ベルム達の夜明け入口 >トップメニュー >ネット小説 >ベルム達の夜明け >現ページ

第四十二章 情報漏洩とベルムの繁殖

 東南アジアのタッツェルベルムの数は、三年も経たないうちに百体以上に繁殖した。代謝が早く、食欲旺盛な百体以上のタッツェルベルム達を養うには、その地域は余りにも狭すぎた。彼は急速にその活動範囲を広げていった。
 アジアに派遣された米陸軍の対タッツェルベルム特殊部隊も、タッツェルベルムの数が増えるに従い、それなりに成果を上げつつあったが、四十名程度の僅かな部隊では、焼け石に水である事は明らかだった。部隊が狩ったタッツェルベルムは十一体、一方で兵士側の犠牲者数は五名、同時に重傷者も多数出ていた。本国から補充や増員の隊員達が送られてくるが、大義など何一つ無い戦いに、現地の部隊の士気は下がる一方だった。

 そして、アメリカ本国では、ショッキングなニュースが報じられた。陸軍が極秘に生物兵器の研究をしていた事が、新聞社にリークされたのである。ニュースを報じたのは、ゴシップ記事を扱うタブロイド誌ではなく、メジャーな全国紙だった。しかも一社ではなく、数社が一斉に報道し、その記事の信憑性も高かった。テレビニュースやラジオニュース、インターネットニュースの報道も、後に続いた。
 陸軍の守秘義務の厳格な誓約を破って、マスコミにリークした元研究者がいる事は明らかだったが、新聞社はネタ元の情報を頑なに守り、陸軍の圧力に屈しなかった。陸軍諜報部は、総力を上げてすべての研究に関与した人間の所在を洗い出し始めたが、最も疑われたのは、鉄かぶと島で大切な家族を失った研究者の妻や家族、その友人達だった。
 しかし、陸軍がネタ元を特定した所で、もはや手遅れだった。記事は、ネタ元が絶対に特定されないようにオブラートに包まれた部分を除けば、かなり詳細かつ正確な描写で、科学的な裏付けも取られていて、マスコミも信憑性が高い情報であると判断していた。
 生物兵器は、学者の間で「足の生えた虫」と言う意味で、通称タッツェルベルムと呼ばれていた事も記されていた。マスコミは、いつしかその生物の名前を省略して単に"ベルム"と呼び始め、その俗称は世間に定着した。生き残ったベルム達がアジア地域で多数目撃されている事も、新聞は報じていた。
 一方、アメリカ国内のベルムについては、一切報じられておらず、その存在に関する情報はマスコミもまったくつかんでいない様子だった。そして、アメリカ国内のベルム達は、アジアのベルム達と違い、徹底した隠密行動を取っていた事も幸いし、陸軍上層部と特殊部隊員と僅かな関係者だけが、その秘密を未だ保持し、一切漏れていなかった。

 ベルム達は増殖を続け、マレーシアやインドネシアだけでなく、フィリピンやカンボジア、ベトナムと言った近隣諸国にまで生息域を広げつつあった。アジア地域で、ベルム達は頻繁に目撃されるようになり、人間側の被害も次第に増えていった。
 アメリカ合衆国政府が、いかにベルム開発への関与を否定しようとも、ベルムと言う生物の存在自体は否定しようが無くなった。陸軍上層部は、ベルム狩りによる証拠の隠滅はもはや不可能である事を悟り、秘密裏に特殊部隊をアジア地域から撤収させた。

 各国の警察やハンターがベルム狩りを始めたが、専門知識も持たず訓練も受けていない人間達が対抗できる相手ではなく、ベルムよりも人間側の被害の方が遥かに大きかった。そして、ついに各国の正規軍が出動する自体にまで発展したが、結果は大同小異であった。アジア各国はアメリカ合衆国政府に非難の矛先を向けたが、アメリカ政府側は「根拠の無い憶測だけの事実無根のでっち上げ」として非難をことごとく一蹴した。
 ベルムが生物兵器である事は、世間の暗黙の了解となり、世界で最も凶暴で最強生物のレッテルが貼られた。事実、密林の王者虎ですらベルムの餌食となった痕跡が、その遺体によって確認された。3メートルを超える巨体の虎が、2メートル足らずのベルムの群れに無残に狩られていた。ベルム達が棲息すると思われる地域はパニック状態に陥り、ベルムの活動が活発化する夜間は外出禁止となった。ベルム達の行く手を阻む障害は、この世には何も存在しないように思われた。