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第一部:第四章 第Ⅳ軍団マケドニカ

29.カナバエの少女

軍団の種々の勤務に慣れてきた11日目、クロディウスにもようやく休息日が到来した。テント組に配属されて、初めての休息日である。 その日の朝、ファビウスがクロディウスに言った。
「クロクマは、まだ訓練以外で基地の外に出たこと無いだろ?」
クロクマとは「クロディウスは熊」を略したあだ名で、最近ファビウスが命名した。
「はい、ファビウスさん。」
「この地域を案内してやるけど、行くかい?」
「ぜひ、お願いします!」
「シグナークルム(※認識票)の入った革袋は、絶対に首からかけとけよ。基地に入れなくなるからな。あと、ちょっと歩くから、水筒も忘れるなよ。」
「はい!」
こうして二人は、私服で基地の外へ出ることとなった。

まず、ファビウスはカッシウス十人隊長に外出許可を得てから、クロディウスを基地内の会計事務所に連れて行き、軍団預金を下ろさせた。
「幾らぐらいあればいいですかね、ファビウスさん?」
「普段は1デナリウスもあれば十分だけど、その服じゃちょっとさえないから服も一着ぐらい買った方が良いかな。3デナリウスで良いんじゃないか?銀貨じゃ使い勝手が悪いから、青銅貨と銅貨にしてもらいな。」
言われる通り、クロディウスは軍団預金から3デナリウスを下ろして、セステリティウス青銅貨やデュポンディウス青銅貨、アス銅貨に両替してもらい、その硬貨をお財布代わりの革袋に入れた。

二人は、基地の東側の門から外へ出た。基地の東側には、「カナバエ」と呼ばれる町が隣接している。ここは、軍団兵に食べ物や飲み物、贅沢品を売るために、商人が集まってきてできた町である。物を売るだけでなく、居酒屋もあったし、踊りや音楽、その他色々な歓楽も提供していた。
カナバエの商店を歩きながら、ファビウスが言う。
「今のうちに、ここでお前の服を買っておこう!」
そう言うと、一軒の店に入った。看板に「レピディナの店」と書いてある。
「おばちゃん、いるかい?」
店の奥から、ふっくらとした壮年の女性が出てきた。
「あら、梟のファビウスじゃないの。今日は、何だい?おっ、新人さんだね?」
「そうなんです。こいつは、熊のクロディウス。17歳。」
「あら、凄く若いのね!私は、店主のレピディナよ。よろしくね。」
「よろしくお願いします。」
とクロディウス。ファビウスが説明する。
「でね、こいつ、軍団支給の服と、ローマから持ってきた野暮ったい服しか持っていないんですよ。これじゃさえないから、カッコいい服を見繕ってくれませんか?」
クロディウスは、慌てて言った。
「まだ、あんまり高いのは買えないのですが・・・。」
それを聞いたおかみさんは、笑いながら言う。
「そうねえ…これなんて、どうかしら?鮮やかな青でしょ?この緑のも良いわね。お買い得品なの。通常はもっと高い品なのよ。」
クロディウスが尋ねた。
「おいくらですか?」
「青いのは1デナリウスと2セステリティウスで、緑のは3セステリティウスと1アスよ。」
「形は同じなのに、値段は随分違うのですね。」
「青の染料は高いのよ。」
「じゃあ、緑のをお願いいたします。」
「今日はお祝いってことで、1アスは負けとくわ。その代わり、これからもこの店をご贔屓にね!」
「ありがとうございます!」
クロディウスは、3セステリティウスを支払って緑の服を受け取り、今着ている服の上に重ね着した。
既にオクトーベル月も後半。秋も深まりつつあり気温が下がっていて肌寒いので、重ね着の暖かさが心地良かった。おかみさんが言う。
「似合っているわよ。今日は、楽しんでらっしゃい!」
「ありがとうございます!」
クロディウスは、再度お礼を言って店を出た。

