クリスチャンのための哲学講座

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8.われ思う、ゆえに我あり/ルネ・デカルト

 近代哲学の父と言われるルネ・デカルト。「読みたい」と思っていたのですが、どうも哲学者の本って高価なので躊躇してたんですが、良くいく地元の広島お好み焼き屋のご主人がデカルトの本を持っていたので、お借りして読みました。「方法序説」と「哲学の原理」と「世界論」で全400ページです。



 ルネ・デカルトは、1596年(※日本では文禄元年、まだ豊臣政権の頃)3月31日にフランスのトューレーヌ地方のラ・エーと言う町で生まれる。父は高等法院評定官で、その第三子として生まれる。法官貴族、つまり裕福な市民の出である。母は13ヶ月の時に死別。その後、彼はラフレーシ学院卒業後、ポアチェ大学で法学と医学を学ぶ。社交界にも出入りし、スポーツ(武術や馬術)も行っていた。ボヘミア戦争(三十年戦争)で旧教軍旗下に入ったが、学問の方法的統一を感知して軍籍を脱して旅に出て(再びの)オランダへ(※この頃、ベーコンの「ノヴム・オルガヌム」が出版された!)。その後、フランスに戻ったり、イタリアに行ったり、またオランダに戻ったりしながらも学問を続け、「光の屈折」を見出したり、「精神指導の規則」を書いた。1629年に、形而上学を考え短い論文にまとめた。1633までに「世界論」の論文を完成させたが、ガリレイの地動説が有罪と判決せられたのを受け、「世界論」の出版を断念した(※これはデカルトの死後、1664年に出版された)。1636年、「方法序説」完成。翌年「方法序説および三試論」を出版。一部の学者達から批判を受ける。1641年、形而上学の論文「省察」をパリで出版。1642年、カルヴァン派の神学者であるヴォエティウスは、1641年にデカルトに無神論者であるとの非難を浴びせ、1642年にデカルト哲学を有害としてその講義を禁止した。その後、両者間の応酬が続く。翌年、ユトレヒト市会の欠席裁判でデカルトは有罪とされたが、デカルトはフランス国民として友人や大使を通じて、オランダの裁判の判決の執行を阻止する。
 1644年、「哲学の原理」を出版。これには前年からの文通相手である王女エリザベトへの献辞が付けられていた。1645年、ユトレヒト市会は、今後デカルトの哲学についての論議を一切禁止にすることを宣言して、事件を葬る策に出た。1647年には、今度はレイデン大学教授が、デカルト哲学を不敬虔なペラギウス主義(この主義を要約すると、人間は自分の努力で救われると言う考え)と非難したが、デカルトは再びオレンジ公を動かして相手を制した。この年、デカルトはパスカルと出会う。ちなみにパスカルの「真空に関する新実験」はこの年に出版された。
 1648年、デカルトは最後のフランス旅行をする。この年に「人間論」を書き上げている。そして、この年にライデン大学は、空席となっていた講座にデカルト主義者のハイダヌスを任命した。1649年、スウェーデン女王クリスチナから招きの親書を受け取り、友人のスウェーデン大使シャニの勧めもあり、かつスウェーデン海軍提督が軍艦で迎えに来てストックホルムへ。この年、「情念論」を出版。また、舞踏劇のための詩「平和の誕生」も書く。1650年、デカルトは肺炎のため死去。遺体をめぐって女王と大使の争いがあったが、「豪奢は故人の意志に反する」と大使があとに引かなかったので女王が譲り、質素だが品位ある私的な葬儀が行われた(※後、1666年に大使シャニの後継の大使が、遺体を本国へ送還の手続きを取り、パリの修道院に移された。その後、別の教会に移送)。

<方法序説>
 デカルトは、哲学の方法論について非常にこだわる。それは凄く理解できる。自然科学と違って社会科学は、人の価値観に左右される傾向が高い…言い換えれば、屁理屈がまかり通る。自然科学ですら、実験の結果を、自分の原理に合うようにこじつけることがある。まして哲学など、100人いれば100個の哲学があると言われるほど。それで良いわけがない。
 デカルトは、幾何学に代表される数学的方法論を哲学の方法論に取り入れようとする。どのような3角形であれ、3角形であれば角度の和は誰が計測しても常に180度になるように、哲学もきちんとした方法論に従えばちゃんと真理に行きつくはずである。デカルトは、そこをまず重視した。
「方法」こそが真理を探求する道である。

