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第一部:第三章 新兵達の訓練

18.壁と穴

訓練開始から6日目の朝、新兵達は昨日までと同じように整列していたが、いつもとは様子が違った。教官達の横に、荷車が12台並んでいる。ウェトゥリウス教官が、いつもの大声で命ずる。
「今日は、基地の外へピクニックだ!部屋の8名ごとにこの荷車1台ずつを牽いて、まずは倉庫へ行け!」
「はい、教官殿!」
言われるがまま、新兵達は部屋のメンバーごとに荷車を牽く。タッラコの軍団基地は、中央を交差するように2つの大通りが通っている。その交差点の南側に要塞司令部があり、北側には病院や浴場が位置していた。司令部の西側には、戦闘で第3戦列を努めるベテランの歩兵隊の兵舎があり、大通りを挟んで左側には厩舎があった。基地の南側と北側には第1戦列と第2戦列歩兵隊の兵舎があり、将官達の宿舎は南側の中央寄りに建てられている。
倉庫は厩舎の隣に設けられていたので、新兵達は2人の副教官に誘導されて、そこまで移動した。新兵達はこの基地についてからほとんど行動の自由がなかったので、基地内のどこに何の建物があるのかすらも、実は未だに良く理解していない。副教官達は、倉庫から土木用の大円匙(※土木用スコップ)や木の板、袋などを取り出して、荷車に積むよう新兵達に命じた。
勤務時間前の軍団兵達何人かが、新兵達の行動を見ている。彼らも、かつては早朝に同じことを経験したに違いない。副教官達に誘導されながら、積み荷を満載した荷車を轢いた新兵達が基地の大通りを西に移動する。
交替前の見張りの夜警門番が、西の門を開く。西の門を出ると、荷車の一隊はそのまま真っ直ぐに西へ向かった。

半ローママイルほど進むと森の中に入り、更に1ローママイルほど進むと広がりのある草原に着いた。そこには、先に到着していた教官のウェトゥリウスが待っていた。副教官が、号令をかける。
「整列!」
一同は荷車をその場に停めて、機敏に整列した。ウェトゥリウス教官が、例の大声で言う。
「さあ、これから楽しいキャンプのお時間だ!お前たちは、ここに陣営を作る!陣営作りは、行進と同様に軍団の基本だ!敵の夜襲を避けるために軍団兵は、行軍後に柵防御柵作りと塹壕堀りを2時間以内に終える!教官のやり方を、よく見ておけ!」
「はい、教官殿!」
と一同。
副教官達は、手慣れた手つきで大円匙で深く横長に土を掘り、掘った土を四つの袋に詰めた。掘られた穴に、副教官は9ペデース以上 (※2.7m以上/一ペース=約29.6cm) の高さの細長い板を差し込んだ。板と言うよりも、杭に近い。板の上部も下部も、鋭く尖っている。下の尖端は土に差し込みやすいように、上の尖端はその壁を乗り越えようとする敵に突き刺さるように。板の1.5ペデース以上が地面に埋められたが、地面の上にはまだ7ペデース以上の高さの壁が残っている。少なくとも、馬で飛び越えることは絶対に不可能な高さである。
その後、副教官は穴と板の隙間を土で埋め、4つの土嚢で前後を補強した。
「軍団兵はもっと堅固な壁の作り方を知っているが、今日お前たちが作るのはこの壁だ!」
ウェトゥリウス教官の後を継いで、副教官が説明を行う。
「一辺60パッスース(※約90m/1パッスス=1.48m)の正方形の小さな陣地を、壁で囲む!」
副教官2人が、一辺60パッスースの正方形の角4ヶ所に杭を立てて、その周囲に縄を張り巡らせる。その後、副教官が命じた。
「この線に沿って、それぞれ壁を作っていく。部屋ごとの8名3組の分隊で60パッスースを担当し、全4分隊で全240パッスースを完成させよ!壁の中央部には、一ヶ所入口を設けること。分隊ごとの競争とし、最も正確で頑強な壁を早く構築した者を勝利者とする!理解したか?」
「はい、教官殿!」
と答える新兵達。 3分隊ごと24名ずつが集まった。南側の壁を担当したアントニウスらの分隊は、即座に作業を開始した。東側の壁を担当したクロディウスらの分隊は、素早くかつ確実に壁を作るために作業の分担を決めた。縄に沿って穴を一直線に的確に深く掘る担当、その土を袋に入れて縛って土嚢にする担当、板を差し込んで根本の補強をする担当に分かれてから、作業を開始した。
クロディウス達の3組は、話し合い時間の分だけ作業の開始が遅れたが、次第に分業の効率の良さが発揮され、遅れを挽回し始めた。結果、クロディウス達の分隊の壁は2番目に完成した。即座に作業に取り掛かったアントニウス達の分隊は、最も早く完成した。アントニウスは、ほくそ笑んでいる。
しかし、彼らの壁は一直線ではなく波を打っていて、壁の高さも凸凹である。一方、クロディウス達の壁はほぼ一直線に揃っていて、高さもほぼ均一である。北側の壁担当のフリウスの分隊は4番目の完成でビリであったが、かなり正確にできていた。残りの西側担当の分隊の壁は、3番目の完成だったが、壁の配置が凸凹だった。
副教官は、南側の壁に近づき1枚だけ特出して高い板を思い切り蹴った。板は、大きくぐらりと陣営の内側に傾いた。明らかに、板の埋め込みの深さが足りなかったのだ。
「こんな貧弱な壁の陣営内で、一夜を過ごしたいと思う者はいるか?」
と、新兵達を見回して副教官が言った。その様子を、ウェトゥリウス教官がじっと見ている。副教官は、クロディウス達の東側の壁を勝利の壁と判定し、宣言した。
「いかに早くとも、しっかり構築されていなければ防御壁の意味はない!東の壁を見習え!次回は速度に加えて、正確さと頑強さも兼ね備えるように努めよ!」
「はい、教官殿!」
クロディウス達24名は喜んだが、それを見るアントニウスの顔には、悔しさと嫉妬の表情が浮かんでいた。

