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4.靖国神社と社会問題・外交問題

 さて前回、靖国神社設立の過程や戦中、戦後の靖国神社の歴史を見てきた。その後、靖国神社がどのような社会的問題、外交的問題と関わっていったかを考えてみたい。

・靖国神社国家護持法案

 靖国神社は戦後、1946年4月の"支那事変・大東亜戦争戦没者合祀"を皮切りに、年1~2回の合祀を行っていた。合祀に関わる費用は、基本的に靖国神社が募金活動などでまかなっていたが、1955年頃から、国会で自由党や民主党等の議員から「国が助成できないか」と言った意見や質問が出るようになった。当時、靖国神社側が合祀すべき戦没者は200万人いて、そのうち100万~120万人が未合祀の状況で、合祀を行うには数億円の経費を要した。国の殉教者を祀る行事に国が関与できないことに、保守系議員や日本遺族会から不満が噴出した。

 「国が関与できない」と書いたが、実際には国が多くの関与を行ってきた事が後々明らかとなる。靖国神社への合祀手続きに、国家が関与していた事実が各種資料によって判明したのである。一宗教法人の靖国神社が戦没者の名前や身上に関する調査を行うには、自ずから限界があった。日本国憲法が制定され、政教分離原則が国のルールとなった戦後も、靖国神社は、復員局や引揚援護庁から名簿や資料を受け取っていた。また厚生省経由で各都道府県に照会をして、資料を入手して合祀の取扱いを決定している。合祀と言う靖国神社の宗教活動に公的機関が戦没者調査などの面で援助、協力し、事実上それらの経費も負担していた。これら政教分離原則に違反する合祀協力を裏付ける通知文書も、存在する。厚生省の「靖国神社合祀事務に対する協力」と言う表題の文書には、「靖国神社合祀事務の推進に協力する」ことや「経費は、国庫負担とする」ことまで明記されていた。また、靖国神社からの合祀通知状の遺族への交付にも協力するよう要請し、靖国神社は引揚援護局から回付された戦没者カード(祭神名票)によって「合祀者を決定」し、「合祀の祭典を執行する」とまで書かれている。
 戦後の極めて早い時期に、国家が特定の宗教団体に特別の関わりを持ち、個人の宗教の自由、思想・良心の自由、さらに遺族らのプライバシーをも侵犯する疑いの強い文書が、厚生省から通達されていたのである。この他にも、国が合祀に関わった事を示す問題の多い文書の存在が明らかになっている。
 一宗教法人の靖国神社が、200万と言う膨大な合祀を短期間でなぜ可能だったかと言うと、"公的機関の合祀協力"があったことと、合祀について遺族の了解を得ると言う手続きが"なされていなかった"からである。戦後においても、戦中と同様に「戦没者」は「遺族のもの」ではなく「国家のもの」である、と言う暗黙の共通認識が、政府関係機関にあった事を伺わせる。

 上記のような、明らかに憲法に違反する公的機関の靖国神社に対する協力があったのだが、保守系議員や日本遺族会は、正式に国家が国の殉教者を祀らない事に対して不満を噴出させた。1955年7月には民主党の委員から「靖国神社を宗教から抜け出させる」内容の定義が、12月には自民党の委員からも「靖国神社を宗教法人から離すのがいい。法案の構想があるなら伺いたい」旨の発言がある。国会でのこうした動きに合わせ、日本遺族会も国会対策委員会等を設け、衆議院の特別委員会に意見書を提出するなどの活動を推進していく。
 そして、1956年、自由党は「靖国神社法草案要綱」を、社会党は「靖国平和堂(仮称)に関する法律要綱」を発表した。しかし、靖国神社を国営化する動きは思うように実現せず、1959年には政府が6年がかりで計画を進めていた無宗教の「千鳥が淵戦没者墓苑」が竣工した。その年の11月、日本遺族会は靖国神社国家護持に関する署名活動を全国的に展開し、300万の署名を集めた。第13回全国戦没者遺族大会でも、「靖国神社国家護持の実現」が決議に明記された。
 1961年に入ると、靖国神社が神社本庁を加えて「靖国神社祭祀制度調査委員会」を設置。次いで日本遺族会も、国家護持に関する請願を国会に提出する。こうした積極的な働きかけで、自民党は1963年6月に「靖国神社国家護持問題等小委員会」を設置した。そして6年後の1969年、靖国神社法案が第61回国会に初めて提出された。しかしこの法案は、キリスト教を初めとする宗教団体や、市民団体等が強く反発した。結局、衆議院内閣委員会で廃案となる。以降、靖国法案は4回に渡って提出されるが、あからさまに憲法の理念に反するこの法案は、その都度廃案になる。1973年の法案提出では、衆議院内閣委員会で自民党が単独採決を強行し、衆議院本会議でも単独採決したが、参議院で廃案となった。
 靖国神社の国家護持法案が実現しないと、今度は焦点は靖国神社の公式参拝へ移っていく。1976年、「英霊に対する国・国民のあるべき姿勢を確立するための国民運動を展開する」として、日本遺族会などを中心に「英霊にこたえる会」が結成され、公人の参拝を実現する運動が進められた。
 この後、国会議員の間でも「英霊にこたえる議員協議会」や「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」が相次いで結成された。1981年の靖国神社春季例大祭では、約200名に及ぶ国会議員が集団参拝する。この後、国会議員の集団参拝が、春秋の例大祭と8月15日に行われるようになった。

