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第八章 幼体達の成長

 カレン・ホワイト博士は、研究室のカレンダーをめくった。十月の到来。ホワイト博士の故郷バージニア州では、秋の到来を告げる紅葉が始まっているに違いない。
 タッツェルベルムの幼体たちは、予定通り三日前に保育器から出されて、ホワイト博士の研究室へ移されていた。研究室と言っても他の研究室とは違い、動物病院と育児室を兼ねたような設備と部屋の作りで、天上の遮光カーテンを畳むと、天窓から太陽の光も入れることができた。硬い壁と防弾ガラスで囲まれた部屋の中では、タッツェルベルムの幼体達が子犬のように駆け回っていた。実際、毛がフサフサした彼らの姿は、遠目には犬そのものに見える。しかし、よく観察すると、顔は犬よりも猿に近いことが分かり、手足も観察すると類人猿に近いことが分かる。彼らは四本の足で駆け回っているのではなく、人間の幼児がするハイハイを高度にしたような、バージョンアップ・ハイハイをしているような感じである。

 お昼前に、マイケル・ビンセント博士が、ホワイト博士の研究室にやってきた。
「は~い、カレン。」
「はい、マイケル。」
二人は、いつものように軽い挨拶を交わした。ビンセントは、防弾ガラスの向こうの保育室に目を向けた。
「子犬たちは、元気にしているようだね。」
ビンセントは、彼の研究室の保育室を出たタッツェルベルム幼体達の様子を見に来たようである。ホワイトの研究室では、スタッフ達がビンセントのチームから回されてきた各幼体のデータをくまなくチェックしているところだった。ホワイトも、保育室のガラスの前まで来て、ビンセントの横に並んだ。
「これ以上無いと言うくらい元気よ。」
「何か問題点はあったかい?」
「問題点って言うほどの事ではないのだけど・・・。昨日、彼らを一匹ずつチェックしたのだけれど、ちょっと気が付いた点があるのよ。七匹の体長や体重の差が、けっこうあるのよね。まだ大きな差って言うほどの事じゃないのだけれど・・・。それに、ミルクを飲む量もかなり違うのよ。同じ遺伝子から生まれたのに、なんだかばらつきがあるみたいね。」
ビンセントは、保育室の中を見つめながら言った。
「やっぱりそうか。実は僕のところでも、それに気が付いていたんだ。最初は、固体差による許容レベル程度に考えていたんだけどね。人間の一卵性双生児だって、身長、体重が完璧に同じと言う分けでもないからね・・・。ところが一週間も経つと、許容範囲と言えないような数値データのばらつきが出始めたんだ。ちょうどそこで、君のチームにバトンタッチしたと言うわけだ。」
「なるほど・・・。これは、一度ブラウン博士やシュルツ博士に聞いてみた方が良いわね。」
ホワイトがそう言うと、ビンセントは頷いた。
「そうだね。ブラウン博士も、データには目を通しているはずだから気が付いているかもしれないけれど、一度きちんと話しをしておいた方が良いな。」
幼体たちは、ガラスの向こうで陽気に戯れているようであった。二人はそれをしばらく見つめていたが、幼体達の中の一体が激しく他の幼体達を攻撃しているのには気が付かなかった。

 午後、ホワイト博士はブラウン博士の研究室を訪れた。
「やあ、ホワイト博士。さっき、ビンセント博士からだいたいのところを聞いたよ。幼体達の、個体差の件についてだね。」
ホワイトは頷いた。
「はい。」
ブラウン博士が、椅子に座るように合図した。ブラウンのチームのスタッフは、わずか四名だった。研究用の器具はなく、書棚とテーブルとコンピューターが部屋の中に並べられていて。他の研究室よりずっと狭かった。この部屋にだけ、チーフ専用の個室が無い。これは、この部門の先任者の意向によるものだった。前任者とは、現在の所長デビットである。ブラウンが統率する研究統括・支援部門は、具体的な研究活動をする分けではなく、各部門の連絡や、データの受け渡しとバックアップ、情報の交通整理、研究全体の統括や分析などを行う部門であり、少ない精鋭のスタッフで業務をこなしていた。
「幼体達の個体差が、許容範囲を大きく超えているように思えます。まったく同じ遺伝子を持った彼らに、これほど個体差が出ると言うのはあり得ることなのでしょうか?」
ブラウンが、ホワイトの目を見ながら言った。
「それについては、まだ何とも言えん。現在、シュルツ博士のチームが死んだ四十三体と生きている七体の、すべての遺伝子解析をしているところだ。結果が出るには、まだしばらくかかりそうだ。」
「そうですか。」
「結果が出たら、定例の会議で報告しよう。」
「分かりました、ブラウン博士。」
と言って、ホワイトはブラウンの研究室を後にした。