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第二部:第一章 再会

49 アレクサンドロスとの再会

クロディウスが百人隊長になってから2年後の夏、クロディウスは1つ上位の第5席百人隊長のハスタートゥス・プリオルに昇進した。彼も軍団生活16年目で、33歳になっていた。
百人隊長ともなると、兵舎の1人部屋が与えられる。テント組の8名での生活も勉強になったし、楽しい一面もあった。しかし共同部屋生活の2年目以降は、新兵や若い隊員達の教育係の役割も担っていて、心理的にも空間的にも休めなかった。かつてのカッシウス隊長やファビウス達先輩が自分にしてくれたように、自分も彼らにしてあげられているだろうか?自戒の意味も込めて、クロディウスは時々自らに問う。
2年前から1人部屋暮らしとなった百人隊長のクロディウスは、百人隊全体の事を考えなくてはいけなかった。彼が、心に誓っていたことがある。お金や虚栄心の虜にならない事こと クロディウスの努めは、部下の軍団兵が忠実に職務を果たせるように見守ること、それぞれの実力や才能を見極めて公平に処すること、機会を与えること、部下が誤った行動を取った時には厳しく戒め、その後正しい選択ができるように導くこと。そう、かつてのマルキウス隊長がそうした様に。クロディウスの百人隊は、マルキウスの目に見えぬ遺産を引き継いでいた。

1人で過ごす時間が増えると、以前よりも物事を深く考えるようになった。大好きな本を読む時間も増えた。ローマの家族や退役していった諸先輩に、手紙を書く時間も増えた。隊員の日々の教練にもなるべく顔を出すようにはしていたが、実際は副隊長や旗手に任せる事も多い。自分は、専ら歩兵隊の会議に出席したり、上官に出す報告書作成に割く時間が多くなっていた。
今の彼の副隊長の名前はミヌキウス・マクシムス、旗手の名前はケルシアヌス・アッリアノスであった。いずれも軍団叩き上げの兵士達である。
ミヌキウス副隊長は29歳、ケルシアヌス旗手は26歳。両名ともこの百人隊で労苦を共にした仲間であり、信頼できる士官達である。袖の下や人脈の乱用で、次第に公平性や清廉性が失われつつある第Ⅳ軍団の中で、第1戦列歩兵隊のクロディウスやユリウスやフラウィスらの5個百人隊は、未だに相互の信頼と規律を保っている高潔な百人隊として、他の歩兵隊の若い兵士達から羨望の眼差しで見られていた。それだけ若い兵士らが、上官の気まぐれな暴力や不公正な取り扱いで辛い日々を過ごしている・・・と言う事の裏返しでもある。

