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第五章 タッツェルベルムの幼体

 エンタープライズ号の出発から、二十日間が経過した。

 ブラウン以下、各部門のチーフ達が、所長のデビットを研究棟の入り口で待っていた。デビッド所長は、陸軍上層部との会議のため二週間前にアメリカ本土へ戻っていたが、今日帰ってくる予定なのである。鉄かぶと島へ向かうボートからの連絡によれば、そろそろ島に到着する頃だった。無線を持ったキングスレー少尉が、彼らと共に所長の到着を今や遅しと待っていた。南国の夏の暑い太陽が、一同を照りつけている。

 程なくして桟橋のノートン伍長から無線で連絡があり、デビット所長の乗った小型ボートが島の桟橋に到着したとのことだった。桟橋からここまで、徒歩で十分もかからない。ノートン伍長が、島に一台しかないメルセデスベンツ・ウニモグで所長を迎えに行っているから、三分程度で上がって来るはずである。
 無線で連絡があってから予想通り三分で、ウニモグは彼らの前に姿を現した。車が入り口の前で停まると、助手席のドアを開けて所長が降りてきた。所長の顔は、出発前よりも一層老け込んで見えた。誰の目にも、疲労の度合いが高いことは明らかだった。ブラウン博士が、最初に口を開いた。
「お帰りなさい、所長。」
デビット所長は、右手を挙げて彼らに笑顔で応えた。
「やあ、諸君。やっと我が家へ帰って来れたよ。」
ホワイト博士が、所長の労をねぎらうように言った。
「本国では、色々とたいへんだったご様子ですね。」
デビットは、ホワイトの方に向き直って言った。
「まあ、所長と言う仕事は、政治的な駆け引きも必要な役職でね。陸軍のお偉方と、色々と話しをしなくちゃならなかったからな・・・。」
ブラウンが、左手で所長を建物の中に招く仕草をしながら言った。
「暑いですから、取りあえず中へ。」
キングスレーとノートンの二人を残し、一同は建物の中へ入っていった。

