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第二十六章 飢 餓
ジョンは、混沌とした暗く恐ろしい夢の眠りから目覚めた。
下水管の中は真っ暗だったから、どのくらい時間が経ったかわからない。遺伝操作によって進化したピット器官は、真っ暗な管内でその能力を遺憾なく発揮していた。彼は、自分がいる場所の壁に、梯子があるのを発見した。それは上へと続いていた。彼は、そこを登ってみることにした。上は金属の蓋で覆われていたが、ジョンの腕力はそれを軽々と上に持ち上げた。
ジョンは、下水管からそっと顔を出してみる。薄暗かったが、真っ暗ではない。どこかの建物の中らしい。コンクリートの壁が周りを囲み、地上に接している上方の窓が所々割れていた。その窓から光が差し込んでいて、辺りを照らしていた。どうやらそこは、地下駐車場のようだった。ジョンは周囲に誰もいないのを確認すると、下水管から這い出した。そこは、とうの昔に廃墟となったショッピングセンターらしい。壁に大きく、"ワンダフル・マート"と書かれている。彼が今立っている所は、その地下の駐車場の跡らしかった。
ジョンは、用心しながら建物内を歩いてみた。すると彼の手前を、鍵の掛かった扉が遮った。その鍵の掛けられたドアを、彼は思い切り蹴破った。大きな音が周囲に響き渡り、一瞬ジョンはハッとして立ち止まった。彼は、警戒のため聞き耳を立てた。彼の優れた聴覚は、誰かが来る気配を感知しなかった。彼は、ホッとして前進した。
扉の向こうには、階段があった。その階段を上って一階へ出ると、昔は売り場だった場所へと出た。しかし、そこもやはり廃墟だった。もしかしたら、缶詰でも残っていないかと探してみたが、食品コーナーには商品類は何一つ残っていなかった。床には、壊れた家電製品の錆びた破片や、崩れ落ちた壁か天井の建材が散らばり、その上に埃が積もっていた。衣類コーナーには、適当な衣服が残っていたが、雨染みや土埃で汚れとても商品価値のないものだった。書籍とCDの売り場には、CD類は一つも残っていなかっだか、本がけっこう残っていた。若者が好む娯楽性のある本はほとんど持ち去られ、残ったのは誰も読まないような固い内容の本ばかりだった。それらも、雨や土埃でとても商品としての価値はないものばかりだった。ジョンは建物内を一通り歩いたが、収穫はほとんどなかった。いくつか無傷で発見した商品もあったが、彼はそれが何に使われるものなのかすら分からなかった。高価な商品は、ほとんどすべて持ち去られていて、そこは完全な廃墟だった。
ジョンは、窓の隙間から外を覗いて見た。昨夜の雪は止んでいて、空は晴れ渡っている。窓の外には、広大な駐車場が広がっていた。どうやら、ここは街の郊外らしい。彼は、建物の出口を見つけようとして、一つ一つドアと窓を確認した。すべての扉が外側を鎖でしっかりと閉じてあり、窓には鉄柵がしてあり、誰も侵入できないようにしてあった。子供達の事故防止のためだろう。しかし、やはり入り込んでくる人間はいたようで、窓の鉄柵の一つが外してあった。冒険心に溢れた子供が入ったか、もしくは泥棒目的で誰かがが入り込んだのだろう。しかし、その窓の下には埃がかなり積もっていて新しい足跡は無かったから、最近ここに侵入した者はいないようだ。収穫が何もないので、誰も寄り付かなくなったに違いない。
彼は、倉庫の中も漁ってみた。しかし、店内と同様、収穫はほとんどなかった。商品は、債権者達がすべて運び出したのだろう。もちろん、ジョンはそんな社会的なシステムなど知っていようはずもなく、ここが廃墟と化したショッピングセンターであることを理解しただけだった。
彼は、地下へと続く鍵の掛けられた別のドアを、再び力づくで蹴破った。扉の向こうには地下へと続く階段があったが、太陽の光がほとんど届かずに真っ暗だった。しかし暗闇は、ジョンの優れた知覚能力には影響を及ぼさない。ジョンは階段を降りると、店のスタッフ達が使っていただろう地下の部屋を一つ一つ丹念に調べた。食料は、一切見つからなかった。しかし、いくつかの収穫があった。警備室に、ラジオとライトの付いたポータブルテレビが残されていた。非常用に備えてあったものだろう。ただし電池は切れていたので、画面は映らなかった。彼は、他の部屋も丹念に調べた。更衣室で、店名ロゴの入ったジャンパーを四着見つけた。アルファベットの大文字で、 "ワンダフル・マート"と書かれている。収穫はそのぐらいで、後は何も発見できなかった。最後の扉を開けるとそこは再び地下駐車場で、彼が這い出てきた下水道の穴があった。
