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第一部:第三章 新兵達の訓練

19.星空

翌朝、全身筋肉痛の新兵達が、広場に整列していた。彼らにとって予想外だったのは、腕や腰だけでなく、脚まで筋肉痛だったことである。行進の時とは違う筋肉を酷使していたためだろう。しかし厳しい整列と行進の訓練を受け続けた彼らが、筋肉痛でよろめくようなことは無かった。
その日も、荷車に資材を載せて、昨日の草原まで移動し、昨日と同じ作業を開始した。昨日掘り返した柔らかい地面を再び掘り返さないため、陣営設置個所は固い地面の場所に変更された。
筋肉痛で顔を歪ませながらも、一同は黙々と作業を行う。昨日の徹を踏まないように、皆が効率よく作業を行った。皆、手順や要領は分かっていたので手際は良く、ひどい筋肉の割に作業は順調に進んだ。陣営の構築は1時間半ほどで終わり、塹壕と百合掘りは2時間弱で終わった。計3時間半。昨日より早くはなったものの、目標の2時間にはまだほど遠い。

陣営構築訓練3日目。筋肉痛は相変わらずだったが、壁の設営から穴掘りまで3時間を切った。午後の陣営解体後に残った半端な時間は、2回目の塹壕掘り訓練に充てられた。

陣営構築訓練4日目。完成まで2時間半。そして陣営を1時間で解体した後、午後も同じ陣営構築作業を行う。

陣営構築訓練5日目。筋肉痛もほとんど解消されたこともあり、遂に2時間で完成。この日も2度、陣営構築と撤収の作業を行う。
その日の訓練後、ウェトゥリウス教官は、明日の訓練では、いつもの陣営構築資材の他、軍団のテントや各部屋の炊事用具も持ってくるよう命じた。

陣営構築訓練6日目。草原に2時間で陣営を構築した後、副教官が陣営内でのテントの設営方法を教えた。雨の日の行軍でお世話になった、あの懐かしの革製テントである。
高さ6ペデースの高さの支柱を2本地面に突き刺し、支柱同士の上部を縄で繋ぎ、それらの支柱が倒れないように両側2ヶ所ずつを縄で引っ張って留める。その上に革製のテントを張って、左右を6本ずつの縄で引っ張って、その縄の端を杭に縛り、その杭を地面に打ち込む。杭は縄の張力や強風で引き抜かれないように、テントに向かって斜めに打ち込む。こうして、テント設営は完成した。陣営構築と比べれば、テント設営など楽なものだった。
副教官は、昼食の休憩を挟んで、午後、テントの設営と解体を7回繰り返させた。テント設営の手順や縄の張力の加減を、頭で考えるのでなく、感覚として体に覚えさせるためである。教官達のやり方は、全てそうだった。切羽詰まった実戦では、頭で考えている余裕はない。現場では、体がすぐに反応しなければならない。教官達は、それが骨の髄まで染み渡るように新兵達を訓練し続けた。

ウェトゥリウス教官が、96名全員を整列させて言った。
「今日は、お前達自身が設営した陣営で一夜を過ごす!基地での部屋と同様、8名ごとに一つのテントだ。この後、テント毎に食材を配る。」
「はい、教官殿!」
陣営内には、東西南北にそれぞれ3張りずつ、計12張りのテントが整然と設営された。教官3人用のテントは、陣営の中央に設営された。言わば、この陣営の要塞司令部である。教官達も、共にここで一夜を過ごすのだ。
その後、テント組毎に食材が配給された。パン、ベーコン、レンズ豆、蕪、芋。それに加えて、その夜は、チーズと葡萄酒も配られた。副教官によると、それはウェトゥリウス教官が自費で購入した物だと言う。
クロディウスの組には料理人の息子がいると言うことで、教官達3人分の料理も命じられ、その分の食材も手渡された。クロディウス達は、いつも以上に頑張って丁寧に調理をする。陽はどっぷりと落ち、陣営を照らす光は、月と星と調理用の僅かな火だけとなっていた。
クロディウス達は、完成したベーコンと芋のハーブ&塩胡椒炒めと、豆と蕪とベーコンのスープを教官達に8名全員で慎重に運ぶ。緊張の面持ちで、教官がスープを一口飲むのを見守る。ウェトゥリウス教官が言った。
「うむ、良い味だ。ご苦労。」
新兵8人は、ほっと胸を撫でおろした。クロディウスが、予め仲間と決めておいたお礼を代表で伝える。
「チーズと葡萄酒、ありがとうございました、教官殿!」
「うむ。下がって良い。」
と、教官は静かに答えた。 自分達のテント前に戻ったクロディウス達は、ようやく自分たちの食事をした。食後、炊事用の火をそのまま小さな焚火にした。その灯りが、それを囲む若者達の顔を照らしている。
8人の仲間には21歳の者もいたのだが、17歳のクロディウスが自然と8人のリーダーのような役割を担っていた。自分から名乗りをあげた訳でもないのに。子供の頃から苦労していたので、人の考えを見抜き、人の気持ちに寄り添える才能が身に付いていたせいかもしれない。クロディウスはこの8名の中で最年少なので、先輩に仕えるつもりで、皆のカップに葡萄酒を注いで回り、チーズを配った。これも、親方や職人たちの間で日々過ごして、自然に身に付いた習慣である。
今日は、全員がさほど疲れてはいない。6日前、陣営設営で腕が上がらないほどに疲弊していたのが嘘のようだ。クロディウスにとって、これほどリラックスした気持ちを味わえたのは、このタッラコの基地に来て以来、初めてのことである。他の仲間も、同じ気持ちのようだ。一人が言った。
「このテントを見ていると、あの雨の日の行軍を思い出すよ。」
別の一人が言った。
「あのテント行進で、町の人におかしなあだ名を付けられたな。テント仮装一座、だったよな?」
それを聞いて、一同が笑った。クロディウスも笑った。別の者が言った。
「ローマを出た時は、ユリウス月だったのに、もうアウグストゥス月も終わるな。そろそろセプテンベル月だ。早いもんだね。」
クロディウスは、その場に寝転がって、空の星を見上げた。小さな火の灯とは対照的に、真っ暗な夜空。そこでは、満天の星が煌めいている。彼は、これまでのことを思い返していた。27日間に及ぶローマからのタッラコまでの辛い行軍の旅、そしてこの基地での生活は12日目。連日のきつい訓練にも耐えている。故郷の両親を離れて、明日でちょうど40日目。彼は他の仲間からは見えないように、焚火の光の反対方向に顔を向けた。今の顔は、絶対に仲間には見せたくなかった。頬を一筋の涙が伝った。


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