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第一部:第二章 クロディウスの旅立ち

10.若き軍団新兵候補者

ユリウス月、クロディウスは17歳の誕生日を迎え、その一週間後、遂に軍団新兵候補者として旅立つ日が訪れた。彼は、家族一人一人と別れの言葉を交わす。
末の妹ポッペア、8歳。
「ポッペア、お母さんの言う事をよく聞きなさい。」
「クロ兄ちゃん、早く帰ってきてよ。」
上の妹ドゥルシラ、11歳。
「ドゥルシラ、妹の面倒をよく見てね。」
「うん、クロ兄さん。」
弟カル、14歳。
「カル、家の事は頼んだぞ。」
「分かっているよ、兄さん。元気でね。」
母ベレニケ、37歳。
「母さん、行ってきます。」
「クロディウス、あまり無理しないでね。」
父アンニウス、39歳。
「父さん、行ってきます。」
「ああ。がんばれよ。健康に気をつけてな。」
これが一時間前の事だった。

先月、クロディウスは入団の第一次審査に合格した。ローマ市民権の保持者である事、医学的・体力的に問題ない事が確認され、更にペトゥロニウスの推薦状も有効だったようだ。それだけでなく・・・クロディウスが後々に知ることになる話だが・・・ペトゥロニウスがアレクサンドロスを使って州の募兵担当官に根回しをしてくれていたらしい。もっとも最近のペトゥロニウスがクロディウスの入隊の事を覚えているとも思えないので、アレクサンドロスが気を利かして主人のペトゥロニウスに取り入ってくれたのだろう。
一次審査合格者達は、インペラトール・ユリウス・カエサル・アウグストゥスへの忠誠を誓う宣誓も行った。こうして、彼らは晴れて新兵候補者となったのである。

テヴェレ川とローマの七つ丘に挟まれたマルス広場に、新兵候補者達が集まっていた。その数、96名。何万もの軍団兵の集合が可能な大きな広場に、僅か百名弱。属州でもここローマでも、兵の募集は随時成されてはいたものの、平時であるので補充兵のみの募集であった。かつ軍団の欠員自体も少なかったので、そもそもの募集人員数が少なかった。そのような訳で、このユリウス月の一次審査を通過した新兵候補者は96名のみ。全員が革袋に入った身分証明書代わりの鉛の名板シグナークルム(認識票)を、首にかけていた。シグナークルムは、一次審査を通り新兵候補者となった証しである。クロディウスが周りを見回すと、10代後半から20代前半までの、年齢差にして4~5歳も異なる若者達が集まっていた。
新兵候補者各々が、着替えや日用必需品をギッシリと詰め込んだ背嚢を背負っている。全員がまだ訓練前の候補者でしかないので、着ている衣服もバラバラで、整列も揃わない有様である。傍から見たら、とても軍団兵には見えない。クロディウスの右隣りの新兵候補者が、彼に話しかけてくる。
「俺は、アントニウス・ウァレンス。18歳。君は?」
「僕は、クロディウス・ロングス。17歳。」
そう言うと、左隣りにいた新兵候補者も彼に話しかけてきた。
「君も17歳なの?僕も17歳なんだ。名前は、フリウス・ファベル。」
クロディウスは、同期となる彼らを観察した。右隣りのアントニウスは体格も良く堂々として自信に満ち溢れている。一方、左隣りのフリウスはどちらかと言うと痩せ気味でとても神経質そうに見え、体格的にはギリギリ一次審査に通ったような印象を受ける。
やがて、見覚えのある男が石段に上がった。先月、カエサル・フォールム近くの募兵事務所で面接してくれた、この州の募兵担当官である。
「新兵諸君!諸君らは、幸運にも一次審査に通った!これから神聖なるローマ軍団の兵士として、このローマのために厳しい訓練に耐え、ローマのために戦わねばならない!ローマの神々は、必ずや諸君らに勝利を与えるであろう!」
募兵事務所で会った時は官僚然としていた、あの物静かな募兵官とは思えない大声である。もしかしたら、彼もかつては軍団兵だったのかもしれない。
「諸君は、補充兵としてヒスパニアの第Ⅳ軍団に送られる!第Ⅳ軍団マケドニカは、ユリウス・カエサルが創設した共和政時代から続く、勇敢かつ栄光ある部隊だ!諸君は、そこで部隊の名に恥じぬ兵士として使命を全うせねばならない!尚、諸君には、インペラトールたるアウグストゥスから、旅費として金貨3枚分の75デナリウスが与えられる!」
一同がどよめいた。75デナリウスと言えば、軍団兵の4ヶ月分の給与に相当した。クロディウスも、そんな大金は手に持ったことすらない。75デナリウスのうち、半分でも今すぐ家に送ることができたなら、どんなにか家族が喜ぶことだろう!
「諸君は、第Ⅳ軍団マケドニカの軍団の百人隊に付き添われて、ヒスパニアに向かう!諸君の上に、ローマの神々のご加護があらんことを!」
そう言って、募兵官は石段を下りた。

その後、新兵候補者達は募兵担当官の設置した天幕に並び、会計係から75デナリウスの入った袋を受け取った。クロディウスも、それを受け取った。袋は、ずしりと重い。その重さで、彼は本当に軍団兵になるのだと言う実感を得た。彼は、この75デナリウスは大切に使おうと決意した。少しでも多く残して、両親に送るために。

遠路はるばるヒスパニアからやってきた、第Ⅳ軍団マケドニカの百人隊80人ならびに百人隊長と副官と旗手の計83人が、彼らの旅に同行する。この同行する百人隊の80人は、常設の百人隊ではなく、各百人隊からの選抜兵士で構成されていた。ヒスパニアの基地での、日常業務に支障をきたさないための珍しい措置らしい。
96名の新兵候補者達に向かって、百人隊長が語る。
「諸君らは、何故我々が諸君らの旅に同行するのか疑問に持つ者もおるかも知れん。はっきり言っておく。諸君らは、まだ新兵候補者にすぎん。盗賊や蛮族に襲われても、戦う術も身を守る術も知らん。ユヴェントスで身に付けた格闘術など、おままごとだと思え。そして若い諸君らは、長旅の仕方すら知らないだろう。ヒスパニアに着くまで、我々が諸君を護衛する。今、手にした75デナリウスは、安全のため、全員、我が百人隊の旗手に預けること。そうすれば、盗賊に奪い取られる心配もなければ、途中で紛失する心配もないであろう。」
新兵候補者達は、百人隊長に言われる通り、75デナリウスの入った金銭袋を全て旗手に渡した。旗手はそれを大きな革袋に詰めると、馬の背に載せた。百人隊長が号令をかける。
「では、諸君、出発する!」
こうして、ひよっ子の兵士候補96人と83人のベテラン兵士、計179人の長旅が始まった。

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