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第一部:第五章 盗賊討伐

35.カナバエでの休日

山での薪集めから2日後、マルキウス隊の休息日が訪れた。ファビウスやクロディウスの着替え終わる前に、烏の方のユリウスが早々に部屋を出て行った。クロディウスは、ファビウスに尋ねた。
「前から気になっていたのですけど、休息日の度に、ユリウスさん朝早くカナバエに行きますよね。何故なんですか?」
ファビウスが、不思議そうにクロディウスの顔を見る。
「えっ?マジで言ってる?って言うか、全然気がついてない?」
「何の話ですか?」
とクロディウスが言うと、更にファビウスは驚いた様子だった。
「えぇ~?クロクマは直感が鋭いくせに、意外とその方面は鈍いんだな!察しろよ。」
クロディウスは、キョトンとしている。
「そう言う事には、マジ疎いんだな・・・ユリウスさんは、休日は嫁さんと子供に会いに行っているの!」
クロディウスのキョトンとした表情は、次の瞬間、驚きの表情に変わった。
「ええぇ!結婚しているんですか!軍則で、軍団兵の結婚は禁止ですよ!」
部屋の中の先輩たちが、一斉に2人を振り返った。
「声がでかい!誰も、教えてなかったのか。あのな、軍団兵の多くが、カナバエの女性と結婚しているの。周知の事実で、暗黙の了解なの!士官達の多くも、結婚しているし!」
やはりクロディウスは、驚きを隠せなかった。
「マジですか!」
「マジなの!考えてもみろよ。軍団生活満了まで25年もあるんだぜ?クロクマも、退役時には42歳だ。それから結婚なんて言っていたら、人生終わっちまうだろが。」
「確かに・・・。」
「軍団が結婚を禁止しているのは、戦争で兵士が亡くなった場合に、遺族への補償金を支払いたくないからなのさ。密かに結婚するなら見逃すよ、って言うお話し!」
「なるほど!」
「でな、結婚している兵士は、たいてい遺言状を書いていて、軍団預金を家族の手に渡るようにしているって言う訳だ。分かった?」
「はい!」
クロディウスは、ワクワクした。自分も、結婚して良いのだ!即座に浮かんだ顔は、パン屋の少女の顔だった。頬が緩んだ。ファビウスが、即座に突っ込んだ。
「おい、顔!クロクマ、顔!おまえ、分かりやすい奴だな。」

その後、ファビウスとクロディウスは、カナバエに出かけた。
「パンを買うなら、帰りにしてくれよ。一日中、パン袋を抱えて街中をウロウロする気はないからな」。
ファビウスがそう言うと、クロディウスはめげずに言った。
「予約だけでもしに行って良いですか?帰りに取りに行くって事で。」
ファビウスは、お手上げと言う様子で言った。
「好きにしろよ。」

クロディウスは、パン屋の外からあの少女が店内にいるのをまず確認した。たまに親父さんが店頭にいる日があるから、この確認は欠かせない。クロディウスとファビウスが店内に入ると、少女が部屋の奥から応対に出てきた。
「いらっしゃいませ。あら、いつものお2人ね。4回目だったかしら?」
クロディウスは言う。
「いえ、5回目です。前回は、親父さんが応対してくれたもので・・・。」
「あら、そうだったの。パンがお好きなのね!今日は、どのパンにします?」
「ええと、以前食べた豆の入ったパン、美味しかったです!あれ、お願いできますか?夕方、取りに来ます。」
「大丈夫ですよ、それまでに焼いておきますからね。おいくつ要りますか?」
「2つお願いいたします!」
と、注文を終える。2人が店の外に出る直前、クロディウスは突然振り返って言った。
「僕は、クロディウス・ロングスです!17歳です。あの、お名前を教えてもらっても良いですか?」
少女は少し驚いたようだったが、にっこりと笑って答えた。
「ユリアです。ユリア・イタルスです。」
「ありがとうございます!」
そう言って、即座に店を出た。
クロディウスの心臓は、破裂しそうだった。ファビウスが言う。
「思い切ったなぁ~。勇気、すげえ振り絞ったじゃないか!」
クロディウスは、放心状態で町を歩いた。

