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第一部:第五章 盗賊討伐

39.軍団の出発

明朝、軍装で身を固めた軍団兵が、南門の前に整列していた。しかし、第Ⅳ軍団の全軍兵ではなかった。半数の2,400人の歩兵と騎兵80騎で討伐に向かう。士官や工兵、従者や奴隷を含めて、総勢2,600人の行軍である。事前情報によれば山賊は千人程度であり、討伐には全軍団の半数で十分と司令部が判断したからである。
2,400人の歩兵中、若者で占められる第1戦列4四個歩兵隊が1,920人と最も多い。残りの480人は、第2戦列歩兵隊の3個百人隊240人と、第3戦列列歩兵隊の3個百人隊240人であった。中堅以上のベテラン兵達は行軍と討伐には参加せず、討伐行は若手に任せで、少数のベテラン兵はその補助に回る。 その方が軍団には都合の良い面もあった。一つは、前線での実戦経験の少ない20代の若者に経験を積ませられると言うこと。優れた将軍の率いる敵軍と戦うならいざ知らず、相手は訓練を受けている訳でもない有象無象の盗賊集団である。厳しい訓練を受けたローマ軍団相手の敵ではなく、犠牲は最小で済む上、実戦経験も積ませられるだろうと言う、司令部判断である。
もう一つは、遠方への行軍は少ない人数の方が、兵站を確保しやすいと言う利点もある。長く伸びた兵站は、敵の奇襲を受けやすいのだ。
更にもう一つの利点は、軍団の半数を基地に残すことにより背後をしっかりと守れると言う事である。守備隊だけを残した冬営の基地が、敵に不意を突かれて襲われると言う事例も多い。堅固な要塞基地や軍団の武器を、敵に奪われてしまう訳にはいかない。派遣される百人隊長達も、今回の司令部による決断は懸命だと判断していた。

今回の討伐行では司令官は出陣せず、指揮は軍団長に委ねられ、補佐は3人の千人隊長が行うこととなった。軍団長に率いられた討伐隊はタッラコ基地を出発し、アウグスタ街道を一路北へ向かう。その後、西に向かい内陸部へ入る、と言う道程である。直接北上する方が距離は短く、山越えも比較的楽であったが、盗賊達に早期に発見されてしまう危険性が増すので、迂回する方法を選択したのである。
騎兵の半数40騎が先導し、その後ろを、第1戦列3個歩兵隊が続き、その後ろを第2戦列と第3戦列の計1個歩兵隊が続く。更にその後ろを、若い1個歩兵隊に守られた兵站物資を運ぶ荷馬車の隊列が続き、しんがりを残り半数の騎兵40騎が守る、と言う行軍である。

クロディウス達96人の新兵にとっては、初めての実戦任務である。ローマによる安寧と秩序が維持されて以来、第1戦列歩兵隊の先輩兵士達であっても、まだ実戦を経験していない者もいた。1年先輩のファビウス達もそうである。クロディウスが耳にした最も間近な実戦任務は、2年半前の50人ほどの盗賊に対する小規模の討伐行だったようで、派遣された4個百人隊の軍団兵は、1人の犠牲者も出すことなく任務を完了したそうだ。今回の盗賊の討伐行もそうであって欲しい、と願うクロディウスであった。

第Ⅳ軍団盗賊討伐隊は、タッラコからバタロナまでの74ローママイルを、2日かけて行軍した。その後、北東に向かうアウグスタ街道には向かわず、まだローマ街道としては不整備な西北への道を進む。冬の間に斥候達が、行軍路や陣営設営の場所、途中の村落、水の補給場所等を全て調べていた。
しかしバタロナから先は、冒頭に山越えが待っていた。陣営を設営する最終目的地までは100ローママイルほどだが、馬車を伴う2,600人の山道越えには、時間がかかった。軍団兵が、馬車が通れないような狭い山道を広げたり、斜面の凸凹の道を整えたりする工事をしながら前進を続けたので、50ローママイルの山越に8日もの時間を費やした。簡易な街道整備を、同時進行で進めるような行軍である。
その山々を超えると、向こう側には平原が広がっている。どの方角から向かっても、最終的にこの平原を通るしか方法がないので、ローマ軍の存在は、遅かれ早かれ盗賊に知られるところとなろう。その危険を少しでも減らすために、軍団は目的地までの残り距離を1日半と言う高速の行軍で移動する。

山を越えた平原の初日の行軍後、軍団は低い丘陵南側の麓にカストラ(野営陣地)を設営した。北方の盗賊達に、少しでも発見され難くするためだ。短時間で、壁を作り塹壕を掘る。クロディウス達新兵が訓練で作った仮陣営とは、規模が全く異なる。2,600人もの人数を収容できる陣営の規模は、クロディウスの想像を超えていた。タッラコ基地のテントバージョンのような大きな陣営である。陣営隊長並びに陣営設営等の土木工事に特化した専門の工兵達の指示に従いながら、軍団兵はみるみる陣営を築き上げていく。
陣営中央の十字の大通りを挟んだ東西南北4方に、歩兵や騎兵や従者たちのテントが計400近くも建ち並び、大通りの中央南側には大きな司令部テントが設営された。東西南北の出入口には、しっかりと門も設置されている。これだけの陣営を、行軍後の疲れた体で、夕方からたった2時間で設営し終えてしまうのだ。改めて、ローマ軍団の技術力の高さと経験値に驚くクロディウスだった。

