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第一部:第二章 クロディウスの旅立ち

11.初めての行軍

昼前にローマを出発した179人の一行は、まずはアウレリア街道を西へ進み、海辺に着くと向きを変え、ティレニア海を左に臨みながら海岸線をひたすら北上する。
百人隊長と旗手は馬に乗って先頭を進み、その後ろを徒歩の40人の軍団兵が従った。旗手は、百人隊旗シグヌムを高々と馬上に掲げている。その後ろに96人の新兵候補者が続き、更にその後方に驢馬8頭を伴った残りの軍団兵40人が付き従った。驢馬は、軍団の装備品を運ぶ。そして、しんがりはやはり馬に乗る副隊長が務めた。下士官クラスであっても、騎兵ではない歩兵隊の兵士が馬に乗るのは珍しい。新兵引率任務は、少数の部隊にとって危険を伴う異例な任務の長旅のため、乗馬が許されているのだろう。
一行はアウレリア街道を、ひたすら北に向かう。ユリウス月の暑い太陽が照りつける。新兵候補者達は短衣ですら暑いというのに、軍団兵達は甲冑に兜と言う重い正式軍装にも関わらず、表情一つ変えずに一定のリズムで行進を続けている。
新兵候補者達は、行進中の私語を禁じられていた。尤も最初は意気揚々としていた新兵候補者達の若者の中で、私語を交わすほどの元気が残っている者はほとんどいなかった。休憩なしで、既に10ローママイル(※1ローママイル=約1・48km)は歩いているのだから。
更に5ローママイルを歩くと、新兵候補者達の中に脚を攣るものも出てきた。無理もない。昨日までパン屋や雑貨屋で働いていた者らが、炎天下、重い背嚢を背負って休むことなく歩き続けているのだ。クロディウスは、力を要する鍛冶屋で下働きをしていたため、更にかつてはユヴェントスで鍛えていたこともあり、他の若者達よりは体力があったため、脚を攣るようなことはなかった。
若者の一人が、立ち止まって腰をかがめてしまった。クロディウスが後ろを振り返ると、あのフリウス・ファベルである。彼が立ち止まったため、後方の行進も止まった。それに気が付いた副隊長は、馬をフリウスの横まで進めた。
「新兵。何故、止まった。停止の命令はしていない。」
「すみません、脚が攣ってしまい、動かないのです。」
「戦闘で脚が攣ったら止まるのか?それで休んで、敵は見逃してくれると思うのか?」
「いえ、そうは思いません、副隊長殿。」
「では、歩け。」
そう言って、歩き始めようとしたが、脚は攣ったままで脚に激痛が走った。気が付けば、前方の部隊も全員立ち止まり、事の成り行きを見守っている。クロディウスは居たたまれなくなり、副長に申し出た。
「副隊長殿、発言してよろしいでしょうか。」
「許可する。」
「自分が、彼に肩を貸しても良いでしょうか。彼の分の背嚢も背負います。」
「許可する。好きにせよ。」
副長は、そう言って後方へ戻っていった。クロディウスは、自分の背嚢に加えてフリウスの背嚢も右肩に担ぎ、更に左肩をフリウスに貸した。フリウスは脚を引き摺りながらも、ようやく歩き始めることができた。その様子を前方で見ていたアントニウス・ウァレンスが、クロディウスの耳元で囁く。
「目立ちたがり屋なのか?それとも点数稼ぎか?」
クロディウスは、答えなかった。先頭の百人隊長は、その様子を全て見ていた。

それからもう5ローママイルほど行くと、ようやく休憩となった。新兵候補者の若者達は、街道沿いの木陰に入ると革製の水筒から水を飲んだ。副長が若者達のところにやって来て、馬上から彼らに言った。
「ローマ軍の兵士は、5時間で20ローママイルの行軍をする。早足では、同じ時間で24ローママイルを走破しなければならない。しかし諸君は20ローママイルを移動するのに、既に6時間以上もかかっている。今日は出発が遅かったので、宿場まであと4マイルほど行軍して終わりだが、6日後にはピサに着かねばならない。
ピサまで200ローママイルだ。それを残り5日で踏破しなければならない。一日40ローママイルの行軍が必要だ。今日のこの程度の行軍に着いて来られないようでは、どのみち軍団では役に立たない。正式に軍団兵ともなれば逃亡罪は即死刑だが、諸君らはまだ候補者に過ぎん。これ以上は無理だと思うなら、無駄に時間を費やす必要はない。さっさと荷物をまとめて、故郷に帰るが良い!」
それだけ言うと、副隊長は百人隊長と旗手の所へ戻っていった。 副隊長がいなくなると、フリウスはクロディウスに礼を言った。
「ありがとう、クロディウス。本当に助かった。」
「いや、困った時はお互い様だよ。あと4ローママイル歩けるかい?」
「うん、痙攣は収まってきたし。それに、どうしても軍団を追い出される訳には行かないんだ。」
クロディウスはその理由を、敢えて聞かなかった。クロディウスにしても、ここで家に帰る訳にはいかない思いは同じだったから。
新兵候補者達は、背嚢にギッシリと荷物を詰めてきた事を後悔し、中の荷物の整理を始めた。少しでも背嚢を軽くするために、行軍に必要のない物は、重い物から順番に捨てていく。陶器製の食器や羊皮紙の高価な本すら持ってきている者もいたが、今後の辛い行軍の事を考えて、泣く泣く道端に投げ捨てた。クロディウスの家は貧しかったので、そもそも余計な物は携行しておらず背嚢の中にはたいした物は入っていない。荷物の整理が終わると、一同は再び出発した。

179人の一行は、残り4ローママイルを歩ききり、ティレニア海沿いの港町のアルシウムに到着した。隊は何軒かの宿を借り切って、数名に一部屋ずつを割り当てた。その後、それぞれの宿で簡単な夕食が取られた。あまりに疲れきった若者達は、会話を交わすこともなく黙々と食べた。その後、濡れた布で体を拭くと着替えて、衣服や下着を洗って干し、さっさと床に入った。全員、すぐさま深い眠りに落ちた。この日の宿泊と食事のために、一人あたり1デナリウスが支払われた。残りは74デナリウスである。

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