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第二部:第二章 ユダヤへ
60.ユリウス・ルフスの門出
その夜、駐屯地の司令部の広間を借りて、雄牛隊の士官全員が集まった。雄牛隊が無事到着したため、筆頭百人隊長ユリウス・ルフスの任が、今日を限りに解かれる事になった。25年の軍役を終え、新たな人生を歩むのである。その門出を祝う饗宴が催された。
クロディウスが船旅の間に計画していて、従僕アレクサンドロスが音頭を取って他の隊長の従者達と、腕に縒りをかけて料理を作る。中央にテーブルをいくつか並べ、くつろげるようにテーブルの周りに寝台も用意した。
18人全員が席に着くと、ユリウス・ルフスが口を開く。
「諸君、固い話は抜きだ!今日は存分に楽しもう!」
次から次へと料理が運ばれて来て、ユリウス隊長との別れを惜しみつつ饗宴を楽しんだ。特に同じテント組であった、烏のユリウス、穴熊のフラウィス、紅鶴のユリウス、そして熊のクロディウスの4人は、夜遅くまで語り合った。一方、アントニウスは彼らに冷ややかな視線を向けながら、配下の副隊長と旗手と共に早々に宴を後にした。
翌朝、整列した雄牛隊に見守られて、ユリウス・ルフスはカファルナウムの基地を去った。その後、雄牛隊も駐屯地の日々の任務に戻った。
ユリウスは、道先案内人と自らの従者と共に、ティベリアスへの道を歩いていた。従者は、ユリウスの荷物を積んだ驢馬を引き連れていた。驢馬の背中には、ユリウスの鎖帷子や兜、剣や盾、パエヌラや着替えなどが革袋に入れられて、積まれている。
「ティベリアスには馬車のご用意がありますので、そこからカイサリアまでは馬車でのご移動ができます。そこまでは、歩きでご容赦くださいませ。」
道先案内人がそう言うと、ユリウスが答える。
「なに、心配無用だ。軍団のいつもの長距離行軍に比べたら、10ローママイルかそこらなぞ、朝の散歩にちょうど良いくらいだ。」
湖沿いの道は左右ともに見晴らしが良く、とても良い眺めで風も気持ち良かった。ガリラヤ湖に朝陽が反射して、キラキラと光っている。軍団生活に完全に終止符を打ち、今日からは騎士階級としての新たな人生が始まるのだ。
「美しい朝日だな。」
ユリウスがそう言うと、従者も同意した。
「はい。」
早朝のためほとんど誰ともすれ違わずに、ティベリアスまであと3ローママイルの所までやってきた。1時間もすれば、ティベリアスに到着である。
ちょうどそこから陸側の平地が終わり、草木の生えていない丘陵に変わる。突然、ユリウスが立ち止まった。従者が、不思議に思って尋ねる。
「どうなされたんですか?」
ユリウスの顔が、真剣な表情になっていた。
「2人とも良く聴け。今すぐに駐屯地へ戻れ。驢馬と荷物は、全部置いて行って良い。振り返らずに走れ。」
水先案内人と従者は、意味が分からなかった。
「何故ですか?」
「口答えするな、行け!これは命令だ!走れ!」
従者は、主人がこれほどまでに強い口調で命じたことは無かったので、命じられた通りに、訳も分からず道先案内人と2人、元来た道を駆け出した。
ユリウスは2人が遠ざかるのを見届けてから、前方に向き直った。左手の丘の岩陰から、黒い布で顔と体を覆った男達が降りて来た。その数、5人。崖上の待ち伏せか。ゲリラ戦ではよくある戦法だ、とユリウスは思った。ユリウスは、驢馬の背中の革袋からマインツ剣を取り出して鞘から抜く。
黒装束の男達が、ユリウスの前に立ちはだかる。中央の男が言う。
「よく気がついたな。」
ユリウスは答えた。
「目は良いものでな。」
「5人を相手に怯える様子もないとは、流石に士官のことだけはある。」
「ほう、私の素性を知っているとなると、唯の盗賊ではないな。」
彼らは、一斉に懐から短剣を取り出す。湾曲したシーカーリィーだった。
「抵抗しなければ、直ぐに楽にしてやる。」
「百人隊長の強さを舐めるなよ。5分後にお前達の死体が5つ、ここに並んでいる事になる。覚悟はできているのだろうな?そんな短剣で私とどう戦うつもりだ?」
「こう戦うつもりだ。」
その瞬間、ユリウスの体を衝撃が貫いた、彼が自分の横腹を見ると、何か尖ったものが突き出ている。矢先だ。そして、もう一度衝撃が襲った。もう一本の矢先が、腹から飛び出ている。横を見ると、岩陰に隠れていた敵が弓を放った後だった。しかし、ユリウスは倒れない。5人の暗殺者が、一斉にユリウスに襲いかかった。ユリウスは、長剣で応戦する。その一太刀が、1人の腕を切り裂いた。男が、悲鳴を上げる。
その悲鳴で、ユリウスの従者は主人の命令を破り、立ち止まって振り向いた。同時に、道先案内人も振り向く。主人のユリウスが、盗賊達に襲われている。それを見た従者は、主人の方に戻るため駆け出した。道先案内人が、それを制止しようと腕を掴む。
「相手は大勢です!行ってもどうにもなりません!」
「ならば、主人と命を共にします!」
そう言って従者は案内人の腕を振り切り、主人のユリウスの方に駆けて行く。彼は驢馬の背の荷物から主人の短剣を取り出し、黒装束の男達に向かった。敵もあちこちに傷を負っていたが、ユリウスの体には2本の矢が刺さり、敵の短剣によって腕も顔も体も傷だらけだった。主人を助けようと鞘から短剣を抜いて1人の男に突進したが、プロの暗殺者に歯が立つ訳もなく、逆に短剣を持つ右腕を刺されてしまった。それを見たユリウスは、従者をかばって覆い被さるように地面に倒れた。
「ユリウス様、どいて下さい!」
ユリウスはどかない。黒装束の5人は、ユリウスの背中をシーカーリィーでめった刺しにした。ユリウスが動かなくなったのを見て、彼らは速やかにその場を去った。
従者は、覆い被さっている主人のユリウスに言った。
「ユリウス様、逝かないでください!私もお供します!」
「お前はまだ若い。生きよ。最後の頼みがある。今後は私にではなく、カナバエに住む私の家族に仕えて欲しい。彼らへの財産も残してあるから。」
「ユリウス様!」
「よろしく頼む。」
そう言うと、ユリウスは息絶えた。従者の泣く声が、誰もいないガリラヤ湖畔に虚しく響いた。
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