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第一部:第一章 クロディウスの希望

8.クロディウスの決断

一方、息子クロディウスも、家を出てから考え事をしながら大通りを歩いていた。思索に耽りがちなのは、父アンニウスに似ている。腕の自由の利かなくなった父の働きの分を少しでも補うため、11歳からヌム親方の下で下働きをさせてもらっていたが、11歳では体力も技術も経験もまったく足りず、雑用をこなすのが精一杯である。親方の好意で職人見習いの半分程度の賃金をもらっていたものの、その金額では家計の2割も賄えなかった。それから5年経ち賃金は多少増えたものの、それでも家計を賄うには程遠いのが現状である。
ペトゥロニウス邸に行く機会もめっきり減り、アレクサンドロスから学問を教えてもらう時間もほとんど無くなった。今は家族の事と仕事の事だけしか考えられなかった。同世代の子ども達のことを、羨ましいと感じている暇さえ無い。そんな日々を5年間送ったクロディウスは、ある決意をもってペトゥロニウス邸に向かっていた。
丘の中腹にあるペトゥロニウス邸に着くと、いつものように呼びかけた。しかし、ペトゥロニウスの返事は無かった。代わりに、アレクサンドロスが入口までやって来た。クロディウスは挨拶をする。
「おはようございます、アレクサンドロスさん。」
当時20代半ばだったアレクサンドロスも、30歳ぐらいにはなっているようだった。
「おはよう、クロディウス。最近、主人は耳が遠くてね。さあ、中にお入りなさい。」
アレクサンドロスに促されて、クロディウスは家の中に入った。

ペトゥロニウスは、いつものように応接間のタプラリウムでまったりしていた。彼は、クロディウスの方に顔を上げて語りかけた。
「おお、マルキウスか。久しぶりじゃのう。」
マルキウス?誰?
とクロディウスは思ったが、考えればペトゥロニウスも80歳近い訳だし、仕方のない事なのだろう。アレクサンドロスが耳打ちする。
「クロディウスですよ。」
「分かっておる、クロディウスじゃ。わしは、そう言わんかったか?で、今日は何の用じゃ?まあ、かけなさい。」
クロディウスは椅子に座ると、胸に秘めていたある決意を語り始めた。
「ペトゥロニウスさん。実は今日は、相談があってまいりました。」
「ほお、相談とな・・・話してみなさい。」
僕は今16歳で、あと2ヶ月で17歳になります。17歳に入ったら、軍団に入隊したいと真剣に考えています。ご存知のように、事故にあった父はあまり働けませんし、弟や妹が仕事に就くにはまだ小さすぎますし、僕も17歳では大して稼げません。しかし、軍団兵士なら一人前の給料がもらえますし、家族に仕送りもできます。それに食い扶持が減ることで、ロングス家の家計も少し楽になります。」
「ふむふむ。家族思いの見上げた心がけじゃ。」
と頷くペトゥロニウス。
「そこでお願いと言うのは、州の募兵担当官に推薦状を書いていただけないでしょうか?元筆頭百人隊長で高名な消防大隊隊長であったペトゥロニウスさんの推薦状であれば、門前払いと言う事はないと思うのです。アウグストゥス陛下が軍団兵を大幅に減らしてから、入隊審査も随分と厳しいと聞いていますので。」
「なるほど…よかろう。アレクサンドロス、羊皮紙とペンとインクをもってきなさい。」
アレクサンドロスは、言われるとおりに道具を一式もってきた。そして、彼は椅子に座り書く準備を始めた。ペトゥロニウスは、自ら手紙を書くことはほとんどない。たいていは口述筆記でアレクサンドロスに書かせ、最後にサインするだけである。ペトゥロニウスは、語り始めた。
「ラティウム・カンパーニャ州募兵担当官殿。
偉大なる、かの軍神ユリウス・カエサル司令官の軍団下で戦った歴戦の兵士にして、栄誉ある第一コホルスの指揮を取った、最終軍歴プリムス・ピルス(※筆頭百人隊長)たる、ペトゥロニウス・ユリウス・セクンドゥスがここに書き送る。
私は、ローマ市民権を有する優秀なる青年マルキウス・ロングスをローマ軍団兵士として貴下に推薦をするものである。」
えっ?またマルキウス? クロディウスは心配になった。アレクサンドロスが顔を上げて、クロディウスに「大丈夫だよ」という意味の視線と笑みを送った。
アレクサンドロスが口述筆記をしている間、クロディウスは自分の将来に思いを馳せていた。将来、彼も百人隊長まで上り詰め、貴族階級となって故郷に錦を飾り、ペトゥロニウスのように町の名士となりたい。帰郷後は家族にも楽をさせ、ロングス家に栄誉をもたらしたい。それが、今の彼の希望であり夢だった。
アレクサンドロスが口述筆記した推薦状にペトゥロニウスがサインをして、クロディウスに渡した。クロディウスが推薦状を確認すると、青年の名はしっかりとクロディウスと書かれている。彼は、心の中でアレクサンドロスに感謝した。
「ペトゥロニウスさん、ありがとうございます!」
「なになに、お安い御用じゃ。ところで、わしがカエサルの軍団で戦った時の話は、もうしたかの?カエサルの軍団では、わしは旗手を務めていたんだがな。その時、ガリアのかのベルチンジェトリックスの軍団が・・・。」
話しは更に盛ら続けて、ペトゥロニウスがカエサル指揮下で、遂に百人隊の旗手で戦ったことになった。この先、ペトゥロニウスの話しが副隊長、そして百人隊長に膨らむまでローマに居たかったが、それは叶わぬ夢だろう。



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