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第一部:第二章 クロディウスの旅立ち

12.ピサの夜

翌日は、若者達は早朝に叩き起こされた。軍団兵達は、既に全員起きていて朝食の準備を終えていた。若者達は誰もがひどい筋肉痛で、痛みを我慢しながら準備を終えた。 副隊長が、新兵候補者達に大声で言う。
「のんびりしている暇はない。お前たちの足では、40ローママイルを行軍するのに、10時間では足りないからな!朝食を取ったら、すぐに出発だ!」
若者達は、急いで宿の朝食を食べた。

その日も、海岸線のアウレリア街道をひたすら歩いた。若者のほとんど全員が、筋肉痛で顔を歪めている。真夏の太陽に照らされた美しいティレニア海に見とれる余裕も、行軍中の若者には無い。アントニウスが、隣のクロディウスに小声で言った。
「この程度で脚が痛むのは、日ごろ鍛えてないせいだ。その点、俺は毎日しっかり鍛えていたからな。」
クロディウスは、今回も何も答えなかった。

昼前に20ローママイルを歩ききり、休憩を取り、驢馬に積んであった乾燥したパンや干し肉などの簡単な昼食を支給され、革袋の水筒の水で急いで胃に流し込む。午後もひたすら20ローママイル歩いて、次の宿場に到着。そして夜の食事を取り、体を拭いて、就寝。残り73デナリウス。
翌日も同じ。起きて、食べて、歩いて、食べて、歩いて、食べて、寝る。残り72デナリウス。その翌日も、起き、食べ、歩き、食べ、歩き、食べ、寝る。残り71デナリウス。翌日も、その繰り返し。残り70デナリウス。
そんな行軍の日々を繰り返していると、体の疲労は蓄積していくものの、リズムと言うか、慣れのようなものが生じてきて、少しではあるが行軍が楽になってきた気がする、とクロディウスは思った。フリウスも同じようで、脚は痛むものの何とか行軍に着いてきている。古くから言われているように、正に「習うより慣れろ」である。
ピサへの最終日は、残り35ローママイルだったこともあり、より楽に感じた。新兵候補者達96名は、一人も欠けることなくピサに到着した。ピサの広場で、百人隊長が整列する若者達に語る。整列は相変わらず凸凹で、全く軍団兵には見えない。
「新兵候補者の諸君。6日間に及ぶ行軍によく耐えた。今日は、このピサで諸君の歓迎の晩餐を行う!明日の行軍は休みとし、ここに2泊する。体をゆっくりと休めて、明後日からの行軍に備えよ!」
クロディウスは、ペトゥロニウスのやり方を思い出した。緊張の後の緩和。今日は、思い切り休めるのだ。