カッシウスのテント組の中で、クロディウス達は夜を過ごす。春間近とは言っても、気温はまだまだ低く、夏の様に外で焚火を囲みながら語らう、と言う訳にもいかない。テントの中で食事をしながら、隊員達は会話を始める。実戦任務での行軍と言う事もあって、いつにもまして真面目な話題が多くなった。クロディウスが、先輩兵士達の会話の途中で言った。
「今回、実戦は初めてなんですが、2年半前の盗賊討伐はどんな様子だったのですか?」
禿鷹のドミティウスが答える。
「最初は、斥候役の騎兵との小競り合いの戦闘があったが、その後50人の盗賊に対して、こちらが4個百人隊320人と分かった途端、盗賊達は真っ青になって、我々の降伏勧告を即座に受け入れて投降したよ。抵抗せず降伏した相手の命は、基本的に奪わない。頭領は処刑されたが、他の盗賊達の一部は流刑となり、一部は奴隷として売られた。それで、おしまい。」
「そうなんですか。それで、軍団の犠牲者は出なかったのですね!」
ドミティウスが、話を続ける。
「ここ数年の軍団兵の死亡は、訓練中の事故や病気なんかが多いんだよ。この3年で亡くなった第1戦列歩兵25人のうち、9人が訓練中の事故死もしくは病死で、1人が土木工事中の事故死。1人が町でのくだらない喧嘩による死。5人が街道パトロール中に、ちっぽけな強盗集団に次々と襲われた任務中の死。強盗達は、結局捕まって処刑されたけどね。そして、残り9人の死は・・・。」
ドミティウスは、そこで話しを止めた。何故だろう?
「その話しの続きは、ドミティウスには辛いだろう。私が話そう。」
と、烏の方のユリウスが言った。
「そのちっぽけな強盗達の捜索中、第1戦列歩兵隊のある百人隊のテント組8人が、その強盗集団にばったり出くわしてしまったんだ。強盗達は10人だった。軍団兵5名を殺した強盗集団だから、けっして弱くはない。それでテント組の若い兵士1名が、強盗に殺されるのを恐れて逃げ出してしまったんだ。テント組の残り7人の結束で、強盗10人をその場は追い払う事ができたが、逃げた1人の兵士は結局戻って来なかった。」
クロディウスは、その先が気になった。
「それで、どうなったのですか?」
ユリウスが、続きを語った。
「所属歩兵隊が捜索した結果、逃亡した若い軍団兵は山中で見つかり、基地へ護送され、敵前逃亡罪で死刑・・・。でも、それだけで終わりではなかった。」
「十分の一刑ですか?」
とクロディウスが言うと、ユリウスは頷いた。
「そう、あの十分の一刑だ。敵前逃亡者を出した百人隊は、連帯責任を負わされる。くじ引きで10人に1人ずつを選び出し、死ぬまで棍棒で殴り続ける。軍団兵が見守る中、軍団兵8人が棍棒で殴り殺された。その殴り殺された1人が、ドミティウスの親友だったんだよ。」
クロディウスは、落雷の様な衝撃を受けた。わざわざ思いさせなくても良い過去の記憶を、自分は思い出させてしまったのかもしれない。今度は、ドミティウスが後を続けた。
「自分の親友は、棍棒で顔がグチャグチャになり、脳味噌や眼が飛び出ていた。今でも、その光景が目に浮かぶんだ。でも、それで終わりじゃなかった。」
ドミティウスは、辛い過去の記憶を脳内の引き出しから取り出す。
「仲間8人の死だけでは、赦されないんだ。さらに軍団兵としてのプライドを傷つけるべく、その百人隊は基地内での生活を許されず、基地の外でのテント生活を1ヶ月間強いられたんだよ。しかも百人隊長は、短衣を捲し上げたまま、大通り門の前で1ヶ月間立たされ続けた。ローマの軍団兵として、否、ローマ人の男として、これ以上に無い最大の屈辱だ。自分の隊から逃亡者を出したと言う恥、何の恨みもない仲間を8人も殺した自責の念、他の軍団兵から寄せられる軽蔑の眼差し。二度と、軍団兵に敵前逃亡を起こさせないための見せしめだ。その百人隊は全員が打ちのめされて、何人かは正気を失った。その隊と言うのは、元アエリウス百人隊だ。若いティトゥスが、2年前に百人隊長を引き継いだ百人隊だよ、」
クロディウスにとって、予想外の答えだった。なぜ貴族の後ろ盾があるとは言え、若い20代半ばのティトゥスが百人隊長になれたかのかを理解した。お金の力に加えて、貶められた百人隊長の配置換えの意味もあったのかもしれない。そして、何故ティトゥス百人隊の統制が取れず、混沌としているかの要因の一つも理解できた気がした。

