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第七章 シュルツ博士の仮説

 三日後、ブラウン博士はDNA設計・解析部門の研究室を訪れた。シュルツ博士のチームのスタッフは、それぞれの作業に勤しんでいた。シュルツは、ブラウンを見かけると手招きした。
「やあ、ブラウン博士。こちらへどうぞ。」
シュルツは、研究室の奥にある彼のチーフ部屋にブラウンを案内した。チーフ部屋は、十平米ほどしかない狭い部屋で、様々な学術書や書類が山と積まれていた。一見雑然としているようではあるが、一応分類して置かれているようだった。
「相変わらず汚くてすまないな。どうぞ、座ってください」。
ブラウンは、書類や本の山を崩さないように、ゆっくりと椅子を引いて座った。
「分析結果が出たそうだね。」
とブラウンが言うと、シュルツは脇の書類の山から、最近のデータの解析書の束を取り出して言った。
「う~ん。分析結果は出たには出たんだが・・・どうにも、腑に落ちなくてね。」
「どう言うことだ?」と、ブラウン。
「何故、五十体のうち、四十三体が死んで、七体だけが生き延びられたのか。私のチームは、死んだ四十三体の幼体をすべて解剖したんだ。どうなっていたと思う?」
「分からないな・・・どうなっていた?」
「細胞が、ガンで侵されていたんだ。」
とシュルツが言うと、ブラウンはちょっと戸惑った。
「ガン?」
シュルツが、続けて言った。
「そう、ガン。しかも、それぞれのガンの部位がバラバラなんだ。ある幼体は胃だったり、ある幼体は肺だったり、腸だったり、リンパ節だったり。そこで、生き残っている七体の方も調べてみた。ところが、こちらにはガン細胞は一切見つかっていないんだ!」
ブラウンは、驚きを禁じえなかった。
「同じ遺伝子から生まれ、同じ環境で育ったのに?何故片方がガンになり、片方はガンにならない?」
シュルツも、この分析結果にずっと戸惑っている風であった。
「しかも、生育環境も食料も、発ガン性物質はイニシエーター、プロモーター共に無縁な状況にしてあるから、環境がガンの原因とも考えられない。そこで、僕はある仮説を思いついたんだ。」
ブラウンは、天才シュルツ博士がどんな仮説を立てたのか興味を持った。
「仮説?」
「本当は、まだ仮説にすらなっていないんだけど・・・まだ推測の域でね。僕は、こう考えたんだ。僕らはすくすくと成長している七体が成功体で、死んでしまった四十三体は失敗したと考えている。でも、実はまったく逆で死んだ方が成功体で、生き残っている方が失敗体なのじゃないかって?」
ブラウンは、ますますシュルツの説に引き寄せられた。
「死んだ方が、成功体だって?どう言う意味だい?」
シュルツは、どう説明したら最も分かりやすいか思案している様子であった。
「死んだ方が成功体だって言うのは、ちょっと誤解を招く言い方かな・・・。つまり僕が言いたいのは、僕が作った設計図通りに組織が生育すると、細胞がガン化して死んでしまう、これが本来の設計図通りの働きかもしれないと言うことなんだ。僕らは、膨大な遺伝子の鎖の塩基配列と、生体機能の関係のほんの一部を解明したにすぎない。僕らがまだ知りえていない塩基配列の何か別の相関関係を壊してしまって、四十三体を殺したのかもしれない。つまり・・・原因はまだ特定できないけれど・・・ガンにならず生き残った七体の方が、たまたまラッキーだったに過ぎないのではないかと考えているんだ。」
「なるほど。」
ブラウンは、すべてに納得したわけではなかったが、一応頷いて見せた。
「原因を解明するために、僕らのチームは死んだ四十三体と生きている七体のすべての遺伝子解析を始めたところだ。解析と分析にはしばらく時間がかかるから、今はこれ以上報告できることはないな・・・。」

 シュルツにそう言われて、ブラウンは話しを転換することにした。
「分かったよ、シュルツ博士。それはそれとして、一つ頼みたいことがあるのだが。」
「どんなことだい?」
と、シュルツが聞き返した。ブラウンが答える。
「以前会議で却下になった、タッツェルベルム二世の別バージョンがあったろ?水掻きのあるタイプとか、キャッチ細胞のないタイプのとか、五種類ぐらいあっただろ。あの設計図データを、軍が欲しがっている。」
シュルツが、眉をしかめた。
「構わないけれど、なんでそんなものを?機能的には、今育っているタイプの方が、ずっと優れているよ?」
ブラウンが頷いた。
「私も、それは承知しているよ。軍は、単に色んなバージョンのデータを手元に揃えておきたいんじゃないのか。その設計図を実際に使う事はない、と言う話しだから。」
ブラウンが、忘れていたことを思い出したように付け加えて言った。
「あっ、あと、タッツェルベルムの設計図に、もう一つだけ新しい設計を加えてほしいそうだ。」
シュルツが、再び尋ねる。
「どんな機能を加えるんだい?」
ブラウンは、慎重に言葉を選んだ。
「現在、タッツェルベルム達の脳は犬をベースにして設計されている。これを、人間の脳をベースにして設計してほしいのだ。」
シュルツの目は、点になっていた。
「人間のだって?ここでの研究がいくらぶっ飛んでいるからと言って、それは無理だ。ここの倫理規定を大幅に逸脱してしまう!それに、僕も科学者としての最低限の自制心は持っているつもりだ。」
ブラウンはそう言われるのを予期していたので、冷静に対処した。
「もちろん、それは分かっている。この設計図も、さっき言った設計図と同様、実際に使われることはないんだ。思考実験だと考えてくれ。軍の上層部から所長に依頼があり、そう言う設計が実際に可能かどうかだけを知りたいのだそうだ。その設計図から、新しいタッツェルベルムが作られることはないのだよ。」
シュルツは胸を撫で下ろした。
「そう言うことか・・・それを先に言ってくれれば良いのに。遺伝子自体は、犬も人間も実はそう大差ないし、医学の分野での人間の遺伝子解析はかなり進んでいるからね。だけど、一つ問題がある。誰の遺伝子を使うかと言う問題だ。倫理を伴う問題だから、了承する人間は少ないのじゃないかな・・・。設計図上だけでも、あのタッツェルベルムに自分の遺伝子が継承されていると考えるだけで、嫌悪して引いてしまう研究者も多いと思うよ。」
ブラウンは、笑顔で答えた。
「それは、心配するには及ばない。私のDNAを使ってくれ。それから、これは守秘義務の伴う秘密事項の依頼だから、チームのスタッフにも他言無用にしてもらいたい。そう言うわけだから、今回の件はすべてスタッフを介せず君自身に設計してほしいのだ。完成が早いと、尚助かるな・・・こう言う事務的な、研究の本道から外れる軍の依頼はさっさと片付けたい。了承してもらえるかな?」
シュルツは、躊躇わずに答えた。
「他ならぬブラウン博士のご依頼だ。最大限の努力をすると誓うよ。」
「ありがとう。」
ブラウンは、彼の計画が一つ前に進んだことで内心ホッとした。二人は固い握手を交わし席を立ち、ブラウン博士はシュルツ博士のチームの研究室を出た。