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第二部:第四章 この人を見よ

69.カファルナウムでの奇跡

それから数日後、部下の密偵から連絡が入った。クロディウスは、副隊長のミヌキウス、旗手のケルシアヌスと共に、奥の部屋で私服の軍団兵から報告を聞く。
「再びシカリ党の者達が、町に入ったようです。親しくなった住民から得た情報ですが、シーカーリィーを懐に隠し持っていると思われるよそ者を、何人か見たそうです。彼らの人数や隠れ家はまだ不明です。」
クロディウスは言った。
「うむ。では、今後も内偵を続けてくれ。彼らも学んだろうから、我々の雇った情報屋を送り込むのはもう難しいかもしれんな。」
「了解しました、隊長。」
そう言って、私服の軍団兵は退出した。
「それと、彼らが再びヤフツェルに手を出さないように、アンナス邸の警備にも何人か割いてくれ。」
クロディウスは、ミヌキウスにそう命じた。
「了解しました、隊長。」

カファルナウムの町では、しばらくイエスやその弟子達の行動の噂は聞かれなかった。部下の報告によれば、カファルナウムを出てガリラヤの他の町に行って教えているようである。

数日後、再び騒動が起こった。イエスがカファルナウムに戻って来たと言うので、大勢の人々がイエスのいる家屋に集まっていると言う。クロディウスは、再び私服で副隊長や旗手、十人隊長、そしてアレクサンドロスと共に、その家に向かった。
家の家屋は戸口の辺りまで人がいっぱいで、クロディウス達も外から中の様子を伺うしかなかった。中でイエスが何を語っているのかまでは、遠すぎて分からない。そこに4人の男が、床の上に病人を乗せてやって来た。見たところ中風のような症状で、体が動かないようだった。手足は縮こまり、体はやせ細っている。
彼らは、その病人を中に入れたいようだったが、群衆が多すぎて中に入れない。クロディウスは、いったい彼らはどうするつもりなのだろうと思って見ていたが、彼らは突拍子もない事を始めた。彼らは家の脇の階段で屋根に上っていったのである。
そして彼らは屋根をはがして、穴をあけ始めた。ミヌキウスが言った。
「屋根を破壊しています。止めますか?」
クロディウスは答えた。
「いや、様子を見よう。」
4人はその屋根の穴から、病人の寝ている床をつり降ろした。クロディウスの所からは、家の中がよく見えないが、何やら驚嘆する声が聞こえてきた。そして次の瞬間、クロディウスも、ミヌキウスも、ケルシアヌスも、2人の十人隊長も、アレクサンドロスも、驚きの光景を目にした。先ほどの中風と思われる病人が、自分の床を抱えて家から出てきたのである。手足はやせ細っていたが、曲がっていた腕や脚は伸び、しっかりと歩いていた。

人々は皆驚き、「このようなことは、今まで見たことがない」と言って、神を賛美した。 (※2)

周囲の人々同様に、クロディウスもこの様な光景は見たことが無かった。彼は、亡き父アンニウスを思い出した。

父は、事故で体の自由を失った。そして高額な治療費を医者に支払ったが治らなかった。ローマ中の神々に祈願したが、父を治せる神など何処にもいなかった。挙句の果てに、苦労して貯えたお金を占い師に騙し取られてしまった。
父との別れの時の言葉を思い出す。
「どんな大金も名誉も、不治の病や死の前には何の役にも立たない。ギリシャやローマの神々でさえも助けてはくれない。神などはこの世におらんのだ。頼れるのは自分の体と信頼できる仲間だけだ。この事を忘れるな」。
父は晩年、仕事で倒れた後、中風の症状で苦しみ、そして世を去った。しかし、その病を治した者が目の前にいる!父よ、確かにいるのだ!彼は間違いなくの人間の姿をしているが、最高の医者にもローマやギリシャの神々にもできない事を、現実に成したのだ!

クロディウスの頬に涙が伝った。部下の前で涙など見せたことなど、一度もない。しかし、そんな事は全く気にならない。そもそも部下達も、癒された男と喜ぶ4人の友人達を茫然として見つめていて、誰も隊長の顔など見ていなかった。

奇跡を目にした帰路、クロディウス達は無言だった。最初に口を開いたのは、副隊長のミヌキウスだった。
「今日の報告書はどう書きますか?」
クロディウスは、ミヌキウスの目を見て答えた。
「報告書に、何が書けるだろうか?この騒ぎは、反乱でもなければ、暴動でもない。長年中風だった者が、ある男により奇跡的に癒された・・・報告書に書けると思うか?今日の出来事は、我々の心のうちに締まっておこう。」


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(※2:新共同訳聖書:マルコによる福音書2章12節)