副教官は、続けて言った。
「次は、壁の周囲に塹壕を掘る。塹壕は、敵の奇襲を防ぐために無くてはならない。特に、騎兵に対して有効だ。V字型に深さ7ペデース(※約2m)で掘ること!」
4分隊は、再び東西南北に別れた。今度は、アントニウスらの分隊も話し合って、塹壕が曲がりくねらないように大円匙で慎重に塹壕を掘っていった。掘りだした土は、壁の根元の補強に回した。しかし、7ペデースの深さと言うのは、骨の折れる作業だった。地面は固まっているので掘るのは容易ではないし、大きな石が埋まっている所もあった。掘っている内に、次第に腕が上がらなくなっていった。長旅と行進訓練で脚は鍛えられたものの、腕の筋力の方は、未だ「ひよっ子」状態だった。
子どもの頃から力仕事をしてきたクロディウスも、円匙で土を掘る力が無くなりつつある。ましてや力仕事とは無縁だった若者達には、塹壕堀りは過酷な作業だった。自分の身長より高い穴を掘り続けると言う事がどういう事であるかを、新兵達は身をもって理解した。

7ペデースの穴を掘り終えた新兵達が、続々と穴から這い上がってくる。西側の最後の一名が穴から出て来て、円匙を持った96名全員が整列を終えると、副教官は言った。
「次の穴を掘る!」
次の穴?新兵達は、耳を疑った。まだ掘るのか?もう、腕は上がらない。副教官は続ける。
「塹壕の外側に、1人一つずつ円錐状の穴を掘る。そして穴の真ん中に、尖った杭を立てる。これを3ペデース間隔で掘り、列ごとに互い違いになるように掘る。その穴を枝や葉で覆い、土を被せて落とし穴と分からないようにする。突進してきた敵兵は、この穴に落ちて串刺しになる。軍団はこの穴の罠を、百合と呼ぶ!」
クロディウスは、なるほどと思った。円錐形は確かに百合のような形であるし、真ん中の杭は雌蕊のようでもある。しかし、百合と言う名前とは逆に、身の毛もよだつ恐ろしい落とし穴である。そんな穴には、決して落ちたくないものだ。
「まず私が、百合を一つ作って見せる。よく見ておけ!」
「はい、教官殿!」
そう言うと、副教官は円匙を持ち、塹壕の外側に穴を掘り始めた。過去、いくつもの百合を作ってきたのであろう。手慣れた動きで、どんどん穴を掘っていく。中央に杭を差し込み、そして杭が安定するように杭の根本を更に土で固定した。立派な百合が完成した。
「このように作れ!各分隊に別れて開始せよ!」
4分隊は直ちに東西南北に別れて、百合の穴掘り作業を開始した。しかし、もはや腕に力が入らない。百合作りは、塹壕掘り以上にはかどらなかった。誰もが、少し掘っては少し掻き出しの繰り返しである。深く掘る力が、残っていないのだった。副教官が怒鳴る。
「日が暮れてしまうぞ!」
「はい、教官殿!」
