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第一部:第一章 クロディウスの希望

6.予期せぬ出来事

家に誰もいない。母ベレニケも弟のカルも妹のドゥルシラも、まだ一歳の末の妹ポッペアもいない。クロディウスは、胸騒ぎがした。彼が家の中で独りボーっと立ちすくんでいると、玄関で彼を呼ぶ声がした。隣の家に住むエミリアさんが、彼の名を呼んだ。エミリアさんの腕には、何故か妹のポッペアが抱きかかえられている。
「クロディウス君、たいへんよ。お父様のアンニウスさんが、事故にあったの!ベレニケさんはこの子を私に預けて、カル君とドュルシラちゃんと一緒にお医者のところへ行ったわ!あなたもすぐに行かないと!」
クロディウスは、気が動転した。
事故?
何の?
父が?
何故?
「事故って、何の事故ですか?どこの医者ですか?お父さんは、無事なんですか?」
「詳しい事は分からないのだけど、馬車に撥ねられたそうよ。ギリシャ人のお医者アソピオスさんのところよ。分かる?」
「はい!10区にあるお医者さんですね!」
そう言うや否や、クロディウスは家を飛び出した。

クロディウスは、今まで走ったことのないような速度で走った。何も考えずに走った。アソピオス医院の前には、人垣ができている。その人垣の中に、見覚えのある顔を見つけた。
「ヌム親方!」
「おお、アンニウスの息子じゃな?」
ヌム親方も、心配そうな表情である。
「お父さんは、無事なんですか?」
「わしも来たばかりで、詳しいことはまだ分からんのじゃが・・・。突然、荷馬車の馬が暴れて暴走して、親父さんを撥ねたらしい。」
「荷馬車に・・・」
「ほら、みんな、アンニウスの息子が来たから、通してやんな!」
クロディウスは、人垣を掻き分けて医院の中に入った。医院の中には、母と弟と妹がいた。
「お母さん!」
「クロディウス・・・。」
「父さんは無事なの!?」
「今、先生に見てもらっているところよ。」
母ベレニケの表情にも、動揺の色が見て取れた。衆目監視の下、時間だけが過ぎていく。1時間ほど経った頃、手術室からギリシャ人医師のアソピオスが出てきた。ベレニケが、開口一番に尋ねた。
「主人は無事ですか!?」
医師は、ギリシャ語訛りのラテン語で答えた。
「命に別状はない。」
そう聞くと、ベレニケも子ども達もホッと安堵のため息をついた。緊張の糸が解けた途端、妹のドュルシラが泣き始めた。弟のカルは泣かずに耐えているので、兄であるクロディウスが泣く訳にはいかなかった。
「しかし、右脚と右腕の骨が折れています。後ろから突然追突されたので、避けようがなかったのでしょう。」
「治りますか?」
と聞くベレニケに対し、アソピオスはこう答える。
「今は何とも言えません。様子を見るしかないでしょう。」
深刻な病状や怪我に対する、当時の医師の決まり文句だった。

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