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第二部:第二章 ユダヤへ
52.精鋭部隊の雄牛隊
雄牛隊の第2戦列歩兵隊への再編成が発表されたのは、セプテンブル月の事だった。その前の月のアウグストゥス月、今年は大きな再編成と言う事もあり、通常よりも多くの新兵達がこのタッラコに地に到着した。
そして彼らは毎日、教官に厳しくしごかれていた。クロディウスも19年前はあんな風にしごかれていたかと思うと、懐かしさを感じずにはいられなかった。
クロディウス達の教官だったウェトゥリウス・ゲメルスは、10年前に教官の役目を終えて故郷へと帰った。クロディウスが、まだ百人隊の旗手だった頃である。当時クロディウスは、帰郷が決まっていたウェトゥリウス教官と直に話したことがある。教官はこう言っていた。
「新兵達に範を垂れる以上は、自ら新兵以上の体力を常に見せつけなければならない。軍団兵は、言葉だけでは示しがつかんからな。だが、齢には勝てん。まあ、貧弱だったお前さんが立派な騎手になったので正直に言うが、私には新兵達と競える体力はもう残っておらん。で、軍団を去る事にしたって訳だ。」
常に新兵達と同じ距離を行進し、格闘教練でも誰よりも強く、当時は無敵に思えた教官も、一人の人間だったのである。彼もまたマルキウス隊長と同様、最後まで軍団兵としての使命を全うした信念の男であった。
今、新兵達を鍛えている後任の教官も、やはり鬼の様な形相で新兵達に睨みを利かせている。新兵達が一人前の兵士に育つよう願いながら、彼らの前を通り過ぎるクロディウスだった。
セプテンブル月の後半、雄牛隊の6個百人隊は、第1戦列歩兵隊の兵舎から、第2戦列歩兵隊の兵舎への引っ越しの作業を始めた。6人の百人隊長は、それぞれ従者を従えていた。一昨年まで従者を雇わなかった同期のアッリウスも、昨年遂に地元ヒスパニアのイベリア人を自らの従者とした。
クロディウスの従僕となったアレクサンドロスも、3年間で軍団基地の生活に随分と慣れた。隊で必要な物は直ぐに気がついて手配してくれるし、何よりもその語学力が重宝した。今やクロディウス自身が、上官への報告書や故郷への手紙を書く事はなく、ほとんどアレクサンドロスの口述筆記である。
第4席百人隊長のプリンケプス・ポステリオルともなると、居住は兵舎の一角ではなく、小さいながらも一棟の兵舎が与えられた。これで同部屋暮らしだったアレクサンドロスにも、ようやく部屋を一つ与えられる。休息日には、これらの宿舎にカナバエの家族を呼び寄せる士官達も多い。その内、自分もユリアや親父さんをこの宿舎に招待しようと思う。アレクサンドロスの料理で、十分なおもてなしができるだろう。
アレクサンドロスがいてくれるお陰で、引っ越しは順調に進んだ。アレクサンドロスが、運んできた荷物の件でクロディウスに尋ねた。
「これらの置物は、どこに置けば良いですか?」
クロディウスがアレクサンドロスの手元を見ると、それは動物達の置物だった。
「前と同じように、机の上に並べてくれないか。順番があるんだ。鳩、烏、穴熊、野犴、禿鷹、紅鶴、梟、熊の順で頼むよ。」
記憶力が良いアレクサンドロスは、一度でそれを覚えて順序良く並べた。
「前からお聴きしたいと思っていたのですが、この動物達に何か意味はあるのですか?」
アレクサンドロスの質問に、クロディウスが答える。
「この動物達は、私が最初に配属されたテント組隊員の愛称なのだ。とてもお世話になった十人隊長のカッシウスは、伝書鳩。烏は、アレクサンドロスも良く知っている、日焼けしている方のユリウス百人隊長。穴熊は、同じく百人隊長のフラウィス。野犴は、剣術が得意だったアントニウス。禿鷹は、狩りの名手だったドミティウス。紅鶴は、もう一人の方のユリウス百人隊長。梟は、私に色々教えてくれた恩人のファビウス。彼は、山の達人だったのだよ。そして、熊が私だ。 このテント組8人の中の4人は、最初の1年で盗賊との戦いで亡くなってしまったのだ。それを記念するために、タッラコの職人に頼んで、この置物を作ってもらったのだよ。」
アレクサンドロスはそれを聞いて、この置物に込められたクロディウスの気持ちを理解した。
「そうだったのですか。では壊さないように、気をつけてお掃除をいたします。」
「ありがとう、アレクサンドロス。」
それから一時間ほどで、全ての引っ越し作業を終えた。
