ランチア・ストラトス

(2007年3月18日記載)

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 ようやくランチア・ストラトスを取り上げる事ができまする。以前も述べましたが、僕が好きなスーパーカーのベスト3なのでございまする(ちなみに1位はディノ246で、2位はトヨタ2000GT)。色んな面で、この車が好き。デザイン、大きさ、軽さ、パワー、旋回性能…いずれも秀一。今回は、この名車ランチア・ストラトスのご紹介。もし1970年代のあのスーパーカーブームのスーパーカー達の中で、「最も"基本設計(パッケージング)"に優れたスーパー・スポーツカーを挙げよ」と言われたら、まず間違いなくこの"ランチア・ストラトス"を最初に挙げるだろう。このストラトスを取り上げるにあたり、この名車を生み出した"ランチア"と言う会社の歴史も共に振り返ってみる。

 ランチアのエンブレム

 ランチアは、現代ではラリー専門のイメージが強いが、昔はF1やスポーツカー・レースでも活躍していた。創立者のビンチェンゾ・ランチアは車が好きで、18歳でレースを始める。フィアットのドライバーも努めた事もある。10年間に35のレースに出場し、19回も優勝している。2位も8回、その他数多くの3位を経験している、生粋の優れたコンペティターだったそうだ。これらの経験を元に、ビンチェンゾは1906年にランチア社を設立する(…極最近ランチアの百周年だったわけだ)。
 ランチアのメイクス参戦としての初勝利は、1908年4月に行われたパドーバー・ボボレンタ10kmレースだった。このレースでは、ビンチェンゾ自らがドライバーを努めていた。以後、ランチアは、アルファ、ラムダ、ディラムダ、アウグスタ、アプリリア、アウレリア等のプロダクション・モデルで、数多くのイベントを制していく。

 ランチア・ラムダ 1930年型(石川県・日本自動車博物館にて)

 1953年、ランチアは初のレーシング・スポーツカーのD20を送り出す。偶然だが、スポーツカー・チャンピオンシップが開始されたのもこの1953年。D20は、鋼管スペース・フレームにアウレリア用V6ユニットを拡大した4カム3リッターエンジンを積んだ、スポーツ・プロトマシンだった。トランス・アクスルはリアに配置、ブレーキはインボード・マウント、ボディはアルミ製でピニンファリーナが担当、と言う先進的なマシンだった。デビュー戦のミッレ・ミリアでは、3位に入賞する。そして、続くタルガ・フローリオでは見事に優勝する。その後、ランチアは、D23スパイダー、D24と投入していき、素晴らしい戦績を残していく。特に3.2リッターV6を積むD24は、ビットリオ・ヤーノをスーパーバイザーとして迎えて開発したマシンで、デビューウィンを果たした他、1、2、3フィニッシュと言う快挙も成し遂げている。
 翌1954年も快進撃を続け、D24はミッレ・ミリアやタルガ・フローリオを始めとするレースを制し、9月のRACツーリスト・トロフィーでは、3.8リッターを積むD25が制した。この年、ランチアはメイクス・タイトルを獲得した(※2位はフェラーリ)。しかし、この年10月、ランチアはスポーツカー・レースからの引退を発表する。
 続いてランチアが挑んだのは、念願のグランプリ・レースである。1954年に、予定通りD50を完成させた。この年からレギュレーションの変があり、自然吸気エンジンが2,500cc、スーパーチャージャー付きが750cc以下となった。D50は、2,480ccのDOHCの90度レイアウトのV8エンジン(後に2,499ccまで拡大)をフロントに積み、トランスミッションはリアにレイアウトされた。前後重量配分は、50:50の理想的なレースカーに仕上がった。サスは、フロントがダブル・ウィッシュボーン、リアがド・デオン・アスクル。このD50は、スペインGPに登場するや否や、最速を誇っていたメルセデスに1秒もの大差を付けてポールポジションを獲得した(※本戦では、リードを奪っていたものの残念ながら途中クラッチ・トラブルによりリタイヤ)。1955年もGPで活躍するが、ドライバーのアスカーリがフェラーリ車のテスト中にクラッシュ、死亡する事件が起こる(フェラーリのドライバー事故死の異様な多さについては、フェラーリの歴史参照→ここをクリック!)。
 アスカーリの死と、グランプリに掛かる多大な費用のため、ランチアはグランプリ・レースからの撤退を決定する。ランチアD50はフェラーリに引き取られフェラーリD50として活躍、1956年に3つのグランプリを制し、そのポテンシャルの高さを証明した。