・靖国神社公式参拝と外交問題

 靖国神社法案の成立が頓挫すると、公式参拝運動へと中心が移っていった。首相や閣僚の靖国神社への参拝は、実は戦後の早い時期から行われていたが、アジア各国から最初の批判を浴びたのは1985年8月15日の中曽根首相による「公式参拝」の時だった。それまで歴代首相によって58回も参拝が行われていたが、中曽根首相が「公式参拝」だったと言う点で従来の参拝と異なっていた。中国や韓国が首相による靖国参拝に反対する理由は、中曽根首相による「公式参拝」以来一貫している。「A級戦犯が祀られている神社に首相が参拝するのは、戦争で多大な被害を受けたアジア各国の人々のこころを傷つけるもの」と言う事である。

 ここでA級戦犯と言う言葉の意味を、説明しておく必要があるかもしれない。A級戦犯、B級戦犯、C級戦犯と言う言葉を聞いた事があるかと思うが、(よく勘違いされがちだが)A級、B級、C級と言うのは、刑の重さのレベルの等級差ではない。
 「A級戦犯」とは、東京裁判で裁かれた「平和に対する罪」のことで、すなわち侵略戦争を指導した罪に問われた戦犯の事である。極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)では、28名の被告のうち25名が有罪とされ、1978年に14名が靖国神社に合祀された。
 「B級戦犯及びC級戦犯」は、「通例の戦争犯罪」のことで、交戦法規違反などの国際法規違反に関わる罪である。主に、捕虜取扱いに関する不法行為の摘発で、B級は指揮・監督にあたった将校や部隊長、C級戦犯は直接捕虜の取り扱いにあたった下士官や兵、軍属である。「戦争犯罪」とは、"非戦闘員の殺戮、毒ガス、非人道的兵器の使用、捕虜の虐待、海賊行為"、"非交戦者の戦闘行為"、"略奪"、"間諜、戦時反逆"である。よって、捕虜取扱いだけでなく、戦闘とは関係無い一般住民に対する殺人や殲滅、奴隷化、拷問、追放その他の非人道的行為の罪も当然裁かれる。つまり、A級戦犯とは戦争指導者の「平和に対する罪」、BC級戦犯は「通例の戦争犯罪」に問われた軍人や軍属の事である。

 「東京裁判」については、戦勝国が一方的に裁判を行ったこと、開戦時存在しなかった戦後の法概念(※事後法)が適用されるなどの点に疑問を呈し、インドのパール判事の少数意見を取り上げ、戦没者の英霊顕彰を望む遺族や保守系の議員から裁判の無効、ないし反論の主張がなされている(※ここでは東京裁判に関して考察するのが目的ではないので深くは立ち入らないが、一つ言えるのは、東京裁判後に日本人自らの手で裁判で戦争犯罪を訴えて裁いた例は数例を除いてほとんどなかった事を申し添えておく)。
 "A級戦犯を祀っている靖国神社"を日本の首相が"公式参拝"することは、アジア各国、取り分け中国と韓国にとって看過できない大きな問題だった。一方日本の政府は、一宗教法人の靖国神社に対し国が介入して「A級戦犯合祀を取り下げろ」と言う事は、政教分離の原則からできないと言う主張をしている(※実際には過去積極的に合祀に国家が公的に関わっていたのだけれど)。そもそも、靖国神社側は「一旦神として祀った」ものを、「取り下げなさい」と言われて取り下げるつもりはまったくない事を公言している(※これは合祀拒否訴訟等で明らかになっている)。
 そして現在の政権与党の閣僚や首相も、この靖国神社への参拝を辞めるつもりはさらさらないようだ。日本遺族会と言う大票田の圧力、これからも国益(=国民の利益ではない)のために喜んで命を捧げてもらうためのシステム、これらを手放す気が無いのは明白である。消極的に手放さないのではない。むしろ積極的な意味合いで手放さないのであり、例えば2000年には、現役総理大臣が「日本は天皇を中心とした神の国…国民にはこのことをしっかりと承知していただく」と言う誤解のしようがまったく無い確信犯的発言をしているが、国の上に立つ首相が信教の自由を踏みにじる発言や行動を繰り返しているのが日本と言う国の実情なのである。むしろ、靖国問題を「国内の問題の矛先を日本批判に向けたり、外交カードに利用するために利用している」と言う主張をして、逆に中国や韓国を批判にする材料に転用している状況ですらある。
 日清、日露戦争から太平洋戦争に至るまでの経緯を考えれば、現在の政権の首相や閣僚達の発言が、アジア各国の人々の感情を逆撫でするのも無理もない。日本が、朝鮮半島を支配下に治めた理由は概ね次のようなところである。「当時、朝鮮半島には統治能力はなく、独立は不可能だった。朝鮮を清から独立させるために、日本は戦った。しかし、朝鮮は独立しなかった。黙って見ていれば、朝鮮はロシアに占領される。そうなれば日本にとって危険が目と鼻の先の状況になるので、ロシアより先に朝鮮半島を支配下に置くため、ロシアと戦った。つまりは日本の自衛のために戦ったのである」。人様の国を侵略して統治下におき、それを日本の自衛のためと言い切ってしまう独善。太平洋戦争にしても同様で「大東亜戦争は、列強各国の植民地下にあったアジア各国解放のために戦った。アメリカとの戦争も避けられない必然的なものだった」であった。その主張に、物資確保のためにアジアを南進して諸国を侵略したと言う加害者意識、日本も西洋諸国と同様にアジア諸国を植民地化していって解放しなかったと言う歴史上の事実などは、一切封印されている。侵略されたアジア各国の人々にして見れば、日本の一部のナショナリストの主張は「盗っ人猛々しい」と言う以外の何物でもないだろう。これもまた、戦争の経緯を考察するのが目的ではないので深くは立ち入らないが、個々の兵士の気持ちとしてはアジア解放の大儀を信じて戦った人々も確かに数多くいたと思うが、大局的には日本の戦争はやはり正義のための戦争とはとても言えない侵略戦争だった。
 「日本は自国の自衛のために、またアジア諸国の独立のために戦った」→「その聖戦のために戦って死んだ兵士を英霊として称える(顕彰する)のは当然だ」→「そして、国民が国のために命を捧げてくれた英霊を祀る靖国神社を参拝するのは当然だし、日本の首相が代表して参拝するのも当然だ」→「他国が、それに文句を言うのは言語道断、信教の自由を侵すけしからんことだ。内政干渉である」と言う論理構成になっているのだ。靖国参拝の理屈は、そう言う論理構成になっている。
 逆の立場だったらどうだろう。日本に原爆を落としたエノラゲイが博物館にピカピカに磨いて飾られ、原爆を落とした飛行士たちが英雄として崇められていたら、日本人だってやはり怒るはずだ。

