いすず・ベレット

(2009年2月8日記載)

入口 >トップメニュー >名車たち >現ページ

 往年の国産名車を取り上げるシリ~ズ、第五弾!今回は、いすずの歴史と共に"日本のアルファロメオ"とも言われたベレットを取り上げよう。

 いすずの歴史は非常に古く、けっこう複雑である。大きな源流は二つある。
 一つ目のルーツは、1889年に創業した石川島造船所である。石川島造船所は、1918年に英国ウーズレーの製造・販売権を獲得した。1929年に自動車部を独立させて、石川島自動車製作所を設立した。その4年後の1933年、石川島自動車とダット自動車が合併し、自動車工業株式会社となった。
もう一つのルーツが、東京瓦斯工業である(1913年に東京瓦斯電気工業と改名している)。1919年に軍用保護自動車TGEを、1931年には宮内庁御料車ちよだを生産した。
 1937年、この東京瓦斯電気工業株式会社の自動車部が、前述の自動車工業株式会社と合併し、東京自動車工業株式会社が設立されたのである(※つまり日野自動車と同じルーツなのである)。これら一連の合併は、政府の国力増強策の一環として行なわれたのである。1941年には、社名をヂィーゼル自動車工業に改称した。

 いすずは、第二次世界大戦後、大型商用車の専門メーカーとして再スタートし、1949年に社名を"いすず自動車工業"に変更した。いすずには乗用車生産のノウハウが無かったが、乗用車生産の道を探った。そして他の国産自動車メーカーと同様に、(進んだ技術を既に持っている)外国自動車メーカーから乗用車生産を学ぶ道を選択する(※日産はオースチンとの提携、日野はルノーと提携)。1953年にルーツ・グループと技術提携を結び、ヒルマン・ミンクスのノックダウン生産を開始し、遂に乗用車業界への進出を果たす。ヒルマン・ミンクスは順次国産化が進められ、1957年に完全国産化を達成した。
 乗用車生産のノウハウを吸収したいすずは、1962年に自社開発モデルの"ベレル"をデビューさせたのである。
ベレルと言う名称は、いすず(五十鈴)に由来し、五十はローマ数字でL、鈴はBELL、これを組み合わせてBELLELとしたのである。ベレルのシャシー設計はヒルマン・ミンクスの延長線上にあったが、ボディやエンジンは全て独自設計。直線的なボディラインは、新鮮で意欲的なものだった。エンジンは、1.5リッター(72ps)と2リッター(85ps)の直列4気筒OHVエンジン、2リッター・ディーゼルの3種類を用意した。ちなみにディーゼルエンジンは、小型トラックからの流用である。パワーはそこそこだったが、車重が重かったので走りは鈍重と評されたそうである。その後、デラックス版などの追加モデルがラインナップされた。

 ベレルの開発とほぼ平行して、開発陣は小型乗用車の設計にも着手していた。そして、1963年6月にヒルマン・ミンクスの後継車として"ベレット"がデビューする。卵型のモノコックボディにラテン的なスタイリング、国産乗用車初の独立懸架(!)など、ベレットはスポーティで先進性に溢れていた。

 ベレット1600スペシャル(都内にて)

 1600SPを後方から見たところ(都内にて)


 エンジンは、63psを発揮する1.5リッター直列4気筒OHVエンジンと、1.8リッターのディーゼルエンジンが用意された。ボディは、4ドアセダンと2ドアセダンの2種。ボディサイズは全長4,090mm(全幅1,510mm、全高1,390mm)、車重は930kgとそれなりにコンパクト、軽量だった。
 デビュー当時からスポーティなセダンとして人気を博したベレットは、翌年ホットモデル1600GTを追加。ベレットGTは、国産初の本格的GT(グランツーリスモ)である!
 SUツインキャブで武装した1.6リッター直列4気筒OHVエンジンは、88psのパワーを発揮した。足回りもがっちりと固められ、翌1965年にはフロントにディスクブレーキが奢られた。サイズは一回り小さくなっている(※4,005mm×1,495mm×1,350mm/車重は10kg増加して940kg)。
 1966年には最大のマイナーチェンジが行なわれ、1.6リッターエンジンの排気量が少し引き上げられ出力も90psとなった。外観では、グリル形状が変更され、フォグランプを独立させ、2灯式に改められ、内装も変更された。ミッションもフルシンクロ化された。オーバーステア傾向の高いスポーティな足回りを、一般的なリジットタイプに改めたBタイプもラインナップに加わった。
 1971年11月には、最後のマイナーチェンジが行なわれ、大幅な車種整理が行なわれた。1.6リッターOHVの1600スペシャル(2ドア&4ドア)と1.8リッターSOHC・ツインキャブレター・エンジンを積んだ1800スポーツ(2ドア)のみとなった。