一同は、最後の力を振り絞ってそれぞれの百合を掘り、荷車から杭を降ろしてきて穴の真ん中に立てた。そして森に入り枝葉を集めて穴を覆い、その上に土を被せる。今回最も早く完成したのは、クロディウス達の分隊で、2番手はアントニウス達の分隊だった。軍団が2時間で完成せねばならない陣営作りに、既に5時間近く費やしていた。正午を大幅に回っている。
96人全員が整列すると、副教官は言った。
「今回の陣営構築の勝者は、東の分隊である!勝者には、ウェトゥリウス教官より褒美がある!」
全作業を傍で見ていた教官のウェトゥリウスが、中央まで歩いてきて言った。
「本日の勝者の東側を担当した分隊24名には、褒美として昼食に干し無花果を与える。」
東側担当の24名から歓声が上がった。しかし、教官は訓戒も忘れなかった。
「しかし、陣営構築があまりに遅い!明日は、もっと早く陣営を構築するように尽力せよ!」
全員が叫んだ。
「はい、教官殿!」

その後、昼食休憩となった。一同は自分らが設営した陣営に入り、担当した壁の内側でそれぞれ昼食を取った。みな、泥だらけである。東側の分隊だけが、干し肉と干し芋以外に、干し無花果が与えられた。アントニウスが、それを睨んで見ている。クロディウスは、それに気が付かないふりをして食事を終えた。

午前の作業に手間取ったため、午後の作業の開始が遅れた。副教官が言う。
「午後は、陣営撤収の作業を行う!軍団は、速やかに陣営を引き払い移動できなければならない!陣営や百合構築の資材は、一切の無駄がないように回収し、陣営跡や塹壕と百合の穴は全て土で埋めること!」
「はい、教官殿!」
返事をしたものの、新兵の誰もが思った。苦労して作った陣営も塹壕も、僅か1時間で取り壊すとは!しかし、命令は命令である。百合を覆った土と枝と葉を取り除き、穴の底から杭を引き抜き、土で埋め戻す。その後は、塹壕を土で埋める。全員が、腕の筋力の限界を超えていたし、何人かは腕が攣っていた。クロディウスも、気が付けば手の平や指に血豆ができていた。足裏に加えて、今度は手も血豆攻めである。
塹壕を埋め終わると、次は壁の解体である。土嚢をどけて、板を引き抜き、土嚢から土を出し、穴を土で埋めていく。杭や板や布や円匙を、荷車に戻す。こうして、全ての陣営撤去作業を終えた。肩より上に腕を挙げられる者は誰一人残っていなかった。いつの間にか、夕暮れとなっている。教官が言った。
「ひよっ子ども!陣営構築も、撤収もあまりに遅すぎる!迅速にできるようになるまで、明日以降も陣営構築作業を行う!以上だ!」
「はい、教官殿!」
一同は、荷車を牽いて軍団基地に向かった。新兵達には、荷車の重さが朝の何倍にも感じられる。基地に戻り着いた時は、とっくに陽が沈んでいた。
その夜、部屋に戻った新兵達の中で、無駄口を叩ける元気の残っているものは誰もおらず、黙々と夕飯の調理をして食べた。そして、洗濯をし、入浴し、即座に床に入った。

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