彼は、取り敢えずここを彼の仮住まいに決めた。風雨は凌げるし、人目にも付かない。いざとなれば、下水管を使って逃げ出すこともできる。今の彼には、ここが最善の隠れ家に思えた。
ジョンは、売り場に残された数百冊のぼろぼろの本の中から、適当な本を数十冊選び出し、地下駐車場へと運んだ。一般受けしない小難しいタイトルの学術書や、辞典、辞書、古すぎてデータ的には価値の無い情報誌等だった。しかし、ジョンにとっては宝の山だった。メグの絵本や童話や図鑑はもうほとんど読み尽くしてしまったし、彼にとってはレベルが低いものになりつつあったから、これらのボロボロの本達でも、彼の知的欲求を満たすには十分な質と量だった。
彼はとても腹が減っていたが、地下の駐車場で本を読むことでその空腹感を紛らわせた。しかし次第にその空腹感は強くなり、我慢できないものになりつつあった。夕方となって頭上の窓から日が差し込まなくなると、夜目が効くジョンと雖も、本の字を読むのが辛くなってきた。空腹感に苛まされ、時折呻き声を上げる。昨日の朝から、一日半もの間何も口にしていない。
彼の新陳代謝能力は、異常に高い。彼にとっての一日半は、人間の三日から四日に相当する。それだけの期間何も食べないのは、ジョンにとっては耐え難い事だった。彼は、メグの笑顔、メグの部屋の暖かさ、ふかふかの布団、ミルク、ドッグフードを何度も連想した。そして、メグが読んでくれた絵本のフレーズが、何度も頭の中を駆け巡る。
「・・・こうして、犬と猫と九官鳥は無事家の主人の所に帰りました。」
絵本の中の動物達は、無事主人の所へ帰ることができた。ジョンは、メグの所に帰れないのだろうか。
日がどっぷりと落ち、また夜がやってきた。ジョンは空腹に苛まされて、再び下水管に戻るため、下水管へ通ずるはしごを下った。彼は、下水管を伝って外へ出るつもりだった。外へ出れば、何か食べ物を得ることができるかもしれない。少なくとも、ここにいても何も得られない。彼は、冷たい下水管の中を進んだ。
しかし下水を歩いているうちに、空腹は耐え難いものとなってきた。歩いているうちに、下水管の中を"どぶ鼠"達が走るのが目に入った。その瞬間、彼の狩猟本能に火が着いた。彼は静かに下水の中に潜り、下水の中から管内を見張った。暗闇の水中でも、彼のピット器官は鼠達の行動をしっかりと捉えた。一匹の鼠が彼のすぐ上を通過しようとした瞬間、彼は素早く右手を下水面から突き出して、その鼠を捕らえた。鼠はもがいて逃げ出そうとしたが、彼の鋭い爪と握力が、一瞬で鼠の息の根を止めた。彼は下水面に顔を出し、最初のハンティングが成功したことにこの上も無い喜びを感じた。
ジョンは、鼠を鋭い牙で半分に引き裂き、口の中に頬張った。鼠の血が彼の乾いた喉を潤し、殺したばかりの新鮮な鼠の肉の味が口の中に広がった。彼は、空腹と渇きが癒されのを感じ、果てしない恍惚感を覚えた。彼は、鼠の残りもう半分も口の中に入れ、今度はその食感を楽しんだ。ジョンの空腹を満たすには十分な量ではなかったが、彼にとっては"彼自身の力"で初めて飢えを減らした素晴らしい瞬間だった。
鼠をすべて飲み込んで、余韻を味わってから数十秒が経過した。ジョンは、我に返った。彼は、今自分がしたことがフラッシュバックして、脳裏によみがえった。
「鼠を、食べてしまった・・・。なんと言うことだ・・・鼠を食べてしまった!」
暗闇の中で、彼は自分の手を見つめた。鼠の血で濡れていた。突然、彼は気分が悪くなり、彼を吐き気が襲った。"鼠を食べてしまった!鼠を食べてしまった!鼠を食べてしまった!鼠を食べてしまった!"・・・その言葉が、何度も頭の中を駆け巡った。メグの住む世界と、彼の存在する世界が断絶してしまった・・・と、高い知能を持ったジョンが悟った瞬間だった。
そしてジョンはその時、生まれて初めて泣いた。