JOLLYBOYの図書室の本棚
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読書履歴 2025年  (2025年3月27日更新)

2018年春4月から、自分の忘備録も兼ねて、読書の履歴を残すこととしました。2025年の読書履歴。



2025年3月に読んだ本

家族旅行後、歩行困難90歳父の退院&施設ショート、認知症91歳母のケアなどなど・・正直、読書どころではないな~。



★2025サイクルロードレース選手名鑑
今年も買いました、選手名鑑。
真っ先に読んだのは、新城幸也選手の記事。
40歳。ワールド&プロの全チームで最年長。
ワールドチームのバーレン・ヴィクトリアスからプロチームのソリューションテック・ヴィーニファンティーニに移籍。
自分のために動けるシーズンに期待!(^^)

★うつがみるみる遠ざかる食べ方大全/功刀浩/文響社
過去様々な医学や健康関連本を読んだが、栄養全般に関して特に目新しい情報はないな~。


2025年2月に読んだ本

2025年2月に読んだ本。
2月は日数が短くそして最繁忙期の故、読書はまあこんなんもん・・6冊。



★涙とともに見上げるとき・亡き子を偲ぶ哀歌/ニコラス・ウォルターストーフ著/正井進訳/いのちのことば社
友人であり人生の先輩が送ってくれた本を少しずつ読み進め、2月3日に読み終えました。
この本が他のグリーフケアの本と決定的に違うのは、25歳の息子を突如失った男性が自ら書いていると言うこと。
自分は、今、これまでの人生で直面したことのない特異な感情を味わっている。こんな感情は人が味わうべきではないし、他の人には決して味わっては欲しくない。
この言葉に表現しづらい特異な感情や思いを、著者は言葉で表している。
多くの人は、この本を読んで頭で理解することはできると思う。
しかし、今の自分は何故著者がその言葉を選び、その表現をしたかが理解でき共感できる。以前の自分ならば、頭で理解したに留まっていただろう。
多くの文面はこのスペースでは全く足りないので、ほんのいくつかのみを書き記す。

「何かが終ってしまった。私の存在のもっとも深いところで、何かが完結し、終わってしまった。私の人生はそれ以前とそれ以後に分かれてしまった」。

「ジョギングをしようと思ったができなかった。それはあまりに人生を肯定しすぎることだった。・・(中略)・・友人と一緒に泳ぎに出かけたが、手足が動かなかった」

「6ヶ月前、私は友人の23歳になる息子の葬儀に参列していた。私は友人の悲しみがどのようなものか想像しようと努めた。今となって分かるのだが、私にはまったく想像できていなかった」。

「それが今、彼はいなくなってしまい、家族は再構築しなければならない。我々は、一人ひとりがその内に割れ目をかかえているだけではない。我々全体の中に割れ目がある。家族同士、これまでと違った形で生きていかなければならない。我々はその割れ目を囲んで生きていかねばならない。一人を取り出すがいい。すべてが変わってしまうのだ」。

「しかし私は、『神がしたのだ』といって辻褄をあわせることもできなければ、『それに対して神にできることは何もなかった』といって説明することもできない。私は、それらについて辻褄の合う説明をすることはまったくできない。私にできるのは、ヨブとともに耐えることでだけである」。

この著者が言う通りなのだ。今までのようには生きられない。人生が全く変わってしまった。家族も、仕事も、趣味も、全てが。
人の目には、普通に仕事をし、趣味にいそしむ姿として映るかもしれないが、以前と今では全く違うのだ。
自分は、この世で答えが得られぬまま耐え忍ぶ日々を歩くことを余儀なくされてしまった。

★日本の島29号/ディアゴスティーニ
賢島、岩城島、紀伊大島、青島。


2025年1月に読んだ本

2025年1月に読んだ本。
グリーフケアや睡眠改善の本で終える。
睡眠については、ほぼ自分が知っている内容ばかりだった。



★グリーフケア/岩上真歩子著/いのちのことば社
グリーフ。
この言葉を聞いたのは、小学2年生の時に姉が渡してくれたピーナッツブック。当時のピーナッツブックは、詩人の谷川俊太郎さんやルーテル英語学校教師の徳重あけみさんが翻訳を担当されていた。
チャーリー・ブラウンが「グッド グリーフ」とつぶやくのだが、その訳は「やれ、やれ」だった。
グリーフとは直訳すると「悲嘆」と言うことになるが、悲しみ、怒り、寂しさ、やり切れなさ等、色んな感情を含む言葉であり、大事な何かを「喪失」した時にも使われる用語である。「喪失」と言うと主に家族や友人との死別を連想するが、失業や長年慣れ親しんだ家が損壊するなども喪失で幅が広い。
人のアイデンティティはつながりによって構築されるので、つながりを失うことは自分の一部を失うことでもある。

グリーフのプロセスで有名なものに、エリザベス・キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」の5段階プロセスや、以前読んだアルフォンス・デーケンの「よく生き、良く笑い、良き死と出会う」の中に書かれている「悲嘆のプロセス」12の段階がある。「精神的打撃や麻痺状態(悲嘆)」から「立ち直り(回復)」までの段階。しかし人は、この段階全てを必ずしも通る訳ではないし、直面する順番もバラバラだったりする。
一つ言えるのは、大事な家族を失うような大きな喪失は、「嘆き崩れ落ちる」⇒「立ち上がる」と言うようなプロセスを、何度も何度も一生涯に渡り繰り返すと言うこと。

この「悲嘆」をケアするのが、グリーフケア。 グリーフケアにも段階があり、また教科書的な方法論の正解がある訳でもない。かける言葉一つとっても注意が必要。
例えば・・・ 「お気持ち分かります」
⇒「経験していないお前に何が分かると言うのか!」
「こういう時は泣いた方がいいですよ」
⇒「泣く時は自分で決めるし、お前が指図するな!」
「私も似た経験をしています。(以下、体験談が続く)」
⇒「は?」
などなど、励ますつもりが逆効果になることもあるので難しい。
グリーフケアは奥が深いのでここでは詳細には書けないが、一つ一つが大切なことである。
グリーフケアは、どれが「正解!」と言うものがない気がする。
ケアする側とされる側が、共に歩んでいくプロセスじゃないかな?
悲嘆の中、怒りや悲しみで周りの人との関係が壊れてしまう(もしくは自分で壊してしまう)人が実際にいる。どんどん周囲から孤立していき、孤独になっていく友人の姿を実際にこの目で見てきた。
「他人に何が分かる!悲しみは自分でしか癒せない!」と思う人の思いは尊重するけれど(実際に他人には分からないしね)、私自身はできるだけ人とのつながりを大事にして今後も生きていきたいと思っている。

★すばらしい悲しみ/グレンジャー・E・ウェストバーグ著/水澤都加佐・水澤寧子共訳
「グリーフケア」に続いて「すばらしい悲しみ」を読み終えた。
原語タイトルは「Good Grief」。
前回も書いたけどチャーリーブラウンの「グッドグリーフ」は「やれ、やれ」と訳されたけど、この本のタイトルは「すばらしい悲しみ」と訳された。
妻が全国の看護師の会合の学びで使用した本で、やはりグリーフが癒される10の段階が書かれている。
悲しみのただ中で希望を見いだせるように、ショックから希望そして現実を受け入れるまでが書かれている。