 ベレットGT-R最終型(地元市内にて)

 GT-Rを後方から見たところ(地元市内にて)


 さて、ベレットで忘れてはならないのが、やはり"ベレットGT-R"である。1969年9月、ベレットの頂点を極めたモデルとして登場。その年の8月の鈴鹿耐久12時間耐久レースで優勝を飾ったベレットGTXのストリート版である。エンジンは117クーペ用の1.6リッター直列4気筒DOHCを搭載し、最高出力は120ps!足回りはスプリングを強化した4輪独立懸架でフロントはダブルウィッシュボーン、ブレーキにはサーボを追加。シートは、ヘッドレスト一体型のスポーツシートを採用。サーキットの技術をフィードバックした、正にスペシャルモデルである。ボディカラーとは異なる黒ボンネットが、スポーティな雰囲気を一層醸し出した。生産は受注生産の形が採られ、価格は99万2000円と当時としては高価格だった。
 1971年11月のマイナーチェンジでは、フロントグリルの形状などが変更されたが製造は継続された。しかし、排気ガス規制のクリアが困難になり、1973年3月に生産が中止となった。GT-Rの生産台数は、わずか1,500台。ベレットGT-Rの後継モデルとして、正しくスーパーカーと言うミッドシップスポーツカーのMX1600を開発したが、プロトタイプのI型とⅡ型の計8台が作られただけで、このプロジェクトは終了した。
 ベレットGT-Rは絶版車として絶大な人気を誇り、現在でも大切にされている。ベレットGT-Rは、運がよければ街中でもまだ見ることができる名車である。

 さて、この後のいすずの会社の歴史については、いすず117のページで触れているのでそちらをご覧下さいませ。

 →※いすず117クーペはこちらのページです。


2017年7月15日追記:サイクリングで、栃木県の魔法陣スーパーカーミュージアムに行き、ベレットGT-Rを見ました。















 マイ・コレクションより"ベレットGT-R(1969)"

 マイ・コレクションより"ベレットGT-R(1969)"

 マイ・コレクションより"ベレット1500DX(1969)"

 マイ・コレクションより"ベレル2000DX(1963)"

 マイ・コレクションより"フローリアン(1967)"


参考・引用文献
国産名車コレクション/いすずGT-R他 (アシェットコレクション)
The 絶版車ファイル/1950~1969   (インフォレスト)
The 絶版車ファイル/1970~1979   (インフォレスト)


いすゞ117クーペ・ベレット・フローリアン (Grafis Mook 絶版車カタログシリーズ 38)

新品価格
¥2,571から
(2014/11/20 19:13時点)

 

絶版車カタログシリーズ 1960年代ホンダ・いすゞ・日野編 2013年 11月号 [雑誌]

中古価格
¥3,827から
(2014/11/20 19:14時点)

 

トミカリミテッド ヴィンテージ TOMICA LIMITED VINTAGE 1/64 いすゞ ペレット 1800GTN(1972年式) シルバー(LV-140b)

価格:1,620円
(2014/11/20 19:12時点)
感想(0件)

 

トミカリミテッド ヴィンテージ TOMICA LIMITED VINTAGE 1/64 いすゞ ペレット 1800GT(1972年式) グリーン(LV-140a)

価格:1,620円
(2014/11/20 19:12時点)
感想(0件)