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2001年宇宙の旅 アーサー・C・クラーク著/伊藤典夫著/早川文庫SF (2019年6月14日記載)
「JOLLYBOYの図書室の本棚」の1冊目、何を取り上げようかと思案していましたが、やはりこの本からスタートするのが「自分的にはしっくりくる」と言うことで、「2001年宇宙の旅」を取り上げます。映画「2001年宇宙の旅」が今の仕事を選ぶ大きな要因の根底にあり、そしてこの本は何度も読んだからです。
僕はSFファン、否、むしろSFマニアと言わせていただいても良いのではないかと思っています。SF小説は、それなりの量を読破していると思います。今回取り上げる「2001年宇宙の旅」は、イギリス人のアーサー・C(チャールズ)・クラークと言う作家が書いたのですが、彼の本は、20冊読んでいます。(※注:下記写真の「2001年宇宙の旅講義」はクラーク著ではなく、文学博士の巽孝之著)。
特段、SFファンでもなければ、(アイザック・アシモフやH・G・ウエルズは何となく知っていても)アーサー・C・クラークと言う名にピンとこないかもしれません。ロバート・A・ハイラインらと共に、SF界の巨匠の1人に数えられていますが、日本の通行人を捕まえて「アーサー・C・クラークって知ってる?」と聞いても、「はあ?誰ですか、それ?」となる事の方が多いんじゃないかと思います。なので、クラークについて少し説明させていただきます。
小説の後書きにしばしば触れられているので、SFファンにはよく知られている事ですが、彼はバリバリの技術者でした。第二次世界大戦大戦時には、レーダーの開発に取り組んでいました。人工衛星による通信も、なんとクラークのアイディアなのです。そう言う本格的な先端の技術者だったのです。
なので、彼の書くSFと言うのは、超ハードSFなのです。「ハードSFとは何ぞや?」と言う方も多いと思いますので、これも簡潔に説明しておきたいと思います。SFとは、もともと「Science Fiction(サイエンスフィクション=空想科学)」と言う意味ですが、後には「Space Fantasy(スペースファンタジー)」も抱合されました。
例えば、スペースファンタジーは冒険活劇の要素も濃いので、宇宙船がワープしようが、タイムマシンで時間を超えようが、あまりその科学的・技術的根拠についてとやかく煩く言わず、面白おかしく物語が進行します。スターウォーズでは、光の速度を超えて普通にワープしちゃいますよね。現代科学では、突破できない壁です。その辺は、細かく突っ込んでいては物語が成立しません。
しかしハードSFは、現代考えられる科学理論で「それは科学的に可能なのか?ありうるのか?」を徹底的に考えて小説にします。クラークはそれが顕著で「そんなん科学的に在り得んだろ!」と言うことは、基本的に好みません。彼の初期の小説を読むと、当時の科学技術の延長上で書かれていることが良く分かります。書記の作品から半世紀以上も経つので、今読むと、現代技術が彼の小説の技術を超えてしまっている事例がいくつもあります。21世紀の今日読むと、アイディア自体がとても陳腐に感じられます。それは、クラークが荒唐無稽なSFを好まなかった事の現われでもあります。
「ハードSF=科学的根拠のある技術」にこだわったクラークのSF小説ですが、(僕個人の見解&認識ですが)「人間描写」や「物語構成」がとてもつまらない。なんか解説文や説明書を読んでいるような気にさせられます。登場人物に感情移入できません、いや、マジで。技術者出身だからなのか、理系人間の悲しい性なのか、どのクラーク作品を呼んでも、人物の描写に共感できないのです。人物に魂が感じられないのです。
でも、何故私が、中学校の多感な時期からクラーク作品を読み始め、その後も読み続けたかと言うと、これはもう修行みたいなもんです。クラークがSFの巨匠なんだから、SF好きを名乗るなら読んどかなくちゃ!…みたいな(笑)。まあ、中学の教科書を読破するのと同じくらい辛かったクラーク作品を読み続けたおかげで、その後読んだSF小説がどれもこれも面白くて、たまらないことと言ったら!!(爆)
そんなクラーク作品の中で、最も影響を受けたのが「2001年宇宙の旅」。元ネタはクラークの短編SFの「前哨」で、内容的には同じくクラークの「幼年期の終わり」のテーマを共有しているんだけど、この作品の僕にとって影響が特に大きかったのは、スタンリー・クーブリック(子どもの頃はキューブリックだった)の映画版があったから。この作品の、「映像技術」と「テーマ」に感銘を受けた。
まだ、CGなんて影も形もない時代、フィルムの光学合成だけでこのリアルな特撮を成し遂げた驚くべき映像技術の数々!当時の制作費が90憶だったから、今で言えば「タイタニックの制作費に250億円かけましたぜ!」くらいの規模でしょうか?僕は、中学校で8mmカメラ(ビデオじゃなくてまだ8mmフィルムの時代!)を買って、自分で特殊撮影を始めました。プラ板などで大きな宇宙船を作って撮影したり。お小遣いやお年玉ふぁ、フイルム代と現像代に消えました。今思えば、これがCGを心がける原点の一つでした。もう一つは、やはり中学校時代に見たスーパーマンのオープニングのCGロゴタイトル!これも衝撃を受けましたが、別の話なのでここでは割愛。
映画の脚本は、クーブリックとクラークが二人三脚で作り上げましたが、映画と小説では異なる設定もあります。ディスカバリー号が、木星の向かうのか、土星に向かうのかなど。これは科学的な根拠に基いているので仕方のない事ですね。
そして、もう一つ感銘を受けた物語の「テーマ」。当時までの宇宙物のSF映画と言えば、宇宙人が地球に攻めてきたり、スペースファンタジー的にヒーローが宇宙を駆け巡ったり、そんなのばっかり。中学校の時、最初に公開されたスターウォーズのエピソード4も基本はチャンチャンバラバラ。そんな中で、「2001年宇宙の旅」は異彩を放っていました。物語と言うより、哲学なのです。
SF雑誌を読み漁り、SFに没入していた僕のような人間には、さほど難しいテーマではなかったのですが、SF好きでもない人間がこれを観たら訳が分からなかったでしょう。キューブリックも、敢えてそう言う風に作っています。「一回見ただけで分かられてたまるか!」みたいな。宇宙にいる知性的な生物は人間だけなのか?他にもいるのか?いるとしたらどう云う形態や思想を持っているのか?もし彼らが人間にコンタクトを取るとすればどういう形でなされるのか?その後、人類はどうなっていくのか?…それを映像美で、私たちの前に披露してくれるのです。
クラークは仏教的な思想に魅かれている人なので(スリランカ在住)、映画では輪廻転生的な描かれ方をしていますが、ボーマンの死後に幼児に生まれ変わるのは、あれは人間がこの先どう云う形の進化をするかの比喩の一つだと思います。肉体を超えた魂(もしくは霊やエネルギー)としての生命への進化。映画自体は、娯楽作品と言うよりもあまりに哲学的なので一般受けせず、膨大な制作費がかかったにも関わらず、当時の興行成績はこけました。
原作を読み、シネラマスコープ大画面のリバイバル上映をテアトル東京で見て、再び原作を読む。最初にこの「2001年宇宙の旅」に出会ったことでSF世界の間口が広がり、ハードSFも、柔らかい冒険活劇SFも両方楽しめるようになったと思います。冒頭にアーサー・C・クラークをこき下ろすようなことを敢えて書きましたが、やはりクラークは巨匠であり、「2001年宇宙の旅」は僕にとってSFの金字塔であり、原点なのです。
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