 建物内部の頑丈なドアの前で、一同はそれぞれIDカードと腕の静脈をセンサーに押し当てた。IDコードと静脈情報の両方が一致しないと、建物内部には入れないようになっている。このような孤島であるにも関わらず、研究の機密漏洩に関する警戒レベルは高い。それほど、陸軍はここでの研究情報の外部への流出に神経を尖らせているのである。
 各部門のチーフと所長の計六名は、研究所のもっとも警戒レベルの高い部屋の前まで来た。この部屋は、一般の職員や許可を受けていない研究員は立ち入る事ができない。この部屋は、指紋と瞳の虹彩をモニターに当てて、その両方が一致しないと入れないシステムになっていた。六名が全員チェックにパスし、部屋の中に入った。
 部屋の中央には、七個の保育器が並べられていた。デビッド所長は、ブラウン博士に促されてその保育器を覗き込んだ。保育器の中には、毛がふさふさと生えた子犬のような動物が寝ていた。ブラウンが言った。
「所長、これが新しいタッツェルベルムです。」
所長は、驚いたように言った。
「これが?どう見ても、子犬と小猿の中間動物にしかみえないが・・・。前のタッツェルベルムとは、随分違うようだな・・・。足の生えた虫と言う呼び名は、まったくそぐわないぞ。」
この問いに対し、生体培養を担当したビンセント博士が答えた。
「これはまだ幼体なのですよ、所長。子供の時は毛がフサフサですが、成長するに従い毛が抜けて成体になります。フサフサの毛は、まだ柔らかいタッツェルベルムの皮膚を守るために生えていると考えられます。」
所長は、その新たに生まれた生物をしげしげと眺めた。
三月からこの九月の間に、遺伝子組み替え、人工授精、組織培養と順調に進み、現在七体の幼体が育ちつつあった。実際は五十体が培養されたのだが、幼体まで順調に育ったのはこの七体だけであった。シュルツ博士が、より詳しい説明を始めた。
「このタッツェルベルム二世達の各能力は、先代のタッツェルベルムより優れています。視力、聴力、嗅覚、顎の力に、腕力、跳躍力すべての面でバージョンアップされています。従来の夜目だけでなくピット器官も供えていますから、隠れた相手を体温で探すことすら可能になりました。キャッチ結合組織も順調に成長しています。予想ではあと二ヶ月もすると、ほぼ成体になるでしょう。この幼体は誕生してすでに一週間が経過していますから、誕生から成体になるまで九週間ということになります。」
所長は、再び驚いてシュルツを見た。
「たった二ヶ月で成体になるのか?前回の報告書では、最低六ヶ月以上はかかると書かれていたぞ。」
シュルツは、続けて言った。
「研究は、日々進歩していますからね・・・。生物兵器として考えるなら、成長スピードはたいへん重要ですよ、所長。ただし、新陳代謝が異常に激しく、成長があまりに早いので、寿命は長くても四十年程度でしょう。残念ながら、寿命だけは今のところ制御できていません」。
「それから従来からの懸案事項だった、劣悪環境下での生命機能の維持と、単一体での無性生殖の二つも解決されています。彼らは、生存に適さない環境、例えば、極度に低温な環境や逆に高温な環境、水が不足した状況などの過酷な環境下では、体温や脈拍を下げて自らを冬眠状態におき、条件が整えば半年近く生き延びることができるはずです。ケガからの回復も、通常の野生動物の数倍のスピードでしょう・・・これについては、ビンセント博士のチームの組織培養中の実験で確認されています」。
「また、単為生殖についてですが、成体がある年齢に達すると、脳下垂体からホルモンが分泌され、単体で妊娠して四ヶ月で子を産むはずです。一度に数体の子を産み、幼体は親と同様二ヶ月で成体となります。オリジナルと寸分違わないDNAを引き継いだ子供達ですから、親とまったく同じ高度な機能をもつことになります。」
所長が、それを聞いて口を挟んだ。
「それでは、鼠算式にどんどん増えてしまうな・・・。一匹でも外に漏れたら、世界中タッツェルベルムだらけになってしまうぞ。例えば、戦場から迷い出た彼らが、隣国で繁殖したらたいへんな騒動になる。それに対する方策は?いくつか、方策案が立てられていたはずだが。」
シュルツが答えた。
「おっしゃる通りです。彼らにも、唯一の弱点が組み込まれています。ある種類のアミノ酸を、彼らは作り出せません。そのアミノ酸は自然界には存在しないもので、人間がそれを与えないと彼らは数週間以内に死んでしまいますし、そのアミノ酸がないと妊娠のためのホルモンが分泌されません。つまり、彼らは人間の手中にある時だけ生存と繁殖ができるのです。」
所長は頷いた。
「なるほど・・・。それで、これからの計画は?」
この問いには、シュルツに代わってブラウンが答えた。
「あと一週間ほどで幼体を保育器から出し、ホワイト博士のチームが彼らを育てます。」
ブラウンがそう言いながらホワイト博士を見ると、彼女は頷いた。
「それと並行して、次のバージョンの遺伝子設計に入りたいとも考えています。」
所長は、それが初耳であるかのように聞き返した。
「次のバージョン?今回が、完成形ではないのかね?」
ブラウンが、それに答えて言った。
「もちろん、これは所長の許可を受けてからと言うことになりますが・・・。実は、今回生まれたタッツェルベルムにも、些細な点で色々と欠点や矛盾点が見つかっています。次のバージョンでは、それらを改善できると私達は考えています。」
「フム・・・。それは、後ほど詳しく話しを聞くとしよう。それはそれとして、今回のこの大成功を祝って、研究員達を全員集めて祝いの会を近日中に開くとしよう。ブラウン博士は、後で私の部屋に来てくれないか。」

こうして、タッツェルベルム幼体のデビット所長への初お披露目は終わった。