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第二部:第四章 この人を見よ

70.アレクサンドロス倒れる

マルティウス月になった。町のシカリ党は以前よりも用心深くなっており、まだ隠れ家や彼らの正体は分かっていなかった。クロディウス隊も、いつ襲ってくるか分からない暗殺者に対して今まで以上に用心し、町中の警備を強化した。
その不穏な動きがある一方で、イエスの教えは広がっているようである。部下から日々送られてくる情報の中で、最も驚いたのが取税人の話だった。
カファルナウムにはローマの収税所があるのだが、そこの取税人にレビと言う男がいる。ローマ帝国に変わって税金を取り立てるので、そもそも取税人自体がローマの犬としてユダヤ人から疎まれている。更にこのレビと言う男は、ローマが定めた税額以上に取り立てて私腹を肥やすので、罪深い男として以前から嫌われていた。
その取税人レビが、イエスの弟子になったと言うのである。その説教と行いによって評判の良かったイエスだが、罪深い取税人を弟子にしたと言う事で、ファリサイ派や律法学者達からの評判は一挙に悪くなった。

その月の5日、クロディウスの使いで基地に向かったアレクサンドロスが突如倒れた。彼は、駐屯基地の病院に運ばれた。旗手のケルシアヌスが直ぐにクロディウスに伝えたので、彼は直ぐに軍団病院に向かった。クロディウスが病院に着くと、アレクサンドロスは眠っていた。
クロディウスは、軍医に尋ねる。
「アレクサンドロスは、大丈夫なのですか?」
軍医は、渋い表情で答える。
「何とも言えません。卒中で倒れたようです。意識を回復したとしても、手足の麻痺が残るかもしれません。」
クロディウスは茫然とした。父についで、アレクサンドロスも卒中で倒れた。

翌日、アレクサンドロスは意識を回復した。しかし半身が麻痺し、呂律も回らない。動くのは、右腕だけだった。中風の症状が出ている。クロディウスは毎日、彼を見舞った。しかし、3日経っても、4日経っても症状は一向に回復しない。5日目に軍医は、クロディウスにはっきりと告げた。
「残念ながら、ここで出来ることはもう何もありません。」
それを聴いたクロディウスは、拳を握りしめる。アレクサンドロスは、父と同じ病状だった。

その日、町の当番のテント組を呼んで、アレクサンドロスを担架に乗せて、カファルナウムの家に運んだ。そして、アレクサンドロスの部屋の床に彼を寝かせた。
アレクサンドロスはクロディウスに懸命に何かを伝えようとするが、呂律が回らず意味は全く分からない。アレクサンドロスは、動く右手で何かを書く仕草をする。クロディウスは、その意味を直ぐに理解して、板と羊皮紙とペンとインクを用意した。アレクサンドロスの右手に、インクを浸したペンを渡す。それから板の上に羊皮紙を重ねてアレクサンドロスの顔の前に掲げると、彼はそこに必死に文字を書き始めた。
書き終えると、疲れたように右手を下ろした。クロディウスが、その文章を読む。こう書かれていた。
「クロディウス様、ご迷惑をおかけしました。ご存知の様に、この病を治す方法は何処にもありません。これからはお役に立てるどころか、ご迷惑しかかけられません。もう先は長くないようです。速やかに逝かせてください。」
クロディウスは、板と紙をテーブルに置いて言った。
「何を言っているのだ。お前がいなかったら、今の私はない。お前を見捨てることなど、決してあり得ない。お前は、何も心配するな。今まで仕えてくれたお前に、今度は私が仕える番だ。安心して休んでいなさい。」
アレクサンドロスの目には、涙が溢れていた。

陣営隊長のフラウィス、筆頭百人隊長のユリウス、そして同期兵で友人でもある百人隊長アッリウスも、アレクサンドロスを心配して見舞いに来た。アレクサンドロスの料理を食べたことのある、長年の付き合いの面々である。アッリウスは、クロディウスに言う。
「友人として、何でも言ってくれ。できることは何でもしよう。」
フラウィスもユリウスも、同じように言ってくれた。クロディウスは応える。
「ありがとう、アッリウス隊長。ユリウス隊長。フラウィス隊長。」

アレクサンドロスが倒れたと聞いて、アンナスら町の長老や人々も見舞いにやって来た。教養が高く性格も穏やかなアレクサンドロスは、カファルナウムの人々からも好かれている。アレクサンドロスは、奴隷の身分で従僕の立場だったが、彼と出会った人は彼を異邦の奴隷として見下す者は一人も無く、むしろ彼に尊敬の念を抱いた。彼は親切に客をもてなし、時間があれば町の子供たちにも学問を教えていたのである。アンナスも、アレクサンドロスの病態をたいへん心配した。
クロディウスは、アンナス達にお願いをした。
「長老方にお願いがあります。イエスに、私の僕を癒してくれるよう頼んではいただけないでしょうか。あのイエスであれば、アレクサンドロスを救えます。
しかし私の様な人を殺す生業の者が、平和を伝えるイエスの所に行くのは相応しくないでしょう。それに私が直接イエスの所に行けば、イエスが親ローマ派と見なされて、暗殺者に狙われる事になるかもしれません」。
アンナスは答えた。
「分かりました。この町に尽くしてくれているあなたの要望ならば、喜んで参りましょう」。
アンナスと長老達は、部屋を出ていった。

長老たちは、イエスのもとに来て、熱心に願った。
「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです」。
そこで、イエスは一緒に出かけられた。ところが、その家からほど遠からぬ所まで来たとき、百人隊長は友達を使いにやって言わせた。
「主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。ひと言おっしゃってください。そして、私の僕をいやしてください。わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします」。
イエスはこれを聞いて感心し、従っていた群衆の方を向いて言われた。
「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」。
使いに行った人たちが家に帰ってみると、その部下は元気になっていた。
(※3)


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(※3:新共同訳聖書:新共同訳聖書:ルカによる福音書7章4~10節)