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第二部:第二章 ユダヤへ

54.ポンテオ・ピラト

ユダヤ全土に数千人もいると思われるシカリ党だったが、バラバと共に隠れて活動しているアジトの仲間たちは、当初僅か20人ほどだった。彼らは、ヘロデ・アンティパスの領地であるペレアの山岳地方を拠点として、時折ヨルダン川を渡ってローマ帝国の直轄領の属州ユダヤに入ってはローマの商人や彼らと取引をする人々を襲った。その盗賊行為が次第に知れ渡るようになり、シカリ党の中でもバラバの評判は次第に高まっていき、彼の下に集まる仲間も日毎に増えていった。
ローマ人を殺害する者は全て強盗であり、ローマ帝国の敵である。ティベリアス帝の治世第13年目、雄牛軍団がタッラコに出発したのと同じ年に、ローマから派遣されたばかりのポンテオ・ピラト総督は、この厄介な盗賊達を壊滅せねばならなかったが、その前に解決しなければいけない問題が山積みだった。
ピラト総督は、皇帝の胸像が付いた軍旗をエルサレムに持ち込んで掲げた。これがユダヤ市民を憤慨させてしまった。彼らはいかなる像も偶像として忌み嫌い、それを聖なるエルサレムに掲げる等と言う行為は絶対に許せることではなかったのである。ユダヤの人々の態度は硬化するばかりで暴動寸前になり、ピラト総督が折れて軍旗を撤去せざるを得なかった。彼もまたローマの騎士階級出身の官僚であり、失策を母国ローマには知られたくはなく、内密かつ穏便に済ませたかったのである。
これからのユダヤ統治のため、ポンテオ・ピラトはあれこれと算段を重ねていた。まずは、ここに赴任する前にローマに依頼しておいた軍団の増強兵が、近々到着する予定である。いずれにせよ、多神教の国ローマで育ったポンテオ・ピラト総督にとって、一神教の国ユダヤの統治は前途多難であった。


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