 グランプリ界から撤退したランチアは、ワークスとしてのレース活動は一切停止し、市販車モデルの開発に専念していた。しかし、ランチア車はプライベーター達の手で、コンペティション・フィールドで活躍していた。1963年には、ランチアに乗る腕利きドライバーが集まり、HF(※High Fidelity=ハイファイのような意味)スクアドラ・コルセというチームを結成。後年、このHFと言うネーミングは、ランチア車の高性能マシンを意味する名称として受け継がれていく。HFスクアドラ・コルセは、ランチアのセミ・ワークスとして、ラリー・フィールドで輝かしい戦績を残していく。結果、1965年にランチアは再びワークスとしての参戦を決意。ワークス・チームの初仕事は、勝てるマシン作り。お金に余裕の無いチームが、ベース車両に選んだのが"ランチア・フルビア"と言うクーペ。ランチア・フルビアについては、後日別途取り上げるかもしれないので、ここではフルビアが素晴らしい戦績を残した事だけをお伝えしておく。
 さて、輝かしい戦績を残したフルビアも、トップを取れる状況ではなくなった。ラリーシーンは、ラリーカーに対して、もっと大きなパワー、より高い運動性能を求めるようになっていた。ランチアは、1969年にフィアット・グループの一員になった事もあり、予算で苦しむ事もなくなった。そして計画されたのが、ストラトスである。ラリー参戦のホモロゲーション獲得のため(※400台以上で公認される)、500台が市販される事になった(※実際の総生産台数は492台)。

 ランチア・ストラトス(世界の名車コレクション'77にて)

 ストラトスが、初めて世に披露されたのが1970年のトリノ・ショー。ただし、(僕も写真で見たが)現在我々が知っているストラトスのデザインとは大分違う。その姿は、あくまでコンセプトカーの域を出ないものだった。ストラトスの設計には、若き日のマルチェロ・ガンディーニも携わっているが、彼はこのコンセプトカーを現実的にリファインして(…それでもぶっ飛んだデザインだが)、翌1971年のトリノ・ショーに出展しショーを華々しく飾った。しかも、ランチアはWRCチャンピオン・タイトルを維持するために、ニューマシンとしてストラトスを生産化すると発表したのである。
 ストラトスは、そもそもモーターショーのために作られたデザイン・スタディな車である。ガンディーニが携わったスーパーカー世代がたまらなく好きなそのデザインには、ミウラやカウンタックと同じ魂が宿っている。そんなとんだスタイルなので、この車が本当にレースに参戦するなどとは、誰も最初は本気で思っていなかったようだ。WRCで勝利を獲得していた車は、前輪駆動やリヤエンジンの車達だった。ミッドシップのストラトスのWRCでの成功は、懐疑的に見られていた。しかし一部のエンジニア達は、このストラトスの細部を見て、ラリーカーとして理に適った設計がなされている事を見抜いていた。
 このショー用のモデル"ストラトス"に目を留めたのが、ランチアのレーシングマネージャーのチェザーレ・フィオリオである。彼は、ストラトスのボディサイズは小さくとも、レースシーンでの潜在力に目を留め、ラリーカーとしての成功を確信していた。フェラーリ・ディーノの技術担当で、ランチアのテクニカル・ディレクターでもあったピエロ・ゴバトは、フィオリオをバックアップする事になり、ランチア経営陣もストラトス開発計画にゴーサインを出した。

 1971年1月25日に、ランチアとベルトーネの初めてのプロジェクトのための会合を持った。目標の内容はシンプル。「要求通りの車を400台生産し、ワールドチャンピオンを取る事」。要求仕様は次の通り。「重量1,000kg以下」、「フィアット125用直列4気筒エンジンをミッドシップに横置き搭載」、「全長3,900mm以下」など。
 その後、着々とストラトス開発は進み、次第に熟成されていく。最終的にエンジンは、ランチアと同じくフィアット・グループに収まっていたフェラーリのディーノ用の、2.4リッターDOHCのV型6気筒エンジンに決定した(※ただしフェラーリとの交渉は難航した)。パワーは190ps。エンジンをミッドに横置きするリア駆動。サスペンションは、4輪独立懸架のコイルスプリングで、フロントがダブル・ウィッシュボーン、リヤがストラット。ブレーキは、もちろん前後ともベンチレーティッドディスクである。ストラトスのフレームはセンターは鋼板のモノコックで、後部はエンジンやサスを抱えたような角断面鋼材で組まれたサブ・フレーム。ボディはグラスファイバー製。しかも、フロントもリアも一体成型のカウルは大きく開く、ラリーメカニックにとってサービス製の良い構造だった。全長は僅か3,710mm(全幅1,750mm×全高1,110mm)で、車重に至っては僅か870kgしかない。
 要求を100%満たしたこのパッケージングは、誰が考えても無様な外観しか連想させない。これをスーパーカー的にまとめたのは、正にベルトーネのスタイリストたるガンディーニの手腕と維持であった。ストラトスは、カウンタックと並ぶガンディーニ(ベルトーネ)の高度なパッケージングとスタイリングの偉大な成果である。

