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第一部:第一章 クロディウスの希望

2.ローマ消防隊大隊長・ペトゥロニウス

それから四ヶ月後の、太陽が照りつける真夏ユリウス月のとある午後。場所は、ローマ。クロディウス・ロングスは、足早に歩いていた。ローマ消防隊の隊長、ペトゥロニウス・ユリウス・セクンドゥスの話しを聴くためだ。ローマの消防隊は7大隊あり、ペトゥロニウスはローマの13区と14区の第7消防大隊の隊長であった。
ペトゥロニウス隊長は地域の子供達に大人気で、クロディウスの近所の子ども達もいつも彼の話を聴きに行くのだった。クロディウスも、近所の子らと一緒に、有名な消防隊大隊長の話を聴きたいと常々思っていたのだが、厳格な彼の父のアンニウスは、彼が7歳になるまでは「消防隊長の話しを聴きに行ってはいけない」と命じていたので、近所の年上の子の又聞きの話しで我慢しなければならなかった。年上の子ども達と言っても、せいぜい1歳か2歳の差しかない。彼らでは話が下手過ぎて、どうにもこうにも要領を得ず、いつもモヤモヤした思いを感じていた。そのように七歳になるまでは我慢していたのだが、一昨日遂にクロディウスは7歳の誕生日を迎えたのである。みんなと一緒に、堂々と聞きに行ける日が到来したのである。
ペトゥロニウスが子ども達に話をしてくれるのは彼自身が非番の時だけで、今日が正にその非番の日だった。期待に胸を膨らませたクロディウスの歩く速度は次第に速くなり、いつしか周りの年上の子ども達を自然に追い越していく。真夏の暑さで、彼の額から汗が滴り落ちた。クロディウスの家は、テヴェレ川西岸の比較的新しいローマ14区にあり、ペトゥロニウスの第7消防大隊本部は、パラティーノ橋を渡った旧市街11区南側の13区にある。クロディウスと近所の子らが第7消防本部に着いた時は、既に大勢の子らが集まっていた。ざっと二百人以上はいると思われる。
第七消防本部は、インペラトール・ユリウス・カエサル・アウグストゥスの命により建てられ、見事な浮彫が施された8本の柱を正面に持つ荘厳な建物であった。建物正面の脇には中庭があり、子ども達はそこに集まっている。中庭を挟んで本部の脇にある倉庫の石階段に座り、消防隊隊長の登場を今か今かと待っていた。
ローマ消防隊は一大隊あたり、千人の隊員を抱えている。つまり消防隊の大隊長は、ローマ軍団で言えば千人隊長のような偉大な存在である、と年長の物知り顔の子は自慢げにクロディウスに語った。実際、ペトゥロニウスはローマ軍団で百人隊長を努めたことのある人物で、しかも未だにローマ市民から絶大な人気を誇るユリウス・カエサルの軍団の兵士だったのである。それが、ペトゥロニウスの子ども達からの人気を更に高めていた。

