百人隊長物語入口 >トップメニュー >ネット小説 >百人隊長物語 >現ページ


第一部:第五章 盗賊討伐

41.出陣

翌朝、陣営前に討伐隊が整列した。討伐には、第1戦列の3個歩兵隊1,440人と第2戦列歩兵隊の3個百人隊240人、そして騎兵80騎と下士官らを含めた計1,826人が、軍団長と2人の千人隊長に率いられる。
残りの第1戦列1個歩兵隊と第3戦列の3個百人隊らは、1人の千人隊長に委ねられ、敵に背後から回り込まれないように、セグラ川の本陣を守る役割が与えられた。
斥候の事前調査によれば、この陣営から盗賊のヴィリアトゥス村までは約13.5ローママイル。最初の6.5ローママイルは、なだらかな丘陵地帯と平地が続く。見晴らしが良く、そこでは敵の急襲は考えにくかった。討伐軍は、順調に行軍を続ける。
そして、いよいよ峠の入口に到達した。この先の4ローママイルが、最も危険な場所と考えられている。ローマ軍団が、せいぜい2列でしか通れない険しい山道に入るのだ。討伐隊はそこで立ち止まり、先遣隊のマルキウス隊だけが進むのである。

百人隊長マルキウスは、隊の兵士80人に告げた。
「隊の諸君、いよいよ我らの訓練の成果と勇気を見せる時だ。武器は、マインツ剣と短剣と一本のピールムだけで良い。この狭い谷では、重く長い槍は無用の長物だ。山道では、身軽さと機敏さが重要だ。長槍や余分なピールムは、全てここに置いて行け。」
80人の兵士達は言われる通り、余分な武器を道の脇に置いて寄せた。
「谷に入ったら、崖の上から弓や投石の攻撃に晒されると思え!頭上を盾で防御しながら進軍する。良いな!」
兵士は一斉に答えた。
「はい、隊長殿!」
「では、出発する!」
そう言うと、旗手のロンギヌスが高々と百人隊旗シグヌムを掲げ、百人隊長マルキウスと共に歩き出す。80人は、二列ずつの細い列になってその後に続く。しんがりは、副隊長のウァレリウスが務める。背後に残った討伐隊が、その一行を静かに見守っていた。

最初の1ローママイルは、道は狭かったものの左右の山並みはまだなだらかで、危険は感じられなかった。低木が生えているものの、周囲の見通しはまだ良い。兵士たちは、ピールムを登山杖の代わりに山道を登った、
しかし次第に、山の稜線が険しくなり始め、低木も減り始め、白い岩の剥き出しの崖に変わりつつあった。ここからが最も危険な2ローママイルとなる。
マルキウス百人隊長は、停止を命じた。この先は左右が切り立った崖になり、しかも斜面が今までよりも急勾配で、全身を使わないと登れない岩場になっている。マルキウスは、旗手のロンギヌスに向かって言った。
「カッシウス隊の梟を呼べ。」
ロンギヌスはカッシウスに命じて、ファビウスをマルキウスの許へ行かせた。マルキウスは言う。
「梟のファビウスよ。お前が山に詳しく、山での経験も豊富な事は、カッシウスから聞いている。私が敵の頭領だったら、間違いなくここで襲うだろう。この先は、岩場を登らねばならない。片手で盾を構えながらこの岩場を登り、岩場の上に着いたらここに綱を下ろしてもらいたい。できるか?」
ファビウスは張著せず答えた。
「できます!」
「よし、任せよう。弓の攻撃や投石があったら、素早く戻れ!」
「はい、マルキウス隊長殿!」
ファビウスは、長い綱を肩から斜にかけ、左腕で盾を頭上に構えながらも、右手と両足で器用に岩場を登っていく。クロディウスとテント組の仲間は、それを心配そうに見守る。崖上から、いつ石や矢が降ってきてもおかしくない。
先日、十人隊長のカッシウスが、ファビウスに「恐怖感は無いのか?」と唐突に尋ねてきた理由を、今理解した。おそらくカッシウスは、マルキウス百人隊長からファビウスを山の任務で使う事を、予め聞かされていたに違いない。「大丈夫、恐怖心は無い」と、ファビウスは自分自身に言い聞かせた。
ファビウスは、危険な山行では平常心を保つことが肝要と心得ていたから、足や手をかける場所を冷静にかつ素早く確保して、常人では考えられない速度で岩場の上まで登り切った。梟の優れた視力で崖の上を見渡し、人影や敵の徴候が無いか見極める。今のところ、敵の気配は無い。
周囲は剥き出しの岩場で、一本の木も生えていなかった。ファビウスは不動の大きな岩に目をつけ、そこに綱をかけ回して結び、綱を岩場の下へ投げた。その綱を頼りに、マルキウス隊長が盾を構えながら岩場を登り始め、そのすぐ背後を隊長の盾に守られながらシグヌムを片手に、旗手のロンギヌスが登り始める。隊長と旗手が岩の上まで登り切ると、他の軍団兵が続いた。最後に副隊長のウァレリウスが登り終えると、隊は先に進んだ。
岩場の先の道は、凸凹ではあるが2列で進むことができた。マルキウス隊は、全員頭上に盾を構える亀甲隊形で前進した。左右は、未だ崖である。気は抜けない。緊張の中、2ローママイルを前進した。

