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第十章 遺伝子の秘密
タッツェルベルム達は、日々すくすくと成長していた。否、すくすくと言う表現は妥当ではなかった。ぐんぐんと竹のような成長をしていた。七体のうち、三体はすでに立ち上がり、よちよちとながら歩き始めていた。ホワイト博士とスタッフ達も、その驚くべき成長にも慣れつつあった。
10月18日の朝、ビンセント博士がまたホワイト博士の研究室を訪れた。ビンセントのチームは、次の設計図と遺伝子組み替えが完了しないと、基本的に何もすることがないのだ。ウォーカーのチームも同様で、彼らの研究スタッフ達は皆自分達のテーマの研究に没頭している。
ビンセントは、育児室の幼体達の成長を目の当たりにして驚いた。ホワイトが言った。
「あまりに成長が早いので、驚いたでしょ?」
「ああ・・・。先代のタッツェルベルムより成長が早いと聞かされていたけれど、ここまで早いとは・・・。随分と、でかくなったなぁ。」
と言って、ビンセントが口をポカンと開けた。その様子を見て、ホワイトが言った。
「毎日接している私達も、彼らの成長振りには心底驚いているわ。しかも、仕付けも覚えが早いの・・・頭がとても良いのね。餌の時間以外はほとんど騒がないし、トイレもすぐに覚えたのよ。私達の言う事には、ちゃんと従うようになったし・・・凄いでしょ?忠実な犬を、もっと従順にしたみたいな感じ。彼らが実験生物でなかったら、家でペットとして飼いたいくらいよ。もっとも、もっと大きくなったら話しは別だけどね。」
と言って、ホワイトは微笑んだ。実際、これからどんどん大きくなるのだ。ビンセントが質問した。
「問題点は?」
「例の個体差問題。あれがどんどんはっきり現れ始めているの。七体に、歴然とした個体差が現れ始めたわ。あれを見てちょうだい。」
そう言って、ホワイトは保育室の幼体達の方を軽く指差した。
「私達は、それぞれに相応しい名前を付けてみたの。あの一番右にいるのが、"チビ"。一番小さいから。その隣にいるのが、"太っちょ"。もちろん、一番太っているからよ。三番目のが"チョコマカ"。とてもすばしっこいの。真中のが、"暴れん坊"。牙や爪が一番長くてね、とても強くて他の仲間を攻撃するの。他の幼体達は、最近彼には逆らわなくなったわ。不思議なことに、彼が一番私達に従順なの・・・。それから、その隣にいる二匹が、"ノッポ"と"プルプル"。ノッポの体長はすでに一メートル近くになってるわ。プルプルは、病気でもないのに時々プルプルと身体を震わせるから。で、一番左にいるのが"怖がり"。痩せてて臆病で、いつも部屋の片隅にいるの。食べる量も少なくて、一番成長が遅いみたい。」
ビンセントは、その説明に聴き入っていた。ホワイトが、先を続けた。
「これだけ個性豊かな面々たちが、同じ遺伝子を持っているとは、到底思えないわ。どう言うことなのかしら?七体全部が、突然変異種?これも、到底ありそうにないわね。」
ビンセントが、唸るように言った。
「う~ん・・・。確かに、不思議だね。一体全体、どう言うことなんだろう?」
二人の疑問をよそに、保育室の幼体達は相変わらず戯れ遊んでいた。
それから二日後の10月20日、定例会議が急遽開かれることになった。シュルツ博士のチームが、タッツェルベルム五十体の遺伝子解析とそのデータの分析を終えたのだ。会議室に、デビット所長以下、各部門の五名のチーフが全員集まった。各自がそれぞれ好きな飲み物を、マグカップやグラスに入れてテーブルに置いて会議の開始を待っている。
今回の会議の議長は、ブラウン博士の番だった。テーブルのセンターに座った彼は言った。
「さて、会議を始めよう。ご存知の通り、現在、幼体には決して小さくはない歴然とした個体差がある。この問題は、みんなの頭を悩ませてきた事と思う。同一の遺伝子から、何故これほどの個体差が生じるのか。その答えを求めて、シュルツ博士のチームが幼体の遺伝子を全部調べた。そのデータを分析して、ある結論に達した。それはシュルツ博士の口から、直接述べてもらおう。」
ブラウンがそう言うと、彼に代わってシュルツが口を開いた。
「私のチームは、九月以来ずっと研究室にこもって、データの解析と分析に当ってきました。そして、昨日驚くべき結論に達しました。結論から言うと、我々のタッツェルベルム二世の遺伝子設計は失敗していたと言うことです。遺伝子通りに組織が育つと、タッツェルベルムはすべて幼体になる前、その成長過程ですべて死滅してしまう欠陥があると言うことが分かりました。それなのに、七体だけ生き残ったのです。それは何故なのか?」
すでに報告を聞いていた所長とブラウン以外は、この発言に驚きを隠せなかった。
「驚くべき報告がもう一つあります。信じ難いことですが、五十体の遺伝子で同じ遺伝子配列だったものは一体もありませんでした。一体、それはどういう原因によるのか?」
再びこの報告は、一同を驚かせた。シュルツは続けた。