休息日、クロディウスは家族でタッラコの町にでかけた。ユリアは32歳に、ポッペアは7歳になっている。クロディウスは、平日カナバエに行ける夜は、妻や娘にラテン語やギリシャ語を教えていた。そのせいかポッペアは最近本を読むようになり、町に行っては本屋に入り、羊皮紙の本を手に取るようになった。百人隊長のクロディウスにとってすら本は高価なので、玩具代わりに気軽に娘に本を買ってあげる訳にもいかない。自分が既に持っている本を薦めたが、ガリア戦記は7歳の女の子にはつまらないようで、哲学書は難し過ぎるようで、どちらにも全く興味を示さない。ポッペアは、きれいな絵の多い本が好きなのだ。
その日もポッペアはタッラコの町に入ると、いの一番で本屋に入った。その本屋は先週開店したばかりの店で、タッラコの町で2店目の本屋だった。店の名前は「マルクスの本屋」。ポッペアは真新しいドアを開けて、本屋に入った。続いて、クロディウスとユリアも入る。
「いらっしゃいませ。」
本屋の店主が言った。クロディウスは、その響きに得も言われぬ懐かしさを感じて、その声の主の方を見た。
「アレクサンドロス!」
と、クロディウスは驚きの声を上げてしまった。間違いなく、ギリシャ人奴隷にしてペトゥロニウス家の家僕、アレクサンドロスである。店の主人も、その声に反応して彼の顔を見た。
「クロディウス様ですか!?」
二人は駆け寄って、抱擁を交わした。16年ぶりの再会である。それを見たユリアとポッペアも、また驚きの表情を浮かべている。
「いや、懐かしい!」
クロディウスがそう言うと、アレクサンドロスも言った。
「本当に懐かしいです。立派になられましたね。まだタッラコにおられたら、もしかしたらお会いできるかもとは思っていたのですが、こんなに早くお会いできるとは!」
クロディウスは、嬉しくてたまらなかった。
「10年以上前にペトゥロニウスさんが亡くなった手紙をもらってから、手紙が届かなかったから心配していたんですよ。手紙も何度も書きました!」
「実はあれから色々ありまして、私はペトゥロニウスさんの御屋敷を出まして、手紙は私に届いていないのですよ。」
「そうだったのですか。」
クロディウスがそう言うと、アレクサンドロスはユリアとポッペアを見て言った。
「奥様と娘さんですか?」
「あっ、紹介がまだだったね!妻のユリアと、娘のポッペアだ。」
とクロディウスが紹介すると、ユリアがあいさつした。
「初めまして、妻のユリアです。」
続いて、ポッペアも言った。
「初めまして、ポッペアです。おじさんは、お父さんの知り合いなの?」
「初めまして、ポッペアさん。お父さんとは、ローマでの知り合いなのですよ。」
と、アレクサンドロスは軽い笑みを浮かべて言った。
「アレクサンドロスさんはね、お父さんの恩人なんだ。ギリシャ語やラテン語や、色んな学問を教えてくれてね。お父さんがローマ軍団に入れたのも、アレクサンドロスさんのお陰なんだよ。」
「へ~!」
と、ポッペアは言った。クロディウスは言う。
「お互いの積り積った話をしたいな、アレクサンドロス。」
と言うクロディウスに、アレクサンドロスは答えた。
「私も色々とお話ししたいのは山々ですが、お時間を取って折角のご家族の団欒の邪魔をするのは忍びなく・・・。」
「いえ、私も主人の恩人のお話しを聴きとうございます。」
ユリアの言葉に、アレクサンドロスもほっとしたようだった。
「では、今は店を閉める訳には行きませんので、お昼ご飯をご一緒にいかがでしょう?」
「それは良いね!それまで、家族で町の中を散歩してくるよ。」
クロディウスら3人は、アレクサンドロスに挨拶して店を出た。

