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第四章 エンタープライズ号の発進

 三月のあの定例会議から、既に六ヶ月が経過していた。アメリカ本国の時間で2027年9月1日(島の時間では既に9月2日だった、食堂に研究所の研究員と職員、兵士達が全員集まっていた。
 この日、いよいよエンタープライズ号が発進することになっている。食堂のテレビを見ながら、みんな口々に雑談していた。五十名近い人数が一度に集まると、さすがに食堂も狭く感じられた。この歴史的な一大イベントを、自室のインターネットでたった一人で見たいと思う者は誰もいなかった。皆とその感動を共有したい、と言うのが人情である。この狭い島での日々の退屈な生活を考えれば、なお更のことである。
 テレビでは、メインキャスターとコメンテーターが、エンタープライズ号がシリウス星系を目指すことになった経緯を説明していた。もっとも、ここ数年その話題ばかりだったので、世界中のほとんどの人が詳細を知っていたはいたけれども。2020年7月、異性人が建造したと思われる巨大な地下ドームが日本で発見されたこと、その建造者はシリウス星系から来たらしいこと、アメリカを中心に世界中の国が協力してニューダイダロス計画を推し進め、新型ロボットを開発し、核融合推進エンジンと高分子皮膜帆を持った宇宙船を完成させたこと、等々を丁寧にCGを駆使しながら説明していた。

 食堂の後ろの方では、キングスレー少尉と彼の部下達が雑談を交わしながら、テレビの画面を見ている。警備についているダン一等兵とピーター二等兵を除いて、兵士も全員食堂に集まっていた。ノートン伍長、デビット上等兵、キーファー一等兵、ロイ一等兵、ローランド二等兵、クリスチャン二等兵の六名が、キングスレー少尉の左側に座っている。キーファー一等兵が、左隣に座っているロイ一等兵に言った。
「ダンとピーターは可哀相だな。こんな時に警備番とは。生中継と録画とでは、感動は天と地ほどの差があるぞ。」
ロイが答えた。
「確かに。しかし、まあ決まった通りの順番だからな、警備は・・・。仕方ない。後で、あの二人に奢ってやろう。」
その隣では、ローランド二等兵がクリスチャン二等兵と話しをしている。
「こんな時に警備だなんて。ピーターは、いつも不運な奴なんだ。以前奴が言ってたんだけど、十九歳の時に上物の六九年式ファイヤーバードを、知り合いから格安で手に入れたらしい。ボディに傷一つないし、エンジンも絶好調。しかし、後で分かったことなんだけど、それが盗難車だったらしくてね。地元の有力な実力者のコレクションの一台だったらしい。その知り合いと言うのは、地元ギャングの関係者だったらしい。それで、ピーターは警察に尋問されるわ、車は持ち主の元に返されるわ、金は戻ってこないわで、散々だったらしい。」
クリスチャンが、それに付け加えるように言った。
「そう言えば、先日の一週間休暇の時、奴は船でサンボアンガに行ってから、レンジ・ローバーを借りて、ミンダナオを一周する計画を立ててたけど、あれも散々だったよなぁ。休暇の初日に海が荒れ始めて、けっきょく五日間海は荒れ放題で、一歩も島から出られなかったよな。海が静まった時は、休暇は残り二日。結局、計画は不可能になりサンボアンガには行かずじまいだったな。おまけに、ぎりぎりまでローバーのレンタルをキャンセルしなかったから、どうやらその料金も払わなきゃならなかったようだ・・・電話でリース会社と、もめてたからな。あそこまで行くと悲惨を通り越して、ほとんどギャグだな。」
キングスレー少尉と、ノートン伍長は、別の話題で盛り上がっていた。デビット上等兵は、二人の会話に耳をそばだてていた。キングスレーが言った。
「シリウスに異星人がいると言うのは、にわかに信じ難いな。」
それを聞いて、ノートンが言った。
「何故です?宇宙には、これだけ星があるのですよ?他の星に誰か住んでいても、別に不思議なことじゃないでしょ?スペースは、いくらでも空いていますしね。」
キングスレーは、頭の中の引き出しを一つ開けた。
「確か、ドレイクとか何とか言う計算式があったな。この銀河系に、どれだけの知性体がいるかを求める計算式だ。この銀河系には2千億の恒星があって、惑星の数もたくさんある。その中で、水や酸素のある惑星は何%かで、有機化合物ができる惑星はその中のまた何%かで、その中で微生物が生まれる可能性は何%かで、微生物が下等生物に進化する確率がまた何%かで、それが知性を持った生命にまで進化する確率は数%。そうやって計算していくと、これだけの惑星があっても、そこに高等な生物が生まれる確率はかなり低い。宇宙へ進出できる種族となると、極僅かだ。そして宇宙の年齢は、百五十億年とも二百億年とも言われる。その中で、知的な生命が文明を築いていられる期間は、せいぜい数千年から長くて数万年がいいところだろう。どこかで高度な文明の星があって、幸運にもその隣の星で文明が生まれたとしても、それが十億年後だったら最初の文明はとっくに滅びているだろうから、二つの文明が出会うことはない。そんな訳で、お互いの文明が出会う確率は限り無くゼロに近い。だから、十光年も離れていない隣り近所の星に、わずか百万年にも満たない時差で知的生命が存在しているなんて言うのは、宝くじの一等賞に連続当選する事より難しい、あり得ないことなんだよ。」
デビットが、二人の会話に割り込んだ。
「と言うことは、地球人は史上最高額の宝くじに大当たりしたようなもんですね。」
キングスレーが、考え深げに言った。
「まあ、そう言えなくも無いな・・・。誰かの悪い冗談や、大掛かりの陰謀や詐欺でなければね。」
テレビの画面には、ニュー・ダイダロス計画(通称NDP)のマイケル・コリンズ委員長が写っている。そして、スピーチを始めた。スピーチが終わると、エンタープライズ号の中のロボット宇宙飛行士達との短い交信があった。その後、各国首脳などのスピーチがあり、発射十分前となった。引き続いて、画面にはアメリカ合衆国大統領のエドワード・ブラウンが登場した。食堂内は静かになり始めた。食堂の最前列に座っていたホワイト博士が、右隣のシュルツ博士にささやいた。
「大統領の名前って、ブラウン博士の名前に似ているわね。」
シュルツが答えた。
「エドワード・ブラウンに、アルバート・ブラウン・・・確かに、ちょっと似ている・・・。それを、彼に言ったら喜ぶかな?」