各々勝手にしゃべっていた子ども達が、一斉に静まり返った。第七消防本部からペトゥロニウス隊長がゆっくりと出て来て、中庭の方に向かって歩いてきたのである。クロディウスが想像していた大隊長の姿よりも若々しく、自分の父よりも少し年上に見えるくらいに感じられた。ペトゥロニウスの顔に刻まれた皺の数は多いが、体格はがっちりとして、かつ黒々と日焼けした威風堂々とした容姿なので、そう感じさせるのかもしれない。
ペトゥロニウスは石階段に座る子ども達の5パッスースほど手前までくると、中庭中央の一段高い石段…そこは通常は、消防隊大隊隊員に向かって演説する石舞台であった…に登り、子ども達の方に向き直った。彼は年長者らしいトーガ(長衣)に身を包んでいたのだが、消防隊の大隊長と言うよりは軍団の百人隊長と言った雰囲気を醸し出していた。
クロディウスは、大隊長が話し始めるのを固唾を飲んで待った。ペトゥロニウスの第一声は、次の言葉だった。
「ローマ市民の諸君!」
ローマ市民の諸君!…両親からは、いつも子ども扱いされている自分が、まるで大人でもあるかのように呼びかけられたのである。何ら政治的な権利は一切持っていない年齢だが、自分はローマ市民なのだと思うと、クロディウスも少し誇らしい気がした。周囲の子ども達の姿勢が、一斉に伸びるのが分かり、クロディウスもそれを真似て背筋を伸ばす。
「大隊長にかっこ悪い姿を見せてはいけない」、そう思わせる何かが、ペトゥロニウスにはあった。大隊長は、たった一言で子ども達の注意力を一気に高めた。
「諸君の中には、今日初めて見る顔も混じっているようだな?今日初めて来た子は、誰かな?」。
手を挙げた子は、20人くらいだろうか。クロディウスも手を挙げた。
「おお、そうか。では、初めての子もいる事だし、改めて私の自己紹介をしておこう。私の名は、ペトゥロニウス・ユリウス・セクンドゥスだ。セクンドゥスは代々の我が家系名で、ユリウスはかのユリウス・カエサルから直々にいただいた士族名である。」
それを初めて聞いた子供たちから、「おお~!」と言う感嘆の声が漏れる。カエサルは、多数の解放奴隷に彼の由緒ある士族名ユリウスを与えたが、ペトゥロニクスはどうやってユリウスの名を拝受したのだろうか。子供たちには知る由もないが、ペトゥロニクスがユリウスと言う名を持っていると言う一事だけで、子どもらにとって尊敬の眼差しを向けるのに十分な理由だった。
「今は何月かな?」
ペトゥロニウスがそう問いかけると、子どもらは
「ユリウス(7月)!」と答えた。
「そう、ユリウスだ。暦にも名を遺した神君カエサル!私は、17歳の時に幸運にもカエサルの軍団に配属されたのである。」
子ども達の間から、再び感嘆の声が漏れた。
「その年は、カエサルのガリアでの戦役8年目のことだ。ガリアでは、かのベルチンジェトリックスがローマに反旗を翻し、ローマ人を襲った。ローマに戻っていたカエサルは、北イタリアで急遽一個軍団を編成したが、そこにたまたま訓練を終えたばかりの私ら新兵も配属されたと言う訳だ。あれから、51年!つまりな、ここに立っている大隊長の私は、現在68歳と言う訳だ。」
年齢を初めて聞いた子ども達の一部が、ざわついた。クロディウスも驚いた。自分の父よりちょっと年上に見えるどころか…父アンニウスは32歳…父の倍以上の年齢ではないか。
「来月、アウグストゥス(8月)には、69歳になる。そんな爺様には見えんだろ?」
そう言って、彼は突然腰を曲げて、杖を地面につく真似をした。子ども達は、一斉に笑った。背筋を伸ばすほどの緊張の後に訪れる緩和。流石に戦場をかいくぐって生き残ってきた、百戦錬磨の百人隊長である。兵士の戦意を鼓舞するのも隊長の務めであるが、子ども達の人心の掌握も巧みだった。
「私が経験したカエサル軍団の波乱万丈のガリア戦記を、みんな聴きたいかな?」
子ども達は、一斉に手を挙げた。それを見た大隊長のペトゥロニウスは、笑みを見せてガリアでの物語を話し始めた。
「泣く子も黙るガリアの勇猛な兵士、長髪のベルチンジェトリックスに対し、我が総司令官のカエサルは…。」
中庭で語る大隊長を見守るように、当番明けの若い消防隊隊員達が何人か第7消防本部の柱に寄りかかって隊長の話しをしばし聴いていたが、何度も聴いた話なのだろう、一人二人と去っていった。一方、子どもらはカエサルの武勇伝に聴き入り、ユリウス月の暑い日差しにも関わらず、大隊長の話しに熱中して聞き入っていた。

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