クロディウス達は、町のお店をいくつも回ったり港や海岸を歩いたりした後、昼食時間にマルクスの本屋に戻った。店のドアを開けると、アレクサンドロスが待っていてくれた。3人を中に招き入れると、アレクサンドロスは「お昼休み休憩中」の看板をドアの外側にかけた。
「さあ、店の奥にどうぞ!」
店のカウンター奥のドアを開けると居間があり、中央には四人にちょうど良いテーブルと椅子が置かれている。その上には、すでに焼き立てのパンと食器が並べられていた。
「皆さん、お座りください。」
ユリアとポッペアは隣同士で座り、クロディウスはユリアの正面の椅子に座った。
「ここはお屋敷でなく店ですので、椅子しかない事をご容赦ください。」
ローマでは、椅子に座って食事を取るのは奴隷や子供であると言う風潮がある。クロディウスは大丈夫だよ、と言う風に手を振った。軍団生活では、兵舎であれ野外であれ、寝台に横たわって取る食事とは無縁であったから。アレクサンドロスは厨房に向かいながら言った。
「少々お待ちくださいね。」
しばらくして、厨房からニンニクを炒めたような香りが漂ってきたと思った次の瞬間、肉を焼くような音が聞こえてきた。
その後、アレクサンドロスがスープの入った鍋を持ってきて、木製のお玉でスープ皿に注いでいく。塩とハーブで味付けした、野菜とソーセージのスープである。
そして再び厨房に入り、焼きたてのパテの団子を、大きなお皿の上に載せて戻って来た。お皿をテーブルの中央に載せると、フォークとスプーンを使い、慣れた手つきで皆の平皿の上に取り分けていく。ニンニクの香ばしい香りが、鼻腔をくすぐる。アレクサンドロスが、クロディウスの横に座った。
「では、お召し上がりください。」
ポッペアが団子を一口食べて、満面の笑みで言った。
「すっごく美味しい!」
「ありがとうございます。」
アレクサンドロスがそう言うと、クロディウスはポッペアに言った。
「アレクサンドロスさんはね、料理の達人なんだよ。」
「へぇ~!」
「昔取った杵柄ですよ。」
と、アレクサンドロスは謙遜する。今度は、母のユリアが言った。
「スープもパテの団子も、本当に美味しいですね!このお団子は、レバーでしょうか?ぜひ、今度調理方法を教えてくださいませんか?」
「はい、レバーのミンチをラードで固めたものです。この団子とスープの作り方の詳細は、羊皮紙に書いて後日お渡しいたします。」
と、アレクサンドロスは答えた。スープを一口飲み、レバーミンチの団子を一個食べてから、クロディウスが言った。
「ペトゥロニウス家で鍛えた料理の腕は、健在だね。とても美味しいよ。」
「ありがとうございます。」
そして、クロディウスは気になっていた事を尋ねた。
「ペトゥロニウスさんが亡くなってから、何があったんだい?」
アレクサンドロスは、これから話す事柄を頭の中でまとめてから話し出した。
「ペトゥロニウスさんが亡くなった後、私はペトゥロニウスさんと親しかったカルウィシウスさんの家僕として働かせていただけることになりました。カルウィシウス家で『10年働いたら解放奴隷とする』との約束でした。 カルウィシウスさんに不利益が生じないように、ペトゥロニウスさんの計らいで無料での移籍でした。」
「流石、ペトゥロニウスさんだね。10年以上経っているから、もうアレクサンドロスは自由の身なのだね!」
クロディウスがそう言うと、アレクサンドロスの表情が少し暗くなったように感じた。
「そうは、ならなかったのです。ペトゥロニウスさんは、契約文書を書く前に亡くなってしまったので、2人の間の約束は口頭契約でした。要するに口約束です。ペトゥロニウスさんはカルウィシウスさんを信頼していたので、私も安心していました。そこで10年勤め上げる直前に、奴隷から解放されて『自由身分』になる件について、カルウィシウスさんに確認を求めたのです。そうしたら、カルウィシウスさんは『ペトゥロニウスとはそんな約束はしていない』と言い出したのです。」
クロディウスは、少し怒り口調で言った。
「ひどい話だな!信頼し合った男同士の約束を破るとは、ローマ人の風上にも置けん!」
「しかもそれだけでなく10年経過する直前に、私をマルクス・フィルムと言う騎士階級の商売人に、300デナリウスで売ってしまったのです。私は書面による奴隷解放の契約書を持っておらず、ローマ法による裁判も不可能でした。口頭契約の当事者2人の内、片方が亡くなっているのでカルウィシウスさんが否定する以上、どうにもなりませんでした。そう言う訳でまだ自由ではなく、ローマ市民権も得られていないのです。」
今度は、ユリアが怒り口調で言った。
「そんな酷い話、赦せないわ!」
ポッペアが塩味のパンを食べながら、怒った表情の母をキョトンと見上げる。
クロディウスは、アレクサンドロスが売られた300デナリウスについて考えていた。軍団兵の年間給与は、225デナリウス。それを例え全部注ぎ込んでも、アレクサンドロスを買い取る事はできない。300デナリウスは、軍団兵が何年も貯金してようやく達成できる金額だ。ローマでは、ギリシャ人奴隷は家庭教師や家僕として重宝されていたので、売買価格は通常の奴隷よりも遥かに高額なのである。
「マルクスさんは、私の語学力や幅広い知識を認めてくれて、ローマに開業していた本屋を2年間任せてくれました。マルクスさんは、商売をローマだけでなく属州にも広げると言う事で、貿易商の事務所や雑貨屋や本屋をこのタッラコの町にも開くことにしたのです。そして、私がこの本屋の店主として遣わされたと言う訳なのです。」
「そうだったのか。たいへんだったのだね。」
クロディウスは、同情した。
その後、4人は美味しい昼食を平らげた。すると、アレクサンドロスが立ち上がった。
「食後にお菓子の用意もあるんですよ。」
そう言って、再び奥の厨房に消え、そして戻って来た。焼き菓子をお皿に載せて、運んでくる。
「お気に召すと良いのですが。」
そう言って、お皿をテーブルの上に置いた。皆が1枚ずつ焼き菓子を手に取る。ポッペアが、食べて言う。
「これも美味しい!」
クロディウスも、焼き菓子を齧る。
「あっ!」
彼も、思わず声に出してしまった。
「これは・・・。」
アレクサンドロスが、にっこり笑った。
「覚えておいででしたか。」
クロディウスは、つい頬が緩んでしまった。
「これは、いつもペトゥロニウスさんの家で食べていた、小麦と蜂蜜で作った焼き菓子ですね!懐かしい!これ、大好きだったのですよ!」
蜂蜜の甘さだけでなく少々塩味が効いていて、甘さと塩加減のバランスが絶妙なお菓子なのだ。ポッペアが言う。
「良いなぁ、お父さん。こんな美味しいお菓子食べていたの?」
アレクサンドロスが作ってくれた料理とお菓子で、みんなが笑顔になった。その後、本の事やタッラコの町の事、基地の事、カナバエのパン屋の事等、色々な会話を交わした。