 ストラトスは、テストも兼ねていくつかのレースにプロトタイプとして参加し、走行性能に磨きをかけていく。市販バージョンで190psのエンジンは、230psまでチューンされた(※後期の4バルブ仕様は290ps!!)。1972年の間に、ストラトスは完全に生まれ変わった。
 ストラトスのデビュー戦は1972年。熟成が進んでいなかった事もあり、この年は散々な結果に終わる。しかし、翌1973年はファイヤーストーン・ラリーやツール・ド・フランスで勝利し、伝統のタルガ・フローリオでもトラブルに悩まされながらも強豪と競って2位となる。1974年は、ホモロゲーションが交付されるや否や、WRCに打って出る。3つのレースを制し、RACラリーも3位を獲得。フルビアのポイントと合わせて、メイクス・タイトルを獲得した。
 1975年も、ストラトスの快進撃は続く。メイン・スポンサーも、マールボロからアリタリアに変わり(※あの有名なアリタリア航空カラーに変わる。下のマイ・コレクション。ミニカー参照)、ラリー・シーンに欠かせない存在となる。この年も、ランチアはWRCのメイクス・チャンピオンに輝く。1976年もストラトスの優位は変わらず、前人未到の"3年連続WRCメイクス・チャンピオン獲得"と言う快挙を成し遂げた。
 しかしさすがに翌年は、強敵の出現により戦闘力を無くしていった。それは親会社のフィアットの意向により、市販車との関連の少ないストラトスから131アバルトに主力を移す決定がなされたからであった。これにより、1978年のRACラリーを最後に、アンチアのワークスは撤退した。しかし、プラベーターの手により、1979年には3つのレースを制し、1981年にもツールド・コルスで優勝。ストラトスの基本性能の高さを示した。1980年、ストラトスは、スーパーチャージャー付きのラリー・クーペにその座を譲る事となる。

 しかし、ランチアのレース活動はこれで終わりではなかった。サーキットでのメイクス・チャンピオン・シップに、ランチアはベータ・モンテカルロをベースにしたシルエット・フォーミュラ・マシンの開発を進め、1979年にデビューした。DOHC16バルブの1.4リッターエンジンにターボ・チャージャーを組み合わせたユニットは、370psの出力を発生した(※最終的にはなんと490psまでパワーアップ)。デビュー戦で2位、そして翌1980年には3つのレースで優勝を飾り、他のレースでも好成績を収め、WRC同様、ここでもメイクス・タイトルを獲得した。1981年もメイクス・タイトルを獲得。1982年は、レギュレーション変更の過渡期であり、ドライバーズ・ポイントは2位だったが、メイクス・タイトルは逃す。
 1983年は、ランチアはグループCのLC2を送り出した。フェラーリ308用V8をベースにした2.6リッターエンジンに新設計のツイン・ターボチャージャーを組み合わせたユニットは、620psの出力を叩き出した。ドライバーも、そうそうたるメンバー。この年は、耐久力に勝るポルシェには今ひとつ及ばなかったが、シーズン後半には優勝や2位などの成績を残す。1984年には、熟成が進み3リッターになったエンジンは680psのパワーを搾り出し3位と言う好成績でデビューしたが、マイナー・トラブルが続出し、優勝は一回に留まる。続く1985年も、優勝は一回のみ。結局ランチアは、1986年のモンツァを最後に、メイクス・チャンピオン・シップを撤退し、WRCに専念することとなった。その後のランチア物語は、別途ランチア・デルタHFを取り上げる機会にご紹介したい。

 ランチアと言う車は、上でも見たようにレースと共に歩んだ自動車メーカーであり、取り分け"14回のワールドチャンピオン獲得&68回の世界タイトル受賞"と言う偉業を成し遂げた"ランチア・ストラトス"の印象はとても強い。少年時代、初めてストラトスを見た時の感動は格別だ。ストラトスには、色々と伝説がある。ディーノと同じエンジンを積んでいたのに、ディーノが195psなのに対してストラトスが190psなのは、せっかくディーノのために到達したハイパワーに対し、後発のランチア車がそのパワーを超える分けには行かず、ディーノに敬意を表して5ps低く設定したのだとか。ストラトスは旋回性能が極端に高く、その軽さとハイパワーとあいまって、常人ドライバーではとても扱えない直進性の危うい車だとか(←これは嘘である)。ホントかどうかは別として、名車…取り分け、スーパーカーと言うのは、数々の伝説を生み出すものである。ランチア・ストラトスは、スーパーカー世代を始めとする車好き達に、今も大切にされている名車である。

追記:2007年6月、イタリア自動車雑貨店にて、林部研一氏の"ストラトス"のイラストを買いました。渋いです!














 マイコレクションより"ランチア・ストラトス"

 マイコレクションより"ランチア・ストラトス"

 マイコレクションより"ラリーバージョン・ストラトス"

参考・引用文献
ランチア・ストラトス       (カーコレクション/デルプラド)
ランチア・ストラトス (レーシングカー・コレクション/デルプラド)
幻のスーパーカー     福野 礼一郎 著   (双 葉 文 庫)
スーパーカーナウ!!              (三 栄 書 房)


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