フォード・マスタング
(2004年2月29日記載)
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このシリーズでは、まだ一度もアメリカ車(※以下アメ車と略す)を取り上げていない。僕らスーパーカー世代は、主にヨーロッパのスポーツカーをメインに育ってきたので、アメ車にはあまり食指が動かないのだ。欧州車は、どちらかと言うと機能美に溢れている。大衆車は欧州都市の狭い道路事情を考えたコンパクトかつスペースユーティリティを考慮したデザイン、スポーツカーは空力抵抗を考えた流線型のフォルムやエアロパーツ、等々。一方アメ車は、国土の大きさに合わせたように無意味に馬鹿でかく、空力とは何の関係もない装飾のエアロパーツがゴチャゴチャ付いている…これらが、スーパーカー世代の僕らの目には、「潔し」と映らないのだ(そう言うアメリカン・ヒストリックカーが好きな人にはたまらないのだろうが)。
しかし、アメ車全部が嫌いなわけではない。番外編でも紹介したデロリアンDMC12(※バック・トゥ・ザ・フューチャーのタイムマシン)やトランザム(※ナイトライダーのナイト2000)や、フォードGT40、コルベット・スティングレイ、ドッジ・バイパー等、好きなアメ車もたくさんある。その中で、今回はフォード・マスタングを取り上げたい。
僕がマスタングと出会ったのは小学生の時で、歩いてすぐの近所に真っ白のボディに黒のラインが入った"マスタング・マッハ1"が停まっていたのだ。スーパーカー世代なので、それがすぐにマッハ1だと分かった。アパートの住人のものらしく、いつもアパートの横に無造作に停めてあった。「さすがアメ車、でかいなぁ…」と言う印象だった(実際はマスタングはアメ車の"コンパクト"スポーツカーなのだが…)。その後、映画で"バニシング・イン・60"が公開され、友人がいつもその映画を自慢していて、いかにマッハ1が凄かったかを語ったので、僕はその映画が見たくてたまらなかったほどだ(バニシング・イン・60については、ここをクリック!)。マスタングは、他に「ブリット」(←なんとマックイーン自身の愛車!)や「007ダイヤモンドは永遠に」でも登場している。
1972年型マスタング・マッハ1(自宅近所にて/子供の頃)
1973年型マスタング・マッハ1(自宅近所にて/子供の頃)
さて、そのフォード・マスタングの開発の経緯だが、あの有名なリー・アイアコッカが登場することとなる。アイアコッカ氏は、もともと車のセールスマンだった。その後、フォード車販売プロモート部門のエースになり、31歳で優れた販促キャンペーンを企画して、フォード車の販売アップに大きく貢献した。そして、なんと35歳の若さで副社長兼フォード部門のトップに就任したのである。自由競争社会アメリカでも、異例の抜擢・昇進である。
フォードは、若者にスペシャリティの人気のきっかけとなるオープン2シーターの、サンダーバードと言うパーソナルカーを1955年に登場させていた。しかし1960年代になると、サンダーバードはより大型により豪華になり、価格も1万ドル近くとなり、若者にはすでに手の届かない存在になってしまった(※サンダーバードの外観については、本ページの最下段のマイミニカーコレクションを参照)。
アイアコッカは、アメリカ一般大衆の車の好みを熟知していたので、それまで開発が進んでいたローコストの小型車の開発を中止させた。その代わりに、確かなモチベーションに基づいた新しいコンパクトカー戦略を実施に移した。当時の若者は、コンパクトでファッショナブル、かつ走りの楽しい2ドアスポーツカーを求めていた。アイアコッカは、2,500ドル以下でそう言う車を市場に投入する決心をし、従来の車のタイプに縛られない車の開発に着手した。彼は、車のデザインに関してもオープンコンペを行った。デザイナー達は、経験や地位に縛られることなく、コンペに向けて実力を発揮したのである。コンペの中から、ロングノーズ・ショートデッキタイプの、クーガーとネーミングされたデザインが、最終決定案となった。