クロディウスとファビウスが、レピディナの店の前を通りかかった。すると、店頭で紅鶴のユリウスが女将のレピディナと話しをしている。ユリウスが、2人に気がついて言った。
「よう!今日もパン屋に行ったのかい?」
その問いに、ファビウスが嬉しそうに答える。
「聞いて下さいよ、クロクマ、例の子に名前を聞いたんですよ!根性、出したでしょ!?」
「おお、やるじゃないか、クロディウス!ちょっと、こっちに来てみな!」
後輩2人は、店頭に近づいた。ユリウスが言う。
「お前がうちのテント組に来た時に、『お洒落は任せろ!』って言っただろ?今日は、その約束を果たそう。洋服見立ててやる。心配すんな、俺の奢りだ!」
クロディウスは、恐縮して言った。
「いや、勿体無いですから!」
「気にすんなって!いつもギリシャ語やラテン語の読み書きを教わっているお礼だ。まともな服、あの緑のしか持ってないだろ?パン屋の娘にも、お洒落なところを見せとけ!」
そう言って、無理矢理クロディウスに似合う服選びを始めた。
ああだこうだ言っている内に、ユリウスの服が決まった。黄色い短衣に紺色の上着と白いベルトと言う組み合わせ。ユリウスも、ファビウスも、店主のレピディナも、「とても似合っている」と褒めてくれる。唯一本人だけが、似合っているのかどうか分かっていなかった。ファッションとは無縁な生活を送っていたのだから、致し方ない。
ユリウスは、その服代として4デナリウスと2セステリティウスも支払った。クロディウスは、先輩の気前良さに驚くと共に、感謝してその服を受け取って早速着てみた。まんざらでもない。3人は、レピディナに見送られて店を出た。

ユリウスとファビウスとクロディウスの3人は、人気の料理店で昼食を取り、その後町を散歩した。クロディウスが、なんとなくファビウスに言う。
「あのぉ、ファビウスさん。」
「何?」
「ファビウスさん、僕のこと、クロクマって呼んでくれてますけど、テント組の先輩方に浸透して無い気がします・・・。」
ファビウスは、意外そうだった。
「えっ?そうかな?」
ユリウスも相槌を打って言った。
「うん、全く浸透してないな。ファビウスは、森や山にかけては天才的な能力を発揮するが、あだ名の付け方のセンスは今一つだよなぁ。」
「そうかなぁ~。良いあだ名だと思うんだけどなぁ~。」
ファビウスは、少々不服そうな顔をした。

その後、クロディウスは、羊皮紙店で羊皮紙を20枚ほど購入した。クロディウスが言う。
「軍団で買うより。この店の方が安くて、しかも質も良いんですよ。見ます?」
2人は、同時に首を横に振った。
「いや、紙に興味ないから!」

散歩中の3人は、ティトゥス隊の4名が通りの反対側を歩いているのに気がついた。フリウスに大怪我を負わせた例の先輩兵士3人とクロディウスの同期兵で友人のアントニウスの4人である。 クロディウスは、ティトゥス隊にいる同期の仲間から、その後のアントニウスについて噂を聞いていた。彼はフリウスのように先輩兵士から陰湿ないじめを受けることは無かったが、それはアントニウスが騎士階級で、良い金蔓だったからである。彼は、しばしば金を差し出すことで、暴力を免れていたらしい。金が続く限り、殴られる事は無いだろう。
アントニウス達も、クロディウス達に気がついた。アントニウスの表情は暗く、彼はクロディウスを恨めしそうに睨みつけていた。かつての自身に満ちた堂々としたアントニウスではなく、獲物を常に探し求めているような眼光を放っていた。三人の先輩兵士も軍団兵と言うよりも、町のゴロツキと言うような表情をしている。実際、彼らは町での評判も悪く、あちこちでトラブルを起こしていて、いくつかの店では既に出入り禁止になっていた。
ティトゥス隊の4人は、マルキウス隊の3人にガンを飛ばしたが、今度トラブルを起こしたら後がない事は彼らも承知していたので、睨むだけで通り過ぎて行った。
クロディウスが言った。
「アントニウス、随分変わっちゃいましたね。」
ファビウスは、一言返した。
「ああ、自業自得だ。馬鹿な奴だ・・・。」

