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第一部:第五章 盗賊討伐
34.軍団の冬営
ノウェンベル月も日々軍団の仕事に追われてあっという間に終わり、デケンブル月となった。晩秋の季節は過ぎ、遠くの山々の頂には雪が積もり始めている。冬の到来。クロディウス達新兵にとって、ヒスパニア・タッラコネンシス属州で迎える初めての冬である。
北方の山々に雪が積もると、軍団は冬営シーズンに入る。とは言っても、軍団兵の日常生活や仕事にはそう大きな変化はないのだが、冬期は基本的に長距離遠征や行軍は行わない。それが最も大きな違いである。
ローマ軍団と雖も、毎日6,000人を賄うだけの冬の食料調達は難しい。ましてや遠方地への兵站確保は困難なことが、冬に遠方での任務を行わない理由の一つである。大量の兵站物資輸は、吹雪など荒天による遭難や盗賊による略奪などの危険性も考えられる。また冬の地中海はとても荒れるので、船舶でのローマからの援軍派遣や大量の物資搬送が難しくなると言う事情もあった。そのような訳で、軍団は冬の間、基地に籠るのである。
デケンブル月の第5日、マルキウス隊は山で薪集めを行うことになった。冬場の寒さを凌ぐための、燃料用の薪の確保である。6,000人もの軍団が一冬に必要とする薪は、甚だしく大量である。軍団が購入する薪の量ではとても一冬を超えることはできないので、隊ごとに薪の確保に努めねばならない。
この役目には、梟のファビウスの山の経験が役立った。何故なら、大量の薪を集めるには、基地からかなり離れた山の中に分け入らねばならないからである。近くの森や山麓では、既にベテラン軍団兵の隊がめぼしい薪を採取してしまったし、適当な木の枝も伐採していた。
軍団兵は、毎年近辺の森や山から薪を採取していたが、基地周辺の木を切り倒す事は禁じられた。かつてこの基地を作った時に、大量の森の木を伐採してしまったので、基地周辺の木が全て無くなってしまったのである。これ以上切り倒すと、基地で木材が必要になった時や毎年の薪集めにも支障をきたす、と軍団司令部は判断した。そのような訳で、若い軍団兵で占められる第1戦列歩兵隊の百人隊は、山の奥まで行かざるを得なかったのである。
まるで山道のベテラン案内人のように、ファビウスは鉈で下生えを掃いながら、山の斜面を登っていった。その後ろを、十人隊毎に79人が従っている。マルキウス隊長達3名の士官が同行していない事もあり、厄介な力仕事にも関わらず80人は全員、ほぼピクニック気分で山を登っていた。各自、軍団の武装とは無縁な気軽な装い。ただし気温が下がっているので厚着をし、土の斜面でも滑りにくい鋲が付いた軍靴を履いていた。全員が、鉈と短剣も携行し、背負子を背負っていた。80人の中には、斧を持つ者が10人、弓を肩からかけている者も5人いた。禿鷹のドミティウスも、弓を持つ1人だった。
クロディウスは、十人隊長のカッシウスと共に歩いていた。そのカッシウスが、唐突にクロディウスに話しかける。
「色んな本を読んだって言っていたな?どんな本が、印象に残っている?」
クロディウスは予想外の質問に戸惑いながらも、隊長に呆れられたくないので少し考えてから答えた。
「プラトンの『饗宴』や『パイドン』、『国家論』、『パイドロス』なんかが、印象に残っています。まあ、ソクラテスの教えを、プラトンが解釈したものでしかないですが。」
カッシウスは、笑みを見せながら言った。
「この長い軍団生活で、初めてソクラテスやプラトンの話をする奴に会った。」
「カッシウス隊長も、哲学の本、お読みになったんですか?」
「ああ、それなりにな。ただ、今までそれを話せる相手がいなかったけれどね。イデアについて、クロディウスはどう思う?」
クロディウスは、動揺した。彼自身もまた、軍団で哲学の話しをする日が来ようとは思ってもいなかったのである。
「この世の物はすぐに消えてしまいますが、消え去る事のない完全な世界がある・・・って言いますが、私はそんな境地に達したこと無いので分かりません。」
「同感だ。私も無い。ロゴス(※言葉)を手掛かりに、彼はイデアと言う結論に至った。魂の不滅の論証については、どう思うかな?」
カッシウスに問われて、クロディウスは更に困った。
「それも難しい質問です、カッシウス隊長。私たちが、この世の雑多な生活から純粋な何かを目指して進んでいくのは、すでに天上で美しい『真実』を見た潜在的な記憶があるからだ、って言う理屈ですけど・・・私には天上の記憶があるのかどうか分かりませんし・・・。そもそも私達は、純粋な何かを目指して進んでいるのでしょうか?ただ、忙しい生活に追われているだけの気がします。」
カッシウスは、笑みを見せた。
「なるほどな。その『真実』って、何だろうな?」
「真実は・・・正直、分かりません。真実が何であるのかは、語っていないので。」
「確かに。プラトンの弟子の、アリストテレスの本は読んだ?」
「はい、色々読みました。でも、私はアリストテレスの著作そのものよりも、彼がかのアレクサンドロス大王の教師だった事の方に興味があります。アリストテレスは、一体何をアレクサンドロスに教えていたのでしょう?」
「それは、『真実とは何か?』と同じぐらい、難しい謎だな。」
クロディウスは、今度は自分から、カッシウスに思い切って質問してみた。