新たに第2戦列歩兵隊にやってきた雄牛隊だったが、軍団兵は歩兵隊毎の帰属意識、仲間意識が高く、新参者の雄牛隊はなかなか受け入れてもらえなかった。特に雄牛隊の若造百人隊長達が、自分達と同じ位格のプリンケプス・ポステリオルやプリンケプス・プリオルである事に我慢がならなかったようである。
また雄牛隊は、規律を重んじ不義を嫌う融通が利かない頑固な歩兵隊として知れ渡っていたので、余計に配属された隊の士官達から煙たがられた。そのような事もあって、第2戦列歩兵隊内で軍団兵が嫌がる仕事は、この新参者の雄牛隊に割り当てられる事が多かったが、2人のユリウスもフラウィスもアッリウスもクロディウスも、そのような事は気にしなかった。マルキウス隊長の目に見えぬ遺産は、まだ脈々と続いていたのである。ただ1人の例外は、アントニウスである。彼は早速、騎士階級の資金力や人脈を使って、千人隊長や上位士官に取り入ろうと画策を始めていた。
オクトーベル月も後半の晩秋となり、軍団基地も冬営準備の季節となった。今年も、冬営用の薪集めに山に入る。第2戦列歩兵になったことにより、より楽な近場での薪の採取が可能となった。
そしてノウェンベル月となり、冬営の季節の到来。薪を燃やす煙が、あちこちの兵舎から立ち上る。クロディウスは、第二戦列への再編に伴う種々雑務から2ヶ月ぶりに解放されて、久々に家族に手紙を書く時間を持つことができた。
「拝啓、息子のクロディウスより、父アンニウスと母ベレニケへ。」
クロディウスがそう言うと、アレクサンドロスはその言葉を羊皮紙に書き写す。
「我がクロディウス百人隊は、他の馴染みの百人隊と共に第2戦列歩兵隊に昇格となりました。このヒスパニアも平和が維持され、部下の隊員達も皆元気です。アレクサンドロスは、私の身の回りの世話をしてくれております。義父のラウディウスも妻のユリアも相変わらず元気で、娘のポッペアも10歳となりました。ギリシャ語やラテン語の筆記も上達しています。彼らもいつかローマで私の家族に会える日を、楽しみにしております。
弟のカルや妹のドゥルシラやポッペアは、元気にやっているでしょうか?ヌム親方にもよろしくお伝えください。」
アレクサンドロスが口述筆記を終えると、手紙の最後にクロディウスが署名し、手紙を蜜蝋で封をした。もっとも海が荒れる危険な冬期では、船が出航できない事も多いので、手紙がいつローマに着くのかは分からないのだが。
デケンブル月が過ぎ、マルティウス月となった。その月の第1日、4ヶ月に1度の軍団給与支払い式が行われた。新兵達にとっては、ピカピカの武具に身を包んだ初めての閲兵式である。
この頃になると、第2戦列歩兵隊で新参者だったクロディウスらの歩兵隊も次第に馴染んできて、他の歩兵隊との一体感が増していた。
アプリーリス月とマーイウス月の冬営期間が過ぎて、ユーニウス月が到来した。春の訪れである。その第1日に、全軍団兵を給与支払い式と同様に基地南側の壁前に整列させ、司令官は重大な発表を行った。
「第Ⅳ軍団の諸君。我が軍団の貢献も大きく、このヒスパニアは長らくローマによる安寧と秩序を享受している。しかしローマの他の属州には、まだこの偉大なるローマに敵対しようとする不遜な輩が存在するのも、また事実である。
そこで我が第Ⅳ軍団は、ティベリウス帝より栄誉ある使命を与えられた。反抗勢力の力が増大しつつあるユダヤの地に、この第Ⅳ軍団から精鋭の部隊を送り、かのユダヤの地に安寧と秩序をもたらす事に貢献することとなった。
そこでこの栄誉ある任務に、我が第Ⅳ軍団の精鋭部隊である雄牛隊を派遣することとなった!」
軍団兵から、一斉に歓声が上がる。歓声の声が静まるのを待ってから、司令官は続けて言う。
「雄牛隊は、かつて南方での暴動の鎮圧にも貢献し、北方のかのヴィリアトゥスの率いる盗賊2,400名の討伐にも多大な貢献をした勇猛果敢な部隊であることは、諸君もよく知っているだろう。雄牛隊ならば、ティベリウス帝の命じた使命に、必ずや応えてくれるであろうことを私は確信している。雄牛隊の480名と士官達に、栄光とローマの神々のご加護があらんことを!」
司令官の演説に、軍団兵は即座に呼応する。
「雄牛隊に栄光あれ!ローマの神々のご加護あれ!雄牛隊に栄光あれ!ローマの神々のご加護あれ!」
基地の壁を揺るがすほどの轟きは、しばらく続いた。
こうして、クロディウス達が属する第Ⅳ軍団マケドニカ第2戦列歩兵隊の雄牛隊の480人と士官達は、ユダヤに送り出される事となった。
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