切り立った崖は次第に緩やかな稜線に変化していき、岩肌だけが見えていた斜面に低木が見え始めた。そして1ローママイル歩くと、完全に谷を抜け出た。待ち伏せ攻撃は、無かった。谷の外に出た一同がほっとする間も与えず、マルキウス隊長は兵士達に次々と指令を発した。
「梟、この崖の上に出る山道を探せ!」
「はい、マルキウス隊長殿!」
ファビウスは、直ぐに山道を探しに行った。
「狐の隊は、この先1ローママイルの偵察へ迎え!」
斥候任務を与えられた狐の隊の8人は、道の先に進んだ。
「大鷲の隊はあの岩の上に登り、周囲を警戒せよ!」
見張りの任務を与えられた8人は、岩の上に登った。
「大猿の隊は、谷に戻り、後続部隊が岩場を登るのを手助けせよ!」
大猿の隊は、今やって来た谷の道を戻って行った。
「残りの隊は、臨戦態勢で待機せよ!」

しばらくして、斥候の狐の隊が戻ってきて報告した。
「この先に、人影は見えません。」
岩場の大鷲の隊も、周囲に異常は無いと報告した。
更にファビウスも、戻ってきて報告した。
「山道の入口を、半ローママイル先で見つけました!」
マルキウスは言った。
「よし、鳩と虎と駿馬の3隊は、山道を登り、崖の上の安全を確保せよ!」
「はい、マルキウス隊長殿!」
鳩のカッシウスの隊と、虎のケルフィナスの隊と、駿馬のアエミリウスの隊の24名は、崖上に向かった。ケルフィナス隊にはクロディウスと同期のフリウス・ファベルが、アエミリウス隊にはやはり同期のユリウス・ニゲルがいた。
こうして、全ての手はずを整えた上で、マルキウスは旗手のロンギヌスに言った。
「よし、ブッキーナ(※ラッパ)を鳴らせ!合図は、『先発隊、無事に谷を越えた』だ。」
ロンギヌスは隊長の指示通り、予め決められていた「任務達成」の合図の3回を吹いた。すると谷の反対側から、小さな音であったが4回ラッパの音が聴こえてきた。「了解した。我々もこれから向かう」の合図である。ようやく討伐隊本隊も、こちら側にやってくる。

そろそろ討伐隊が、岩場に差し掛かる頃であろうか、突如、ラッパの音が断続的に鳴らされた。そのラッパの意味は、「敵襲!応戦中!」である。マルキウスは、即座に悟った。罠だ!盗賊達は、マルキウスの隊が斥候役の先発隊だと見抜いていたのだ。そして本隊が谷を通るまで、崖の上でじっと隠れていたのである。谷奥まで進んで襲われたら、軍団全滅を免れ得ない。迅速な行動が求められる。マルキウスは、全兵士に命じた。
「これから全速力で、崖の上へ向かう!全員、ファビウスが見つけた山道で登れ!」
隊長以下、全兵士が崖の上へ向かって走った。