 靖国神社公式参拝は、"愛国心"つまり日本人のアイデンティティの問題として、また"外交問題"つまり中国・韓国批判の道具として、最近使われだした。「中国や韓国は、内政に干渉するな。日本人の信教の問題だ」、「中国は国民の不満を逸らすために、靖国問題を利用しているのだ」と。だが、靖国問題は本当に"外交問題"や"中国の問題"なのだろうか?また、A級戦犯が祀られていることだけが、問題なのだろうか?私は、そもそも靖国問題は、外交問題ではなく、日本の国内問題であると思っている。日本が関わった過去の戦争を、日本国民自身がどうとらえるのか、と言う問題だと思うのである。靖国神社公式参拝を推し進める政治家や団体は、そもそも先の大戦を侵略戦争だとか、日本が悪い事をした戦争などと露だに考えていないのである。アジアを列強帝国諸国から解放するための戦争ととらえ、戦争で命を落とした兵士を英霊として祀る。しかし、実際に大日本帝国がアジア諸国に行ったことは、解放とは程遠い惨禍をもたらした事は歴史上の明白な事実であり、侵略による戦争以外の何物でもない。

 靖国神社国家護持法案、そして靖国神社公式参拝の流れ、そして今推し進められつつある憲法改正の流れは、決して別個のものではない。今の自民党の憲法改正案にある「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲」内の宗教活動を認める方向の記述は、正に神社へ"公金で払う玉串料"や靖国神社への"公式参拝"を、「"社会的儀礼"や"習俗的行為"として認めさせよう」と言う目的が見て取れる。靖国国家護持法案による正面突破に失敗し、狡猾に憲法の思想・信教の自由を制限しようとするものと考えても間違いないだろう。大日本帝国憲法(明治憲法)の思想・信教の自由は制限だらけだったが、その制限は拡大解釈されて、最終的にはその自由は国民から奪われ、結局は大戦争へ突入した。
 考えて欲しいのだが、現在に至るまで、首相の靖国公式参拝を合憲とする判決は一つもない。"たったの一つも"である。一方で違憲判決は出ている。1991年の仙台高裁の判決は、天皇・首相の「公式参拝」は「憲法20条3項が禁止する宗教活動に該当する違憲な行為である」と結論付け確定した。小泉首相の靖国参拝をめぐる訴訟の判決でも、公式参拝が合憲とされた判決は一つもなく、2004年4月の福岡地裁判決(確定)と2005年9月の大阪高裁判決では、参拝は憲法の禁じる宗教活動にあたるとの判断を示した。「公式参拝」は「違憲」なのである。こうした憲法の呪縛をなくすための、"憲法改正"という側面も見逃せない。思想・信教の自由を奪われる前に、私達はこの"靖国公式参拝"が投げかける問題をもう一度しっかり自分の問題として考える必要があると思う。


(2006月 8月15日記載)


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