「死滅するはずだったものが死滅しない、そして固体のすべての遺伝子が相違している。有り得ないことが二つも、実際に両方とも起こっている・・・。そして分析の結果、この二つの事柄は表裏一体の事である事が判明しました。」
一同は、固唾を飲んでシュルツの次の説明を待った。
「先ほど言ったように、設計図通りの遺伝子では、生まれた生体は成育過程で死滅するはずでした。しかし、私達のチームでは予期できなかった機能が、その遺伝子設計図には含まれていたようです。皆さんもご存知のように、膨大な遺伝子の塩基配列と生体機能の関係は、まだまだ一部が解き明かされたにすぎません。我々が解き明かした機能の遺伝子配列を組み替えた時に、我々がまだ知りえていない、解明していない遺伝子の別の機能のスイッチも入れてしまったか、もしくは新しい機能を作り出してしまったようです。その機能とは・・・。」
そこでシュルツは一旦言葉を止め、書類の中から一枚の書類を取り出した。
書類は簡単な図解のプリントで、それをホワイトボードにマグネットで止めた。その図には、文字と矢印などが書き込んであった。矢印に従って遺伝子が変質している説明図解で、ある矢印は生存へ、ある矢印は死滅へと伸びている。
「その機能とは、生体が生き残るべく自らの遺伝子を自己で組み替えると言う、驚くべき機能です。我々が実験室で行うような遺伝子の組み替えを、生体自らが行うのです。生体が自らを生存させるべく、脳下垂体から特殊なホルモンを出し、そのホルモンによって細胞組織に塩基を組み替えるための数種類の酵素を出させます。この組み替えはランダムなもので、多くの細胞は生存に適さないガン化細胞と化して、最終的にその固体を死滅させてしまいます。ところが、偶然に生存に適した細胞を生み出す個体もあって、そう言う細胞を手に入れた個体はその遺伝子を固定化させて成長を続けます。自然界では時折突然変異が起こって変異種が生まれ、生存に適した個体だけが生存でき、後世にその性質を受け継いでいきます。これは何十世代、何千年、何万年もかかって獲得される自然界の摂理ですが、このタッツェルベルム達は、それをたった一世代で成し遂げてしまったのです。これは単なる偶然で、ラッキーだっただけです」。
「実験体がもし十体しかいなかったら、全個体が死滅していたかもしれません。五十体いたので、たまたま偶然七体が生き残れたと言うことなのです。生き残った七体の遺伝子は、新たなホルモンの分泌で、細胞内の遺伝子改変の作業が終わり、遺伝子は固定化されたと考えられます。七体は、それぞれ偶発的な別な形での遺伝の改変で生き残る道を見つけたので、遺伝の相違による大きな個体差が出たと考えられます。」
ウォーカーもビンセントもホワイトも、シュルツの口から語られる信じ難い報告を頭の中で整理していた。理性では分かるものの、感情的な驚きと興奮は制止できなかった。
ここでブラウンが、再び議長としての役目に戻った。
「だいたい、ご理解していただけたものと思う。驚かれたことと思うが、データを見たところ、大筋において間違いないと思う。ここまでのところで、質問は?」
ウォーカーが、発言した。
「それじゃあ、今生き残っている七体は、姿形は似ているがまったく別の種であると言うことか?」
ブラウンが答えた。
「そう言うことにはならない。基本的な生体機能は同じで、生き残るためのほんの僅かな部分の塩基配列が相違しているにすぎない。例えばレトリバーとチワワの差よりも、ずっと小さな差だと考えもらっても良いと思う。」
続いて、ホワイトが質問した。
「それで、個体差があることには納得できるわ。すると今後彼等を飼育するのに、同一の飼育法ではなくて、それぞれの個体にあった飼育法が必要になるのではないかしら?事実、既に餌を良く食べる個体と、あまり食べない個体があって、成長にも大きく差が出始めているわ。」
再びブラウンが答えた。
「同一の飼育法が難しいなら、各個体に応じた応対をしてもらって良いと思う。」
最後に、ビンセントが質問した。
「で、今後はどういう方向で実験を続けるのかな?」
ブラウンがシュルツの方を向いて頷くと、ブラウンに代わってシュルツが答えた。
「今後二つの方法で、実験を進めます。一つは、現在生き残っている七体の細胞の遺伝子から新たなタッツェルベルムを育てること。これによって、遺伝子が本当に固定化したのか、それとも細胞分裂過程で勝手にまた遺伝子改変を始めてしまうのか確かめます」。
「二つ目は、七体の遺伝子とタッツェルベルム二世の遺伝子設計図を比較して、遺伝子組み替え部分のどこが改変され、どこが影響されなかったかを調べ、どこの塩基配列が今回の特殊な事件を引き起こしたのかを探ります。一つ目の実験は、明日からでも始められるでしょう。二つ目の調査は、かなりの時間がかかると考えられます。」
シュルツがそう言った後、ブラウンがその後を引き継いで言った。
「と言うわけです。明日からでも、ウォーカーのチームは七体の遺伝子からの培養に入ってください。細かい打ち合わせは、各部門ごとに行います。」
会議室では、その後も各担当者同士の対話や質疑が行われていたが、一応この日の会議は終了した。