昼食が終わってロングス家の3人が店を出る時に、アレクサンドロスが一冊の羊皮紙の本をポッペアに渡した。
「これは、おじさんからのプレゼントです。これなら絵も多いし、ポッペアさんも楽しめると思いますよ。」
本の表題は、「イーリアス」で作者は「ホメロス」と書かれていた。ポッペアが本を開くと、美しい木馬の挿し絵が描いてあった。ポッペアが喜びの声を上げる。
「わあ、きれいな絵!ありがとう、アレクサンドロスさん!」
クロディウスはそれを見て言った。
「こんな高価なもの、いただく訳には・・・。」
それを制して、アレクサンドロスが言う。
「いえ、これはぜひともプレゼントさせてください。16年ぶりの再会の記念です。」
クロディウスとユリアは、お礼を言って店を離れた。

マルクスの本屋からの帰路、クロディウスはユリアに言った。ポッペアは、歩きながら本をめくっている。
「ユリア。私は、アレクサンドロスを買い取って私の下で働いてもらおうと思う。軍団の百人隊長達の多くが、従僕を雇って色んな仕事を任せている。日常の雑務や口述筆記とか。私も、そうしようと思う。 ペトゥロニウスさんやアレクサンドロスがいなければ今の私はなかったし、2人への恩返しの意味もある。ペトゥロニウスさんは、アレクサンドロスが解放奴隷として自由になることを望んでおられたし、その最後の願いも叶えてあげたい。
16年間の軍団貯金もそれなりに溜まっているし・・・もちろんお前達に遺すために蓄えている訳だけど・・・軍団預金の一部を今こそ使うべきだと思うのだ。」
ユリアは、クロディウスの目をしっかり見ながら言った。
「あなたの好きなようになさってくださいな。私たちには、パン屋の収入もありますし。アレクサンドロスさんがお世話になった大切な恩人なら、どんな代価を払ってでも贖って差し上げるのは当然のことです。」
「ありがとう、ユリア。アレクサンドロスの意志を確かめたら、マルクスに手紙を送る。」
クロディウスは、彼の妻がユリアである事に感謝した。



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