが全盛となると、莫大な財宝と最高のもてなしで必死にユリウス・カエサルに取り入った。その後アウグストゥスが全盛になると、これもインペラトール・ユリウス・カエサル・アウグストゥスを讃えるために、「カエサリア」と言う港湾都市を建設した。そしてその息子のヘロデ・アンティパスは、現在のティベリウス皇帝を讃えるために「ティベリアス」と言う町を建設したのである。アントニア要塞の入口に立ったクロディウスは、同盟国や属州の支配者の苦労の一端を垣間見た気がする。
雄牛隊は、アントニア要塞内に用意された部屋にそれぞれ散っていった。明日から、いよいよ過ぎ越しの祭の警備である。

翌朝、エルサレム隊と雄牛隊の各百人隊は、それぞれの警備場所を指定された。初日は、北門の警備に当たった。まだ過ぎ越しの祭の前日であったが、その晩から過ぎ越しの準備が始まるので、市内はすでにごった返している。その日の警備は、特段揉め事もなく終了した。
警備2日目、祭の初日にクロディウスの隊が受け持ったのは、なんとエルサレム神殿の警備だった。この祭において、最も重要な警備を要する場所である。
クロディウスの隊は、予めエルサレム隊の百人隊長からいくつかの注意を受けていた。特に肝に銘じなければならないのが、次の2点。
このエルサレム神殿には、百人隊旗のシグヌムは持ち込まないこと。ユダヤ人らは、偶像を忌み嫌うとの事だった。
もう1点、神殿の境内は、異邦人が立ち入って良い場所は異邦人の庭まで。それより奥には入らないこと。もしローマ軍の兵士が聖域に入った場合は、騒乱に発展する可能性があるので、くれぐれも気をつけるようにとの事だった。



クロディウス隊の80人が、北の門からエルサレム神殿の境内に入ると、一同は固唾を飲んだ。強大な城壁の上は、まるで空中庭園のような広い空間で、その境内の中央には美しい神殿が建っていた。それは、ローマで見た神殿とも、ヒスパニアで見た神殿とも、アレクサンドリアで見た神殿とも、カエサリアで見た神殿とも違っていた。ソロモン王が建てた神殿はとうの昔に失われていたが、このヘロデ王が再建した神殿は更に立派な外観と言う触れ込みだった。神殿の高さは30パッスースもあるらしい。そして、神殿の柱頭の意匠も素晴らしい。神殿に近づけないので詳細は分からないが、木の実や花であろうか。ヘロデ王は金に糸目を付けず、優れた職人達を雇ったのだろう。
神殿の敷地内の異邦人の庭には、屋台が並んでいて、捧げるための牛や羊や鳩が売られている。ローマのお金や異国のお金を交換する、両替商もいた。

クロディウス隊は敢えてその異邦人の庭には入り込まず、神殿を取り囲む柱廊の通路を歩いた。その柱廊も見事だった。まずその本数が、ローマでも見たことのない膨大な本数で、その一本一本の意匠も素晴らしかった。特に東側のソロモン柱廊を歩いて、南側の王の柱廊まで達した時に、クロディウスの感動は最大限に達した。
ヒスパニアのタッラコで見たラスファレラスの水道橋、エジプトのアレクサンドリアで見たファロス島の大灯台、そしてこのユダヤのエルサレムで目の前にある大神殿や見事な城壁と柱廊。クロディウスがもし軍団兵でなかったのならば、これらの人類が作った偉大な建造物を見る事もなく一生を終えた事だろう。

クロディウスがそんな事に思いを馳せていると、突然、境内の異邦人の庭から大きな破壊音が聴こえてきた。一人の男が、商売人の台を倒していた。副隊長のミヌキウスが言った。
「あの男を捕らえますか?」
クロディウスはそれを制止した。
「いや、ちょっと待て。あの男をよく見よ!」
副隊長と旗手が男の顔をよく見ると、それはあのイエスであった。

イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。
「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない」。
(※4)

クロディウスもミヌキウスもケルシアヌスも、一瞬我が目と耳を疑った。あれほど人々に穏やかに平和と愛を語り、多くの人々を癒したイエスが、商売人たちの台をひっくり返して追い出している。そのように激昂したイエスの姿は、隊員達も初めて見た。商売を邪魔されたユダヤ人が怒って、イエスに詰め寄る。

ユダヤ人たちはイエスに、
「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」
と言った。イエスは答えて言われた。
「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」。
それでユダヤ人たちは、
「この神殿は建てるのに46年もかかったのに、あなたは3日で建て直すのか」
と言った。
(※5)

騒動は、取り敢えずそこで収まったが、クロディウスはイエスが何故そんな事を言ったのか理解できなかった。このエルサレム神殿を3日で建て直す事ができる訳がないではないか。商売人を追い出す姿といい、クロディウスはイエスの事が分からなくなった。
その日の境内の警備で、騒ぎはその一件だけであった。

翌日は、別の場所の警備の当番となった。その後も交替で街中の警備に当たった。クロディウス隊の境内の警備は初日だけで、残り1週間の警護を騒動もなく終えた。過ぎ越しの祭を終えると、エルサレム隊に見送られて、雄牛隊はエルサレムを去った。そして5日後に、カファルナムに無事帰還した。


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(※4:新共同訳聖書:新共同訳聖書:ヨハネによる福音書2章15~16節)
(※5:新共同訳聖書:ヨハネによる福音書2章18~20節)