ネーミングは、フォードのハウス・エージェンシーのJ・ウォルター・トンプソン社(※広告代理店)に任せ、最終的に"マスタング"に決定した。マスタングとは、アメリカ大陸中西部に生息していた野生馬のことで、その自由なイメージと大西部を感じさせるネーミングは、説得力があった。
1965年型ファストバック(千代田区内/新事務所近隣にて)
1965年型ファストバック(千代田区内/新事務所近隣にて)
こうした開発の末、1964年3月9日に、最初の量産型フォード・マスタングが工場で作られた。同年4月17日、ニューヨークのワールドフェアで発表されたマスタングは、大きな注目を集めた。コンパクトで、しかも2ドアだけのバリエーションで、ベーシックモデルの価格は、僅か2,368ドル。ハードトップとコンバーチブルが発売されたマスタングは、最初の一ヶ月だけで10万台以上もの売り上げを記録した。これは、前述のJ・ウォルター・トンプソン社の予告広告戦略の成功に負うところも大きい。アイアコッカは、広告戦略や正確な情報収集、綿密なデータ解析によって、発表までに月産24万台をクリアできるだけの増産体制を支持していたので、月10万台と言う販売数をさばくことができた。
美しいサイドライン(千代田区内/新事務所近隣にて)
マスタングに当初用意されていたエンジンは、標準で2.8リッターの直列6気筒の105ps、そしてオプションの4.2リッターのV型8気筒の164psと同4.7リッターの210psのエンジン。1964年9月には、早々とマイナーチェンジを行い(1965年型)、ボディバリエーションにファストバッグ(後にスポーツルーフと呼ばれる)を加えた。エンジンも変更され、3.3リッターの直列6気筒の120psと、4.7リッターのV型8気筒の200ps、225HP、271psのエンジンとなった。
マスタング・コンバーチブル(石川県・日本自動車博物館にて)
1974年型ファストバック(台東区内にて)
マスタングは従来のような特定のグレードを特定せず、オプションの組み合わせによって様々な車をオーダーできると言う画期的なシステムをとっていて、その後、世界中のスペシャリティカーに多大な影響を与えた。マスタングは、ボディタイプが3種類あり、エンジンや装備もオプションで色々と組み合わせが可能なので、一言でどういう車かを言い表しづらい。比較的パワーの低い街乗り用のファッション優先のデートカーから、ハイパワーの本格的レースカーまで、用途や手持ち資金に合わせて幅広く対応可能なのだ。これが、あらゆる年齢層から支持される要因の一つともなっているのだろう。
マスタングは、1964年4月から1965年12月までに68万台以上を売り上げた。1966年3月には、総生産台数は100台を突破。そして、1966年終りには146万4,362台を売った。初代のマスタングは、すべてに渡って記録破りな車だった(このマスタングによりフォードの業績を大幅にアップしたアイアコッカは、後にトップに就任することとなる)。
1973年型マスタング・マッハ1/前から(秋葉原にて)
フォード・マスタングは、その後もマイナーチェンジを続けた。ボディも更新され、エンジンも新たなタイプが加えられたりした。そんな中、カリフォルニアを始めとする一部の州で排気ガス規制が強化され、マスタングも従来のパワー重視セッティングでは、規制をクリアできなくなった。エンジンのパワーダウンに伴うイメージ・ダウンを払拭するめため、排気ガスが適用されない地域やレース用として、高出力エンジンのオプションなどが用意された。390psの427サイド・オプションや335psの428コブラ・ジェットなども、こうした背景の中から投入された。