十人隊長のカッシウスが、テント内の空気が重くなったのを察して話題を変えた。
「そう言えば、ファビウスも、実戦任務は今回が初めてだったな。」
ファビウスが答えた。
「はい!」
「恐怖感は無いのか?」
何故、十人隊長のカッシウスがいきなりそんな質問をするのか、ファビウスには分からなかった。カッシウスの質問に、ファビウスはこう答えた。
「山では危険な事をたくさん経験しましたから、緊張とか恐怖とかは無いです。山で怖がるのは、知識不足で対処する方法を知らないからに過ぎません。戦闘に関してなら、軍団で1年半みっちり訓練を積んでいますから、恐怖感はありません。カッシウス隊長は、そういう経験おありですか?」
「そうだな、あると言えばある。緊張や恐怖とは、ちょっと違うかもしれないが。もう5年も前の話しなので、この経験をしたのはこのテントの中では、私とユリウスとフラウィスの3人しかいないがな。」
カッシウスも、過去の記憶の引き出しを整理しながら話し始めた。
「5年前の話しだが、この属州の南部で大規模な暴動があった。南部周辺の都市でローマへの反乱を焚きつける一派がいたんだが、それであちこちで暴動が起こって多数の死傷者が出た。それを鎮圧するために、タッラコ基地から2個歩兵隊960人が派遣されてね、私たちの百人隊も派遣されたんだ。マルキウス隊長が、まだ副隊長だった頃だ。
ローマ軍は、勧告して降伏した相手には、寛大な措置をするのは知っているな?慣例として、命は奪わない。しかし、一度恭順と友好を誓った相手が反乱を起こした場合は、ローマ軍は決して赦さない。派遣されたローマ軍は、暴動を煽って騒ぎを起こした300人を全員殺した。抵抗できない状態の者まで、一人残らずだ。」
穴熊のフラウィスが、それに付け加えるように言った。
「あの時の光景は、未だ忘れられないよ。至る所に死体が横たわり、地面は滑るくらい血でヌルヌルだ。カッシウス隊長と俺らが、必死の戦闘を終えて町に入ると、ベテラン兵士達は、慣れた様子で死体から貴金属を外したり、家々で略奪をしているんだ。親が死んで泣いている子供も大勢いたし、軍団兵に取り囲まれた女性の悲鳴も聞こえた。でも、最後には何も聴こえなくなった。残されたのは、全て死体だけだった。軍団兵が、全部殺したんだよ。」
烏の方のユリウスも言った。
「殺すべき対象がいなくなり、略奪すべき物が無くなるまで、軍団兵の略奪と殺戮は続いた。あんな光景は、二度と見たくないと思う。今度の盗賊は、大勢のローマ人を殺した。軍団は、決して容赦しないだろう・・・。」
カッシウスが、言葉を継いだ。
「クロディウス。」
「はい。」
と、クロディウス。
「ガリア戦記の陰の部分についていつか話そう、って言ったよな?ガリア戦記に限らず、多くの戦記物語はどれもこれも、自国の軍隊の戦いに胸躍るような物語しか書かれていない。読んだ子ども達がワクワクするようなね。将軍や軍団の威光を高める事や、戦闘が正当化される事しか書かれていないんだよ。
でも実際には、その何倍もの悲惨な死と暴力がある。敵守備隊の兵士達の腕は全員切り落とされ、何十万もの人々が暴行されて殺される。町々は略奪され、百万もの人々が奴隷として売られ、将軍や兵士達の懐を潤すんだよ。そんな本は絶対に書かれないし、仮に誰かが書いたとしても市民の目に触れる事もなく、その物語は歴史から消えるだろう。ローマ市民も、そんな陰惨な現実は見たくないからね。栄光あるローマ軍の英雄たちの物語だけを読みたいんだよ。」
クロディウスは、心配になった。こんなローマを批判するような話を、他の百人隊の兵士や士官達に聞かれたら、厳罰に処されるのではないだろうか?しかし、テント組の仲間はそれを批判する事もしないし、カッシウスの発言に誰一人戸惑うことも無かった。
「暗い陰の部分は、表に出てくることはない。光に照らされない限りは、陰のままだ。都合の悪い事は、語られない。華々しい部分だけが、後の代に引き継がれていく。カエサルは、『人は見たいと思う現実しか見ようとしない』と言う。しかしカエサル自身は、『自分が見せたいと思う現実』しか語らなかったんだと思う。」
カッシウスのカエサルに対する評価は、そのようなものだった。クロディウスが、長年憧れてきた英雄カエサルに対する見方とは、随分と違った。
この夜クロディウスは、このテント組はお互いに腹蔵なく本音で語れる先輩達なのだと確信し、心底信頼できる仲間なのだと悟った。


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