 大統領がスピーチを始めた。
「世界の皆さん、こんばんは。若しくは、こんにちは。アメリカ合衆国第五十代大統領のエドワード・ブラウンです。今日、この日を、皆さんと共に迎えられることをたいへん感謝いたしております。ニュー・ダイダロス・プロジェクトは、アメリカが中心となって計画を進めてまいりましたが、世界中の皆さんの協力がなかったら決して成功しなかったでしょう。今、私たちは、新たな未来への門口に立っております。そして、私たち人類が共に手を取り合って、この未知への扉を開こうとしております。エンタープライズ号がシリウスに無事到着し、情報を携えてまた地球に戻ってくるのは、四十年ほど先です。現在六十五歳の私は、その頃はもはやこの世にはいないかもしれません。皆さんの中にも、やはり私と同じ境遇の方々がおられるでしょう。しかし、私たちの子供たち、私たちの孫たちの世代は、確実にその日を迎えることができます。このシリウスへの飛行によってどのような収穫が刈り取れるのか、今の私たちには分かりませんが、私たちは誇りをもって子供たちにこう言うことができます。私たちは失敗を恐れず果敢にチャレンジしたのだ、と。さあ、共にエンタープライズ号の発進を見守りましょう。」
エドワード大統領がスピーチを終えると、貴賓席の観衆からスタンディングオベーションが沸き起こった。大統領は、軽く手を振りながら壇上から降りた。テレビ画面は、軌道上のエンタープライズの映像に切り替わった。
エンタープライズ号発進一分前となり、カウントダウンが始まった。世界中が、固唾を呑んで発射を待ち望む。
「十、九、八、七…」
鉄かぶと島の食堂の面々も、カウントに合わせて声を上げた。
「六、五、四…」
エンタープライズ号の巨大な後部エンジンが白く光り出す。
「三、二、一、ゴー!」
巨大なエンタープライズ号は、真っ白な噴射炎を上げてゆっくりと動き出した。食堂内は、喜びと興奮の歓声で満たされた。日ごろ研究室に閉じこもり、娯楽の少ない孤島で生活している彼らにとっては、ストレス解消の一瞬でもあった。
 ただ一人、所長のデビット・スチュアートだけが、暗い表情でテレビ画面を見つめていた。