カッシウスとケルフィナスとアエミリウスの隊も、山道を移動中に「敵襲!応戦中!」のラッパの音を聴いた。カッシウスが叫ぶ。
「本隊が襲われている!全速で崖上に向かう!」
討伐隊本隊を救えるかどうかは、自分達の速度にかかっている。24人が最大速度で、山道を登る。いくら盾で頭上を防御しても、雨の様に降ってくる石や矢の攻撃を防ぎきれない。そして巨大な石でも落とされたら、屈強な軍団兵でもひとたまりも無い。
ラッパの音を聴いてから5分で、24人は崖上に到着した。崖の上には、200人以上の盗賊達が崖下に向かって弓矢や投石の攻撃を繰り返していた。対するこちら側は、僅か24人。
24人は息つく暇もなく、そして怯むことなく、200人の盗賊に突進する。こちらの意気込みは、既にテルモピュライのスパルタ兵だ。敵もこちらに気がつく。軍団兵の投げた24本のピールムのうち、数本が敵に突き刺さる。盗賊達は投石を止めて、剣を抜いた。軍団兵も、即座に剣を抜く。激しい戦闘が開始された。
24人にとって幸いだったのは、崖上の幅が狭かったことだ。左側は崖で、右側は急斜面。24人は横6列の小さな密集方陣隊形で、盗賊達に立ち向かった。盗賊とは、訓練度合いが違う。盗賊達は次々に倒れていったが、ローマ軍団兵も無傷ではいられなかった。1人、また1人と、最前列の兵士たちが倒れていく。最前列のカッシウスら十人隊長らも怪我を負い、腕や脚から血を流している。それでも戦い続けるが、24人のローマ軍兵士の数は次第に減っていく。戦闘はますます激しくなり、200人の圧力に20人を割った軍団兵が次第に押されていく。
戦闘が激しさを増すにつれ、敵側にも急斜面を転げ落ちる者が出始めた。クロディウスは密集方陣の前から3列目にいたが、1人の味方軍団兵が急斜面を駆け降りて逃げるのを横目で見たような気がした。気がつけば、ローマ軍側は戦える人数は15人にまでに減って、クロディウスも前から2列目で戦っていた。
多勢に無勢で、訓練を受けた屈強な軍団兵でも15人では、200人の盗賊の前には風前の灯である。クロディウス達も、もはやこれまでかと思った時、後方から喊声が聴こえた。マルキウス隊長達が駆けつけたのだ。新たに51人の力を得たローマ軍団は、一気に盗賊達を押し返した。屈強な軍団兵の前に、盗賊達は次々に剣に倒れ、ついに盗賊達は急斜面を転げ落ちるように逃走を始め、遂に全員が逃走した。
崖の上には、倒れた盗賊と倒れた軍団兵で足の踏み場も無かった。しかし、討伐隊本隊を救う事はできた。
その後、崖を降りたマルキウス隊は、谷を越えてきた討伐隊本隊と合流した。騎馬兵達も岩場の難所を馬を押し上げて乗り越え、本隊との合流を果たした。
軍団長は、討伐隊の被害の確認を命じた。討伐隊の全死亡者は8人、負傷者数は全部で36人。
マルキウス隊は犠牲者が最も多く、死者数が5人、負傷者数が11人。
カッシウス隊では、野犴のアントニウスが死亡し、隊長のカッシウス、烏のユリウス、禿鷹のドミティウスが負傷し、腕や脚から血を流している。実戦が初めてだったファビウスとクロディウスは、とにかく我武者羅に戦った。2人は、死んで横たわっているアントニウスを呆然と見つめるしかなかった。 崖下の本隊の死者数は3人、負傷者数は25人だった。 一方、盗賊達の死者数は57人、負傷して捕虜とした者は19人である。怪我をした捕虜は、敵の情報を聞き出すために殺されずにつながれた。敵は圧倒的に有利な状況にも関わらず、約200人のうち76人の兵力を失った。やはりローマ軍団は強かった。


→次のエピソードへ進む