<哲学の原理>
 デカルトは、学問の基礎には確実な出発点がなければならないと考える。絶対確実な出発点を見出すため、デカルトは疑えるものはすべて疑う。過去の哲学や学問的研究の事だけを言っているのではなく、世のすべての事を疑う。自分ないし他人が既に知っていると思っている事も、夢幻かもしれない。
 疑いの余地を取り除いていけば、絶対確実な物が見つかる(
方法的懐疑)。しかし、確かに思えることが何もなくても、「我々が疑っている間、確かにそこに我々は存在している」と言うことは疑いえない確実な事である。これが次の有名な一節である。
私は考える、ゆえに我はある(コギト・エルゴ・スム)」。こうして、哲学の歴史において初めて、その中心に絶対確実なものとして「自我(エゴ)」が置かれた。以後、「主観(私=自己)―客観(世界)」の図式は、西洋哲学の基本となっていく。
 ここをベースにして、デカルトは哲学の原理を推し進めていく。「神の存在」、「実体(物体)の本質=延長」と「心(精神)の本質=思惟」の問題を展開していく。「神の存在」については、後述する。
 「実体(物体)は延長」である、とデカルトは説く。例えば、蜜蝋(蝋燭)は、火をつけないと個体だが、火をつけると液体化し、そして気化する。実体は色や形を様々に変えるが、「空間的な広がり(延長)」は同じである(また、空間も実体と同じである)。一方、人間の自己の本質は「思惟(思考)」であり延長は持たない。しかし、共通点をもっていない心と体が、どのようにして関連し影響を与え合うのか、と言う問題はデカルトは説明しきれず、「心身問題」は後の時代まで残ることとなる。

<世界論 (または光論)>
 哲学とは、本来そもそも"この世の全てのもの"を対象にしていた。神や人間の存在といった事象だけではなく、物理や天文、生命などの科学にも幅広くその関心が向けられていた。デカルトは、この「世界論」において、世界の様々な自然現象の謎を説明しようとする。炎、光、太陽や星や月、重さ、流動性、元素、海の干潮や満潮といったことまで、彼は考察する。
 まあ、日本で言えば江戸時代初期の頃の時代なので、現代のわれわれがその考察を読むと、苦笑してしまうような部分が多い。とても現代の中学校や高校の科学の教科書に、デカルトの記述は採用できない(笑)。なので、世界論の詳細は省力する。しかし、この「世界論」の意義は、書かれている内容が「正しいか」「正しくないか」にあるのでがなくて、デカルトが世の事象を合理的に説明しようとした点にある。

現代に生きる我々とデカルトの哲学の適用について

 先日、小学生の娘と朝のラジオ体操の帰り道にこんな話をした。「パパの見ている色と、私が見ている色は同じとは限らないんだよね?」。そう、同じ色に見えているかを証明するのは、とても難しいことです。哲学者の昔からの問いと同じです。僕も娘も、トマトは赤いと言う。しかし、娘が「赤」と認識している色は、僕の認識では(娘の基準において)「青」かもしれない。しかし、昔からその色をお互い「赤」と呼んでいるので、何の不都合も混乱もなく日々の生活をおくれている。その会話の後で、「証明はできないけれど、多分同じ風に見えていると思うよ」と言う意見で一致した。根拠や証拠はない。
 これは一例だけど、人生において色々と悩み考え、時には「当たり前」と思っていることを疑ってみるのも良い。特に、人格を形成で重要なターニングポイントである思春期には。その中で、「論理的に考えて、これは正しいんじゃないか?」「こっちは、どう考えても間違っているんじゃないの?」と言う答を、自分で徐々に見出していくのじゃないだろうか。自分で考えてみる。その過程を経ずに成長した人は、周りの溢れる情報や多数意見に安易に流されてしまうようになってしまうと思う。それは、ガリレイを糾弾した思考停止の当時の多数の人々と同じ姿である。
 例えば、僕はデカルトの本を読んで、自分の頭で解釈して、自分なりの考えをここにまとめている。哲学を学んでいる人に、「ここで書いているデカルトの解釈は間違っている!」と言われたとしても、自分が納得しない限りは訂正しないだろう。自分の頭で考えると言うことは、そう言うことである。