ピサは、テルメ(温泉)の町である。ローマ式公衆浴場のテルマエには、温泉が引かれていた。軍団兵と新兵候補者達は昨日までは水に濡らした布で体を拭いていたが、旅の6日目にしてようやく湯に浸かることができた。軍団兵も若者達も、温泉に浸かって長い行軍の疲れを癒した。
その後の食事は、さながら祝宴だった。葡萄酒も振る舞われた。料理もいつもの質素なものでなく、焼き立てのパン、港から届いたばかりの種々魚の料理、厚切りのベーコン、山盛りのポテト、茹でた豆等々の他、エジプト産の干し無花果すらあった。莫大な料理の数々。このご馳走を弟や妹達にも分けてあげたい、とクロディウスは思わずにはいられなかった。
彼の隣には、同世代のフリウスとアントニウスが座っている。生まれて初めて葡萄酒を飲んだクロディウスが言った。
「うわ、渋いんだか、酸っぱいんだか、甘いんだか、よく分かんないや!」
「うん、そうだね。」
とフリウスも頷いた。アントニウスが言った。
「なんだ、二人とも葡萄酒は初めてなのかい?」
「君は、飲んだことがあるのかい?」
と聞くクロディウス。
「そりゃ、我が家は、貿易で稼いでいる騎士階級だからな。マケドニア産の高級な葡萄酒を、何度も飲んでいるよ。」
と自慢気に応えるアントニウス。 「へえ。そんなお金持ちの君が、何故わざわざ軍団に入ったの?」
と、クロディウス。
「箔をつけるためさ。軍団で昇進して、なる早で百人隊長になり、最終的には筆頭百人隊長にまで昇進して、あわよくば更にその上を目指す。退役後は、父の貿易会社を継ぐつもりだ。今、18歳だから25年の軍務を経ても、まだ働き盛りだ。その頃には父も引退する頃だろうし、ちょうど良い。騎士階級の肩書きと、軍団でのかっこいい肩書きと、貿易商の経済力があれば、間違いなく一目置かれるし、ウァレンス家の名声も一気に高まる、と言う訳さ。そうなれば、貴族階級の娘を妻に迎えられるかもしれないし、元老院議員も夢じゃない。完璧だろ?」
「へえ、君はそんな先の事まで考えているのか!」
と、クロディウスは感嘆した。今度は、アントニウスが彼に質問した。
「お前は、なんで軍団に入ったんだ?」
クロディウスは、お酒が入っていたこともあり正直に答えた。
「父は優れた鍛冶職人で、独立する寸前で事故にあってしまって。まあ、家族を支えるために入隊したってとこ。」
アントニウスは、質問の対象者を替えた。
「ほお。で、フリウスは?」
ちょっとの間をおいて、フリウスが答える。
「僕は、何と言うか・・・家から出たかったんだ。母が生きている頃はそうでもなかったんだけど、親父は酒に酔うとすぐ僕に暴力を振るうんだ。凄い怪力なので、僕は抵抗もできない。だから、いつも痣だらけだったんだよ。」
そう言って、短衣をめくってお腹を見せた。紫色の大きな痣があった。彼は過去形で語ったが、明らかに最近つけられた痣である。
「軍団に入ればあの父親から離れられるし、軍団で訓練されれば強くなれるから、家に戻っても、もう暴力に怯えることも無くなるし。」
クロディウスは、何故フリウスがこんなに神経質そうに見えるのかが、少し理解できた気がする。
「なるほどな。そんなクソ親父、ぶっとばしちまえば良いんだ!」
とアントニウスが言ったが、クロディウスはその件については黙っていた。
家族に暴力こそ振るわなかったものの、父アンニウスが一時期、自暴自棄になって怒りまくり弟や妹が怯えていた姿を覚えていたから、フリウスの気持ちが少し理解できる。しかし、アントニウスが言うように、父を殴るなどと言うことは想像もできなかった。父は彼を愛していたし、彼も父を好きだったから。
「乾杯だ!」
アントニウスは、葡萄酒の入った陶器を持ちあげた。クロディウスとフリウスもそれに倣った。アントニウスが言う。
「このクソ行軍と、このクソまずい葡萄酒と、フリウスのクソ親父に、乾杯!」
3人は、乾杯した。その日は、ベテランの軍団兵も若い新兵候補者も夜遅くまで飲み明かした。

翌朝、クロディウスは、ひどい二日酔いで目が覚めた。朝食時に、会計を預かる旗手から若者達に報告があった。旗手は、各自の残り70デナリウスから昨夜の宴会のため10デナリウスが支払われたことを告げた。クロディウスは、愕然とした。あのケレルさんの料理店だって、その半分の料金もかからない。彼は、隣のアントニウスに言った。
「いくらなんでも、10デナリウスは高すぎるよ。軍団兵の給与半月分だ!せいぜい3~4デナリウスがいいとこだ。」
アントニウスは、呆れたように応える。
「何も分かってないな、クロディウス。俺たちは、軍団の兵士の分も払わされているんだよ。仕方ないだろ、俺らの子守り役代って訳さ。つまり、俺らの重~い75デナリウス袋を、軽くするために手伝ってくれてるってことだよ。それに、たかだか10デナリウスじゃないか。気にすんなよ。」
たかだか10デナリウスだって?クロディウスにとって、10デナリウスは決して小さな金額ではなかった。騎士階級のアントニウスとは、経済感覚がかなりずれていた。残りは、60デナリウスである。

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