こうした努力があったものの、1968年にはマスタングの人気に陰りが見え始め、売り上げは減少していった。マイナーチェンジを重ねるものの、1969年には30万台、1970年代には20万台と減少していった。そして、1971年型の投入を前に、フォードはマスタングを全面的に見直すことにした(そう言う流れの中で、マスタングのマッハ1が登場した)。エンジンのバリエーションは、4.1リッターの直列6気筒の145ps、5リッターのV型8気筒の210ps、同5.8リッターの285ps、330ps、同8リッターの370psコブラ・ジェット、同ラムエア、同375psスーパー・コブラ・ジェット・ラムエアと言うラインナップとなった。こうして、1971年からデザイン変更とラインナップ構成を行ったが、排ガス規制の波は拡大し、1972年には投入したばかりのハイ・パフォーマンス・エンジンのほとんどをラインナップから落とさざるを得なかった。1973年には、エンジンは一層パワーダウンしていき、もはやそのキャラクターには往年の面影は無く、大きくなっていったボディも時代に逆行していた。販売台数も、年間15万台程度になっていた。こうして、オイルショックと共に、マスタングの時代は静かに幕を降ろしたのである。
マスタング・マッハ1/後ろから(秋葉原にて)
しかし、フォードはその荒馬のエンブレムを現代に復活させた。1999年に登場した現行モデルは、アメリカンVテイストを継承するOHV3.8リッターのV6エンジン(193ps)のGタイプ、4.6リッターのV8SOHCエンジン(264ps)のGTタイプの2グレード。それぞれに、クーペとコンバーチブルが用意されている。全長は4.6メートルほどで、初期のコンパクトなマスタングのスケールに近くなっている。
マスタング・Gタイプ・コンバーチブル(市内/商工会祭りにて)
2002年2月のマイナーチェンジでは、より本格的なGTカーを目指した装備改良が行われた。ボンネットとサイドに、大型エア・スクープを採用しているのがGTの特徴。さらに、足元のホイールには、映画の「ブリット」で使われたのと同じ5本スポークのアルミが採用されている。往年の荒々しさは望めないが、現代の車と言う意味においては、独特のおおらかさを満喫できる希少な車と言える。アメリカの他社の同タイプのトランザムやカマロと言ったスペシャリティカーがどんどんと姿を消していく中で、フォード・マスタングは貴重な存在である。
マスタングGT(千代田区内麹町にて)
さて、最後に素朴な疑問なのだが、かつてマスタングはコンパクト・スポーツカーとして全米を席捲したわけだが、もっとも全長の短いタイプでも4.6メートルほどあった。70年代タイプでは、4.8メートルを超えている。日本人の我々から見れば、それでももう十分に大型車だと思うのだが…。最初にも述べたが、初めてマッハ1を見た時の感想は「でけえなぁ~」であった。コンパクトスポーツカーだったら、やっぱり4メートル前後がいいところでは…と思うのだが。やっぱりアメリカ人と日本人では、大きさに関する概念やイメージが全然違うのだな…。
追記:2005年7月、秋葉原にて2005年型の新型マスタングGTを見ました。
←先代よりも格段にかっこ良くなったと思う
追記:2005年11月、地元市内にて1972年型のマッハ1を見ました。
2008年1月追記:お台場ヒストリーガレージで、マスタングのコンパーチブルを見ました。
2009年9月追記:品川にて、アメリカンテイストペイントのマスタングのシェルビーGTを見ました。
2012年4月追記:マスタングのBOSSを見ました。
マイ・コレクションより"フォード・サンダーバード"
マイ・コレクションより"フォード・マスタング"
マイ・コレクションより"'65年型マスタング・コンバーチブル"
マイ・コレクションより"'68年型マスタング"
マイ・コレクションより"'99年型マスタング・コンバーチブル"
マイ・コレクションより"2005年型マスタングGT"
うちの子のミニカー"フォード・マスタング"
参考・引用文献
カーコレクション/フォード・マスタング (デル・プラド)
最新国産&輸入車購入ガイド2003 (JAF出版社) 他
フォード・マスタング完全読本―MUSTANG BOOK1964 1/2~2011 (M.B.MOOK レジェンダリー・アメリカンカー・シリーズ Vol.02)
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