カナバエの町の出口に近い一軒のパン屋の前で、クロディウスは一人の少女を見かけた。長い黒髪の少女で、大きな袋を抱えて店の中に入っていくところだった。店の名前は、ラウディウスのパン屋。その少女に見とれながら歩いていると、ファビウスが言った。
「おっ、気がついたか。可愛いだろ?」
クロディウスは、即座に打ち消した。
「いや、パン屋を見てただけです!お腹空いたな~、と!」
「無理すんなって!あの子は、このカナバエのみんなの憧れの子だ。お前が、一目惚れすんのも無理はない。」
そう言うと、ファビウスはパン屋のドアを開けた。クロディウスは、慌てふためいた。
「あの、ちょっと、ファビウスさん!」
「良いから、来いよ!」
結局、クロディウスも一緒に店の中に入った。
「こんにちは!」
ファビウスがそう言うと、先ほどの少女が二人の応対をした。
「いらっしゃいませ。パン屋はまだ開店時間前ですけども。」
「いや、どうしてもこいつが腹減ったと言うもんで!」
「えっ?」 と、驚くクロディウス。
「あの、パン、まだ焼けてないなら大丈夫です!」
クロディウスがそう言うと、店の奥から野太い声が聞こえてきた。
「お客さんかい?」
「はい、お父さん!」
「今、最初のが焼けたところだ。」
その声を聞いて、少女がクロディウスに言った。
「お客様、大丈夫です。お売りできますよ。」
クロディウスが尋ねる。
「1つおいくらですか?」
少女が答える。
「1つ、1アスです。」
クロディウスは即答した。
「じゃあ、8個ください!」
今度は、ファビウスが驚く番だった・・・8個も!?
「とてもお腹が空いていらっしゃるのね。8個で、2セステリティウスです。」
少女がそう言うと、クロディウスは二セステリティウスを支払った。
「バスケットや袋は、お持ちではないですよね?」
「はい、持っていません。」
「では、麻袋をお貸ししますね。」
「ありがとうございます。」
マルキウス隊長顔負けのがっしりとした体格の男が、プレートに焼き立てのパンを載せて店の奥から出てきた。焼き立てのパンの良い香りが、店内に広がる。少女は、その焼き立てのパン8つを麻袋に入れて、クロディウスに手渡した。
「ありがとうございました。」
少女に見送られながら、二人は店を出た。

通りを歩きながら、ファビウスが言った。
「正気か!?そんなでかいパン8つもどうすんだ!?」
クロディウスは答える。
「ファビウスさんも、一緒に食べましょうよ。」
「マジか?2人で食べたとしても、せいぜい3つが限界だぞ!?」
「余ったら、部屋の先輩方と分けます・・・。」
クロディウスは、心ここにあらずと言った表情だった。
思い返してみれば、ローマでは日々ヌム工房と家の仕事に追われ、周りの女性と言えば、母と妹達だけだった。そしてローマを旅立ってから今日までは、ずっと汗くさい男だけの生活をしてきたのである。そんな雑草しか生えていない彼の歩む道に、突然美しい百合の花が咲いているのを発見してしまったのである。その百合の美しさに、17歳のクロディウスが心を奪われたとしても、致し方の無い事であった。
ファビウスが隣でしきりに何か言っているが、全く耳に入っていない。
「おい、クロクマ、聞いてる?聞・こ・え・て・る?」
ようやく、クロディウスが気づいた。
「あっ、はい。」
「あっ、はい、じゃなくてね。良いか、さっき見ただろ?屈強な親父さんを。あの子のお父さんは今はパン屋だが、パン屋を始める前は軍団兵だったらしいぞ。あの子にちょっかい出したら、あの熊のようなお親父さんを怒らす事になるんだぜ!理解してる?」
「あっ、はい。熊ですね。僕も熊です。パン一緒に食べましょうよ、ファビウスさん。」
やはりボーッとしている上の空のままのクロディウスは、パンを1つファビウスに渡した。2人がカナバエを出ると、1ローママイルほど先には港町のタッラコが広がり、更にその向こうには美しいエメラルド色の海が広がっている。


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