それから3人はバルネアに行って入浴し、まったりとした午後を過ごした。そうこうしている内に、冬の陽は落ちようとしている。バルネアを出たユリウスとファビウスが、クロディウスに言う。
「これから俺たち、行くとこあるんだけど、クロディウスも来るかい?」
「何処に行くんですか?」
とクロディウスが言うと、ユリウスが答えた。
「野暮な事は聞くな。独身男が行く所と言えば、決まってるだろ?察しろ!」
「僕は、これからパン屋に行きますので・・・。」
とクロディウスが言うと、ファビウスが答えた。
「あっ、そうだったな。じゃあ、後ほど兵舎で会おう!」
そう言って、先輩二人は歓楽街に消えて行った。

クロディウスは、パン屋に向かった。ユリアは、この真新しい青い服、気にいってくれるだろうか?パン屋に入ると、ユリアは待っていて・・・くれなかった。そこにいたのは、熊のような体つきの、あの親父さんだった。クロディウスは、固まった。
「あの・・・。」
「いらっしゃい。」
軍団でのあだ名は、きっと熊だったに違いない。自分のあだ名とは違う意味で。
「予約していた者です。」
「豆入りパン2つのかな?」
恐い。親父さんの表情からは、感情が読み取れない。
「はい。」
「2つで2アスだ。」
クロディウスは、銅貨2つで支払った。パンを受け取って帰ろうとすると、親父さんが声をかけた。
「新兵のクロディウスは君だろ?」
クロディウスは、一瞬固まった。嫌な予感しかしない。
「あっ、はい。」
「君のことは、娘のユリアから聞いている。娘は、今、配達中でな。」
「そうなんですか。」
クロディウスは、早くこの緊張から、否、この場から解放されたかった。
「君が娘を気にかけてくれている事は、前から気づいていた。」
クロディウスは、返答に困った。
「軍団兵には、ろくでもない奴も多い。私も、ろくでもない軍団兵の一人だったからよく分かる。だが、君はまともそうだ。軍団生活は長いから、人を見る目はあるつもりだ。」
「ありがとうございます。」
と、クロディウスは一応お礼を言った。
「しかし、私は娘が軍団兵と付き合うのには反対だ。元軍団兵の私が言うのも、何だが。」
「何故ですか?」
と、聞き返すクロディウス。ユリアの父親は答える。
「簡単な理由だ。軍団兵は、ある日突然死ぬからだ。同僚たちが死に、そしてその家族が泣くのをたくさん見てきた。」
クロディウスは、大男の相手ではあっても反論せずにはいられなかった。
「最近の軍団は、アウグストゥスによるローマの安寧と秩序で、戦闘はほとんどありません。危険が無いとは言い切れませんが、私は死ぬつもりはありません。」
親父さんは、クロディウスに顔を近づけその目を覗き込む。
「はっきりと言うな。君のような若者は、嫌いじゃない。だが、まだ軍団兵に成り立ての新兵だ。男としてもっとたくさんの経験を積んで、立派な士官になってから来い。」
親父さんの言う事には、一理あった。
「分かりました。でも、パンは買いに来ますよ!」
「ああ、いつでも買いに来い。この会話は、2人だけの秘密だ。私の名は、ラウディウス。」
クロディウスは、パンの袋を抱えて店を出た。心臓が、破裂しそうだった。

夕方、兵舎の部屋に戻ると、まだ誰も帰ってきていなかった。部屋の中は暗い。クロディウスは燭台の上のお皿に油を継ぎ足し、火打石と麻を使って灯芯に器用に火をつけた。やがて、陽は完全に沈んだ。
燭台の灯りで、彼は手紙を書き始めた。家族への手紙である。今回で3回目の手紙となるが、手紙はきちんと届いているのだろうか?そもそも手紙や物資を載せた軍団の帆船は、この冬の荒れた海をローマまで無事に航海しているのだろうか?よしんば家族に手紙が届いたとしても、家族に文字が書ける者がいないので、クロディウスに返信の手紙が届くことは無いのだが。
クロディウスは、軍団の生活のこと、マルキウス隊の仲間のこと、とりわけカッシウス十人隊長のことや先輩のファビウスのこと等を手紙に書き綴った。気がつけば、ローマを出てからもう5ヶ月も経っている。父のアンニウスや母のベレニケ、弟のカル、妹のドゥルシラやポッペア、みんな元気にしているだろうか。遠い故郷のことを思う、冬の夜のクロディウスだった。


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