ベルム達の夜明け入口 >トップメニュー >ネット小説 >ベルム達の夜明け >現ページ

第三十一章 メグとの対話

 ヨーク市へ来てから既に二週間が経過し、三月になっていた。
 ホワイト博士のチームは、逃走したタッツェルベルムに関する新たな情報を得られずにいた。目撃情報は皆無で、足跡一つ見つけられなかった。これだけ調査して何も発見できないのだから、もう死んでいるのかもしれない。もしくは、この街の周辺には既にいないのかもしれない。そんな弱気な考えが、時折ホワイト博士を襲った。
 警察には三日に一度は訪問していたが、何も情報は得られなかった。故ブラウン博士の娘メグも相変わらず心を閉ざしたままだった。ジョージ・オーウェル博士も決して暇な境遇ではなかったので、いつまでも街に留まっているわけにもいかず、十日前に大学に戻り、今はファクシミリとメールで連絡を取り合っている。獣医のベン・ウィリアムにしても、医院をずっと留守にしておく事もできず日常の診察に戻っていた。現在、実際の調査に動けるのは、彼女とマイケル・ビンセント博士の二人しかいなかった。

 ヘンリー・リチャードソン少将からは、調査報告書の催促が定期的に入ったが、報告できるような新たな発見は何もなかった。すべてが八方塞がりの状態だった。ホワイト博士は、一大決心をしてメグに会う決心を固めた。午後半ば、幼稚園はもう終わっている時間だった。今までのように、大勢で彼女のところに押しかけるのを辞め、マイケルにも内緒で一人で行く事にした。マイケルは、警察のパトリック巡査に聞き込みに行っている最中だった。
 彼女は、街でレンタルしたクライスラー・セダンに乗り込み、ブラウン家に向かった。三月の空気は相変わらず冷たく、吐く息は白かった。セダンの暖房が効き始める前に、車はブラウン家に到着した。応対したのは使用人だったが、エリー夫人は奥のリビングにいた。エリーは、ホワイト博士が夫の元部下と言う事で、彼女の訪問時にはいつも丁寧かつ親切な応対をしていた。エリーは、メグにもホワイト博士と話すように説得していたが、それは上手くいかなかった。ホワイトは、リビングに通された。
エリーは、ホワイトの訪問を喜んでくれた。
「どうぞお掛けになってください、ホワイトさん」。
エリーがそう言うと、ホワイトはソファーに腰掛けた。エリーは、続けて言った。
「今、お紅茶を入れさせてますから。外は、寒かったでしょ?」
「ありがとうございます、ブラウン夫人。」
「毎回、来てもらっているのに、すみませんね…。メグは、小さいのになかなか頑固で。誰に似たのだか…。ペットのジョンが逃げ出し、父親のアルバートが突然死に、頭が混乱しているのだと思いますよ。私もご覧の通り目が悪いものですから、日頃、娘の世話をあまりしてやれなくて…可哀想に、まだ幼稚園児だと言うのに。」
「そうですね。随分と辛い思いをしたのだと思います。出来れば、今日は私とメグちゃんの二人きりで会ってみたいと思うのですが。対話が上手くいかなかったら、メグちゃんが傷つかないうちに帰ります。」
「そうですか…。そうですね、いつまでもこのままでも、進展がないですしね…。では、お二階にどうぞ。ドアに ”メグ”と書いてあるのが、彼女の部屋です。」
エリーの許可をもらったホワイトは、ゆっくりと二階への階段を上っていった。メグという名前が書かれたウェルカム・ボードの下げられたドアを、ゆっくりと二回叩いた。
「誰?」
メグの声が、部屋の中から聴こえた。
「ホワイトよ。カレン・ホワイト。また来ちゃったわ。」
「ホワイト博士?…どうぞ。」
ホワイトは、部屋の中に入った。これまではメグから何一つ情報を得る事はできなかったが、何度も訪問するうちに、メグの心も軟化し次第に打解けつつあった。ホワイトが、メグの父ブラウンと仕事をしていたと言う事も、メグの信頼を得るのに役立ったようだ。一方で、ホワイトも、メグが六歳とは思えない類稀なる知能の持ち主である事を認めていた。さすが天才ブラウン博士の娘だ。

メグが言った。
「ジョンの事でしょ?」
なんと今回は、メグの方が機先を制して言った。いつも、メグはジョンの話題を避けていたので、ホワイトは驚いた。
「そうよ。ジョンの事よ。話してくれるの?」
メグは、ホワイト博士の目をじっと覗き込んだ。今日は、メグの何か強い意志が感じられた。メグは言った。
「話すわ。その変わり、ギブ&テイクよ。」
ようやく、チャンスが訪れた。この機会を、逃してはならない。
「…いいわ。何が欲しいの?」
メグは、ゆっくり言った。
「二つあるの。一つ目は、もしジョンが生きていたら殺したり、酷い目に合わさない事。」
そこで言葉を噤んだ。ホワイトが先を促がした。
「もう一つは?」
「もう一つは、ジョンの秘密を教えて!私もジョンの秘密を教えるから…。」

 ホワイトは、考え込んだ。タッツェルベルムの件は、"軍の最高機密"である。当然、誰にも漏らす訳にはいかない。しかも、相手は六歳の幼稚園児である。しかし、ここで拒否すれば、少女は一生口を噤んだままかもしれない。ホワイトは決心した。
「いいわ。教えてあげる。でも、これは絶対に人に言ってはならない秘密よ。守れる?」
すると、メグが手を上げて宣誓した。
「誓って守るわ。」
ホワイトも、手を上げて誓った。
「では、私も守るわ。約束よ。」

 そしてカレン・ホワイトは、島で行われた実験を、ジョンが誕生した経緯に話しを絞って、しかも重要な部分をオブラートに包みながらメグに話した。もちろん、ジョンの頭脳が"ブラウン博士"のDNAを継いでいる事は省いた。メグは、うなづきながらその話しに聞き入っていた。
彼女がそれらの事を話し終えると、今度はメグがジョンの秘密を話し始めた。
「ジョンはね、本が大好きなの。絵本じゃ物足りなくなっただけじゃなくて、私が持っている本は全部読んでしまって、もう難しい本じゃないと物足りないぐらいなの…。」
「ジョンはすごく優しい子で、悲しい物語の本では凄く悲しい顔をするのよ。」
「ジョンは、おしゃべりするのも上手で、幼稚園のクラスの子達よりも、ずっと上手にお話しできるのよ!頭も良くて、一度言えばすぐに理解するわ!」
メグの口から解き放たれる言葉の数々は、俄かに信じ難い話しばかりだった。成長速度や新陳代謝の異常な速度については予想が付いていたが、知能についても、ホワイトの予想を遥かに上回る速度で発達しているらしかった。人間の赤ちゃんが六年かかって得る知識や能力を、僅か数ヶ月で獲得してしまうのだった。ジョンの時間と、人間の時間の単位は、まったくの別物である事を、彼女は改めて認識した。
 こうして、ホワイトとメグの情報交換は終わった。メグは、ジョンに関して、唯一ホワイトにだけは心を開き、彼女を信頼したようだった。ホワイトは、ブラウン博士の娘"メグ"との約束は「最大限の努力をして、出来うる限り守ろう」と心に誓った。