「カッシウス隊長は、どんな本がお好きなのですか?」
カッシウスは、躊躇することなく答えた。
「ユリウス・カエサルの、ガリア戦記だ。子供っぽい答えだったかな?」
クロディウスは、即座に答えた。
「いえ、そんな事はありません!私も、実はとても好きなんです!ガリア戦記は初めて読んだ時は、ワクワクしました。その後、何度も読んでいます!」
「おっ、そうだったか。私もね、子どもの頃、夢中で読んだ。それが軍団兵に志願するきっかけの一つだったとも言えるな。」2 「そうなのですか!ガリア戦記は、文章が洗練されているし、読みやすいし、何より面白いですよね!」
「そうだな。よし、ここで一つ問題を出そう。アレクサンドロスと、ハンニバルと、ユリウス・カエサルが戦ったら、誰が一番強いと思う?」
「えぇ~!?それも、難しい質問です・・・。獅子と虎と熊が戦ったら、どれが勝つかみたいな問いですね。どの将軍も、優れた采配によって少ない兵力で大軍の敵を打ち破った、って言うのは共通してますけれど・・・う~ん。ハンニバルは最終的にスキピオに負けているし、ユリウスは全戦全勝って訳でも無いですし・・・創意力や突破力っていう意味ではアレクサンドロスかな?隊長は、どう思われますか?」
「私は、最終的にはユリウスが勝つんじゃないかな、と思う。」
「何故ですか?」
「ユリウスその人への評価って言うより、ローマ軍団の在り方の問題だな。ローマ軍は、意外と負ける事も多い。でも、その負けから学んで周到に次の準備をして、最終的に勝つ。ユリスは、その象徴だと思うのだよ。」
「なるほど!」
とクロディウスは、頷いた。
「でもね、ローマ軍団も、ユリウスも完全じゃないから。誰も見ようとしない、知りたくない陰の部分もある。みんな見たくない現実には、目を背けるからね。いつか時間があったら、ガリア戦記の暗黒面についても話をしよう。」
一瞬、カッシウスの顔が暗くなった。クロディウスは、なぜカッシウスがそんな事を言ったのか、理解できなかった。
二人がそんな会話をしている途中で、先頭のファビウスが立ち止まる。
「この辺で、薪を採取します!」
全員が背負子を下ろし、地面に落ちている太めの枝を拾い初め、また鉈で届く高さの木の枝を切り落とし始めた。
ファビウスが、周囲の木々を一本ずつ確認しながら歩いていた。何本かの木に鉈で印を付けると、皆に聞こえるように言った。
「印を付けた木は、倒しても大丈夫です。」
斧を持った軍団兵数名が、それらの木を斧で切り倒し始めた。
午前中の作業を終えると、隊毎に集合して昼食となった。各自携行した塩パンと干し肉と干し芋を食べ、革袋の水筒から水を飲んだ。
クロディウスは、ファビウスに尋ねた。
「さっきの、『倒しても大丈夫』って言うのは、どう言う意味ですか?」
ファビウスは、干し肉を噛みながら答えた。
「ああ、あれな。どう説明すれば、分かりやすいかな?森って、木を切り倒しまくってしまうと、死んじまう。それは、分かるよな?昔あった基地の周りの森は、今は無くなっちまってるだろ?森を取り戻すには、滅茶苦茶長い年月がかかるものなんだ。
でもな、逆にな、森の木って、多すぎても良くないんだよ。葉が繁って、お互いにお日様の奪い合いになっちまうんだ。そうなるとお日様の光が木の下に届かないんで、森の中は貧しい森になっちまう。それとな、お日様の奪い合い競争に負けた木は、だんだん弱っていくんだ。やがて、枯れちまうのもある。そう言った木を選んで伐採すれば森は壊れないし、陽が地面に届いて逆に森が元気になるんだよ。」
クロディウスは、またまた感心した。山でのファビウスには、教えられることばかりだ。これまでも、たくさんの事を教わった。
「本当に山の事、色々知っているんですね!」
「まあ、それなりにな。」
ファビウスは照れつつも、まんざらではなさそうだ。
昼食を終えると、ドミティウスと他の隊の4人が弓を持って、更に山奥に歩いて行き、やがて視界から消えた。クロディウスは、ファビウスに尋ねた。
「ドミティウスさん達は、何しに行ったんですか?」
「まあ、そのうち分かるさ。」
と、ニヤリと笑みを見せながらファビウスは言った。
昼食後、作業が再開された。軍団兵は、斧で計5本の木を切り倒した。その倒れた木を、背負子に入れられる長さにまで、斧で更に分割した。こうして夕方までには、80個の背負子に積めるだけの薪が集まった。
背負子に薪を積んでいると、弓を肩にかけたドミティウスら5人が戻ってきた。雉や山鳩等たくさんの鳥が、彼らの手にぶら下げられている。ドミティウスが叫んだ。
「今日は、鳥肉料理だぞ!」
それを、聞いた軍団兵は歓声を上げた。ファビウスが、クロディウスに行った。
「な?こう言う訳さ。」
80人全員が、薪でいっぱいになった背負子を背負い、山を下り始めた。冬の日没は早く、あっという間に日は沈んだ。元々暗かった森の中は、更に暗くなった、木々の間から照らす月明りや星明かりは微かだったが、ファビウスは気にする様子もなく先へ進んでいく。一同は、それにただ着いていく。クロディウスは、紅鶴の方のユリウスに言った。
「何故ファビウスさんは、こんな暗闇でも歩けるんですか?」
ユリウスは、こう答えた。
「ファビウスが、『梟』と呼ばれる理由が分かったろ?」
マルキウス隊の80人は、無事に軍団基地に帰還した。
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