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第二部:第三章 カファルナウムの平和
66.町での騒ぎ
その年のオクトーベル月、クロディウスの下にローマから1通の手紙が届いた。1日の勤務が終わり、書斎の机で彼は手紙の封を開けた。手紙に目を通す。
次の瞬間、クロディウスは頭を項垂れた。手紙の内容は、父アンニウスの死を告げ知らせるものだった。不自由な手足で、港湾の荷下ろしや荷運びの仕事を続けていたが、まだ暑さの残るセプテンブル月の10日に卒中で倒れたらしい。その後、中風の症状で体が動かなくなり、5日後に亡くなったと書いてある。62歳であった。父が亡くなって、もう1ヶ月近く経っている。クロディウスは、書斎にアレクサンドロスを呼び、彼にも手紙に目を通してもらう。
その後、アレクサンドロスの口述筆記で家族に手紙を書き、最後にクロディウスが署名して、蜜蝋と刻印で封をした。
春にはユリウスが亡くなり、先月は父アンニウスが世を去った。親しい者達が、次々に亡くなっていくのは、月が少しずつ欠けていくような悲しさ、侘しさを感じる。人は何故死ぬのだろう?答えの出ない哲学的な謎を、自分に問いかけるクロディウスであった。同じ時代のローマの空気を吸っていたアレクサンドロスが側にいてくれる事が、とても有難く慰めになった。
その騒ぎは、突如として起こった。昼間、町の広場で喧嘩が起こった。ちょうど、仮庵の祭りの時期で、長老や町の指導者達がエルサレムへ行っている最中のことだった。
クロディウスが駆けつけた時は、喧嘩は収まっていた。3人のよその隊の兵士が、クロディウス隊のパトロール隊6人に羽交い絞めにされていた。足元には、地元の若いユダヤ人男性2人が顔から血を流して蹲っていて、パトロール隊の2人が彼らを介護している。広場の周囲には、すでに人だかりができている。群衆に、不穏な空気が漂っていた。対応を間違えれば暴動に発展する可能性がある事を、クロディウスは十分に理解していた。
クロディウスは、配下のテント組十人隊長に言った。
「何があったのだ?」
十人隊長は答えた。
「この3人は、泥酔しています。ユダヤの若者に因縁をつけて、管を巻いたようです。挙句の果てに、2人を殴ったり蹴ったりしたようです。」
次にクロディウスは、酒の臭いのひどい3人に尋ねた。
「昼間から酔っているのか?お前達は、どの隊の所属だ?」
「うるせいぃ、このユダヤの犬がぁ~!休息日に、自分の金で飲んで何が悪いぃ!闘技場もねえ、テルマエもねえ、女もいねえ、酒もねえ、何にも無えじゃねえか、ここは!何でこんなクソ田舎にいるんだ、俺達はぁ~!」
軍団兵は、呂律が回っていない。カファルナウムの町に、昼間から酒を出す店は無い。自分達で持ち込んだのだろう。
彼らの代わりに、十人隊長が答えた。
「この兵士達の事は、知っています。アントニウス隊の者達で、シグナークルム(認識票)で名前も確認しました。普段から素行が悪く、テント組の若い兵士達に暴力を振るっていると言う噂がある者達です。」
クロディウスは、小さく頷いた。そして、広場を取り囲む群衆に大声で告げる。
「この軍団兵達は、罪のない若者に怪我を負わせた!そして町の安寧と秩序を破り、軍団の規律も破ったこの3名の不埒な兵士は、ローマの法に従い鞭打ち刑に処されるだろう!怪我をした2人の若者には、十分な手当と償いをする!」
不穏な空気が漂っていた広場だったが、クロディウスの演説と共に歓声に変わった。ローマの百人隊長は、カファルナウムの人々の敵ではないと皆に知らしめたのである。
群衆の中に、騒ぎが暴動に発展したらローマ兵を殺害しようとしていたシーカーリィー短剣を隠し持った男達が紛れていたが、百人隊長がその場を上手く収めてしまったので、その場はおとなしく引き上げた。
その日、軍団に騒ぎの報告を行うために、クロディウスは基地に戻った。司令部の連隊長室に呼ばれたのは、筆頭百人隊長のユリウスとアントニウスとクロディウスの三人だった。彼らよりずっと年下で、元老院議員出身の連隊長クイントゥスが厳しい口調で言う。
「報告は聞いた。泥酔で若者に怪我を負わせた3人の軍団兵は、鞭打ち刑に処す。そして、隊長のアントニウスは、4ヶ月間の減俸に処す。それで不満はないな?」
3人は答えた。
「はい、連隊長殿。」
「このユダヤの地では、ローマへの敵対心が高まっている時期だ。不用意な刺激を与えて、暴動などを起こさせる事のないように。以上が、ユニウス司令官の言葉だ。配下の者に、目を光らせておくように。」
「はい、連隊長殿。」
こうして、三人は連隊長室を退出した。
ユリウス筆頭百人隊長は、アントニウスに言った。
「これは、上官として命ずるのではない。嫌味で言うのでもない。長年苦楽を共にしてきた先輩として、いや仲間として言おう。我々も、もう退役が近い身だ。アントニウスよ、お前も生き方を見つめ直したらどうだ?今のアントニウス隊の姿は、お前自身の姿だ。」
アントニウスは、答えなかった。ユリウスは、静かに去っていった。 後に残ったクロディウスに、アントニウスが言った。
「これで満足か?俺に恥をかかせて。」
アントニウスは、クロディウスを睨んで言った。クロディウスも、彼の目から視線を外さない。
「ユリウスの言う通りだ。私も同期の兵として心から願う。正しい事を行え。」
「何を偉そうに。ローマ兵を鞭打ち刑にして、ユダヤ人共の味方をする。それの何処が正義だ?お前はローマの兵か?それともユダヤの兵か?やつらはローマ人やローマ兵を殺した。奴らを鞭打ち、殺すがあっても、赦すこと等は断じてあってはならない!武力で圧倒し、奴らに抵抗が不可能な事を示せば、反乱など起こりようもないのだ!」
アントニウスは、言いたい事を曝け出して去っていった。クロディウスとアントニウスの溝は、深い渓谷のように深まっていた。
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