クリスチャンである私とデカルトの哲学の関連について

 デカルトは、哲学の中心を「自己」においた。周囲のすべての物は疑いえる。実際に、人は目の錯覚や詭弁により容易に騙されてしまう。古代の多くの人は、星は小さく輝くから、見たまま小さな大きさと考えた。中世までの多くの人々は、太陽や月や星が登ったり沈んだりするから、地球は動かず天体が回転していると考えた。ガリレオ・ガリレオは、地動説を主張して「有罪」とされた。デカルトは、そう言う時代を見てきた人だ。周囲のものは「全て疑いうる」と仮定しても、「今こうして疑っている自分は、確かにここに存在するよね?これは、もう最低限疑わなくても良いことだよね?」と言う結論を導き出し、「自己」を中心においたのである。
 上記でも述べたが、デカルトは「無神論者」とか「ペラギウス主義」などの批判を受けた。カントは、(自分自身も含めて)人間は間違うし、歴史において実際に多くの間違いをおかしてきたことを認識している。彼の言う「自己を中心におく」と言う哲学は、イコール「人間は完璧、完全であるから」と言う理屈ではない。このページで度々書いているように、むしろ「人間は間違う」と言うことを前提にしている。人は間違うのだけれども、内側に完全を志向する性質を保持している。不完全な人間が、何故「無限で完全な存在」と言う考えを持てるのか?それは、人間が完全だからなのではない。完全で無限で永遠の神が存在するから、我々が有する概念にそれが含まれるのである。どの民族も神を持つが、それは元々人のうちに完全・無限・永遠の神を志向する基礎があるからである(人間以外の動物には認められないことである)。「ここから神は存在することが結論づけらる」とデカルトは説く。「我々は自分自身によってでなく、神によって作られたのであり、それゆえに神は存在する」、「我々の存在が持続すると言うことだけで、神の存在を証明するのに十分である」と言う事。
 同様に、「この世のすべてのものは神によって予定されている」と説き、一方で「(人間の)意志の自由は自明である」として人間は自由に自分の意思で動くと説く。「神により運命が決まっているのに、人間は自由意志で生きるなんて矛盾じゃないの?」と言う議論が昔からあるが、デカルトはそれを矛盾とは考えない。人間は有限だが、神は無限であり、人間は神を(理性だけでは)十分に把握できないのである。
 こう書くと、まるで哲学と言うよりは神学にも読めてしまうが、両者には決定的な違いがある。「"聖書"は、神についてこう語っている、人の救いにはこう語っている」と言う"信仰者"の立場からではなく、"人間の理性"つまり"自己"から「神は認識できるのか?証明できるのか?」をデカルトは説いている。旧来の「確かな聖書」の信仰の立場からじゃなくて、「存在が確かである自己」の立場から証明しようと転換した訳である。(私の価値観のベースをここで書いておくが、神は人間の証明を必要としない。人間が認めようが認めまいが、創世記にあるように「わたしはある」と言う存在なのである)。
 ここからはやや余談になるが、「自己の存在は確か」であるとしても、自己そのものは(デカルト自身が言うように)「間違う」可能性も大きいのである。実際、デカルトは(読むとよく分かるが)著述の中で、現代人なら普通に知っているような事柄をけっこう間違えている(と言うか当時の理解の範囲を超えていた)。まあ、16~17世紀と言う時代の制約上(※日本は江戸時代)、仕方ない面もあるのだが。以前、この哲学のコーナーで取り上げた"ニーチェ"も完全に間違っちゃってる人間の代表例だと僕は考えている。デカルト生誕の2世紀半後に生まれた勘違い男ニーチェは「俺様、天才!俺様、完全!」と言う思い込みの下、哲学していった訳だが、「自己の存在が確かである事」と「自己が完全である事」は、全くの別物であると言うこと。「自分は完全である!」と思い込んだ間違った自己は、他者を排斥し、遂には他者や自分をも破滅させる。テロリストが「自分の思想も行動も絶対正しい」と言う狂信の下、多数の人質を取って次々に殺していくのと似ている。デカルトの哲学を読んで、そんな事を感じた。

(2016年 8月26日記載)


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