シェルビー・コブラ (AC・コブラ)

(2007年5月20日記載)

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 僕はスーパーカー世代なので、基本的にヨーロッパのスポーツカーに心をひかれる。とにかく馬鹿でかく、重く、パワー任せで直線は早いが、トータルバランスは"?マーク"だらけの筋肉質な米国産スポーツカーよりも、トータルバランス重視のスマートな欧州産スポーツカーの方が好きである。とは言うものの、いつも繊細な料理を食べている人だって、時には分厚いステーキだって食べたくなる事もあるだろう。と言うような訳で(←どんな訳だ…)、僕にもアメリカの車の中にも好きなものがある。以前取り上げた"フォード・マスタング"もそんな一台。で、今回からしばらく、アメリカン・スポーツカー達を取り上げたい。

 さて、今回紹介するのは、AC・コブラ。通称"AC・コブラ"として知られているが、実質的には"シェルビー・コブラ"と言うべき車。1959年のル・マンで総合優勝したキャロル・シェルビーが、引退後にスポーツカー製作に取り掛かったことから、この車は造られたのである。シェルビーは、ヨーロッパ製スポーツカーに匹敵するモデルを自ら製作し、レースで戦いたいと言う夢を持っていて、そのプロジェクトに取り掛かった。資金がある訳ではなかったので、ヨーロッパ製のシャシーとアメリカ製のエンジンを組み合わせる方法を選んだ。

 シェルビーが白羽の矢を立てたのが、1953年に英国のAC社が発表したロードスターの"エース"。シェルビーは英国に渡り、ACとの間でエースの供給を受ける交渉に成功。アメリカに戻ると、フォードとエンジン供給の契約も取り付けた。シェルビーのファクトリーは、シェルビー・アメリカンと名付けられた。
 ただし、制作には様々な困難が立ちはだかった。シェルビーは有能な人材を大勢雇ったが、英国のAC社の作業はあまりにのろかった(※英国人は米国人の考え方に反発していた)。シェルビーは、脅しをかけてなんとか作業を急がせた。しかし、最初にロスへ届いた70台の車体は酷い状態で、結局車体を修理する破目になった。初期のコブラは、多くの不具合が付きまとった。シェルビーは、その数々のトラブルを一つずつ解決していかなければならなかった。こうした苦闘の末、車は完成。1962年にデビューしたスポーツカーは、コブラと名付けられた。

 AC・コブラ(世界の名車コレクション'77にて)

 シャシーはACエースと共通で、縦に走る2本のラダーフレームに、前後ともウィッシュボーン+横置きリーフの4輪独立懸架のサスペンションが組み合わされた。ホイールハブは強化され、4輪ともディスク・ブレーキが装備され、タイヤはフロントが6.50-15で、リヤは6.70-15と太いタイプにされた。エンジンは、当初4,260ccの90°V型8気筒OHV。4バレル・キャブレター1基を備えたロードバージョンは、246psを発生した(トルクは37.2kg-m/キャブレターがツインチョーク・ウェーバー4基に替えた競技仕様は339ps)。最高速度は240km/h、ゼロヨン加速は14秒以下と発表された。車両重量は、僅か950kg。車長も、僅か385cm。コンパクトかつ軽量で、ビックパワー。これまでのアメリカン・マッスル・スポーツカーとは一線を隔していた。このコブラ260と呼ばれたモデルは75台のみが造られ、進化型の289へとバトンタッチされた。

 コブラ289は、4,727ccに排気量が拡大され、ロードバージョンは271psに、競技仕様は385psにパワーアップした。レースシーンでは、テクニカルコースでは、軽さとビッグ・トルクで速さを発揮したコブラだったが、高速コースでは空気抵抗が災いして今一つの戦闘力だった。ヨーロッパを舞台にしたGTレースでは、当初フェラーリに適わなかった。
 シェルビー・アメリカンは、空力特性に優れたクーペ・ボディのコブラを6台送り出した(※当時は、ボディ形状に関するレギュレーションの規制が無かった)。1964年のデイトナ・コンチネンタルでデビューしたこのコブラは、コブラ・デイトナクーペと呼ばれた。デイトナ・クーペは、ル・マンで、当時最強と言われていたフェラーリ250GTOを破って、クラス優勝を獲得した。年間チャンピオンもフェラーリに続いて総合2位に入り、翌年は念願のタイトルに輝いている。

 289は580台生産された後、1964年に427と呼ばれるコブラに引き継がれた。フォードの支援を受けて、シャーシが新しく設計された。排気量は6,997ccに拡大され、ロードバージョンで425ps(最大トルクは66.4kg-m!!)、コンペティション版では485psに達していた。最高速度は280km/h以上、ゼロヨン加速は12.2秒と、260と比べると飛躍的にアップしていた。パワーアップに伴い、サスペンションは前後ともダブルウィッシュボーン+コイルに変更され、ワイヤースポークのホイールはマグネシウム・キャスト製に変わった。バックパワーに対応するため、トレッドも大幅に拡大し、前後ともフェンダーが大きく膨らんだ。残念ながら、427はレースのホモロゲーションを取れなかった。GTカテゴリーでは、連続する12ヶ月間に100台以上生産される必要があったが、427の生産台数は52台だった。そんな訳で、コンペティション版の427はほとんど売れず、ディチューンして保安部品を装着したセミ・コンペティション仕様(S/C)として販売された。
 427の生産台数が伸びなかったのは、シェルビー・アメリカンが他の仕事に忙殺されていたためである。世界GT選手権での実績を買われ、1965年からのフォードのル・マン制覇用マシンGT40の開発とレース運営を任されていたためである(※フォードがフェラーリをどん底に追い落とす決断をした経緯についてはフェラーリの歴史を参照→ココをクリック!)。またフォードは、登場したばかりのマスタングをベースとしたモータースポーツ用モデルの、GT350の製作も依頼した。ちなみに、GT350は1965年から3年連続で米国内のスポーツカーレースのチャンピオンを獲得し、GT40は1966年、1967年と2年連続でル・マン総合優勝をものにした。

 栄光を手にしたフォードが次に考えたのは、コブラの商標を買い取ってフォードの高性能モデルに与えて売り上げを伸ばす事だった。シェルビー自身はレース活動に専念できればそれで良かったので、フォードの計画通りで良かったのだが、ファクトリーがあった格納庫は1967年に契約が切れ、シェルビー・アメリカンは1967年10月、348台目の427を工場から送り出して、遂に427は生産中止となった。同時に、コブラの商標をフォードに譲り渡し、市販スポーツカーの分野から手を引いた。全部で、916台生産されたコブラ。コブラは、ファンを魅了して止まない希少なアメリカン・スポーツカーであり、現在はマニアのコレクションの対象となっている。


2018年3月10日追記:霞ケ浦往復ライド中、土浦にて2台のコブラを見ました。(ショーウインドー越しなので、ガラスが反射してしまっています)。

 







 マイコレクションより"コブラ427 S/C"

 マイコレクションより"フォード・シェルビーコブラ・コンセプト"


参考・引用文献
AC・コブラ (カーコレクション/デルプラド)
スーパーカーナウ!!    (三 栄 書 房)


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