クリスチャンのための哲学講座

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4.万学の祖/アリストテレス

 プラトンがソクラテスの弟子だったように、アリストテレスはプラトンの弟子である。ただ師プラトンと異なっていたのは、師プラトンがソクラテスの問いに答えを見つけようとしたのに対し、アリストテレスはやがて師プラトンのイデア説と対立する考えを提唱する。哲学・数学・自然学・論理学・政治学などの幅広い研究を行い、種々学問を体系づける。古代ギリシャ哲学全体が、アリストテレスの巨大な影に覆われている、と言っても良いかもしれない。このアリストテレスの哲学とは、どのようなものだったのだろうか?
 まずは、アリストテレスの人生を簡潔に振り返ってみよう。アリストテレスは、ソクラテスの死後15年ほど経った紀元前384年に、北方マケドニア地方のカルキディア半島のスタゲイロスと言う町に生まれた。父ニコマスはマケドニア宮廷に仕える医者だったが、こうした環境はアリストテレスに影響を与えていると考えられる。17歳でアテナイに上京し、プラトンの開いたアカデメイアに入学した。この時、プラトンは既に60歳。アリストテレスは、ここで20年ほど過ごす。アリストテレスが37歳の時に、プラトンが80歳で亡くなる。アカデメイアは、プラトンの甥であるスペウシッポスが第二代学頭として後継者となった。アリストテレスは、(後に3代学頭となる)友人かつ弟子のテオフラストスの故郷レスボス島に移住し、生物学の研究に取り組む。
 その後、故郷マケドニアのフィリッポス王に招かれて13歳の皇太子(後のアレクサンドロス大王!)の家庭教師に就任し、3年間教授した。カイロネイアの戦いに勝利したマケドニアは全ギリシャの覇権を確立したが、フィリッポス王が暗殺されるとアレクサンドロスが20歳で即位した。このアレクサンドロス大王が、オリエント世界全体を含む世界帝国を建設し、ギリシャが世界を席巻する新しいヘレニズム時代の幕を開けるのである。アリストテレスはアテナイに戻り、マケドニア宮廷の支援の下、紀元前335年、町の東郊外に学園リュケイオンを創設した。アリストテレス自身はあまり話しが上手くなく、そのために綿密な講義草稿を準備した。これが、今日のアリストテレスの著作の大部分として今日に伝えられることになる。
 アレクサンドロス大王が東方遠征中に急死すると、アテナイの町では激しい反マケドニア暴動が起こった。身の危険を察知したアリストテレスは、学園を弟子の(前述の)テオフラストスに委ねて、自らはエウボイア島のカルキスに亡命する。紀元前322年没。
 このように、アリストテレスの生涯は、アカデメイアでの20年に及ぶ修行時代、アレクサンドロスの家庭教師時代も含むギリシャ各地の遍歴時代、リュケイオンでの学頭としての教育&研究時代の3つに分けられる。よって、アリストテレスの哲学を一枚岩のように考えるのではなく、若き日の修行時代から晩年時代の境地に至るまでの、その成長をの跡を辿るようなアリストテレス考察が正しいのかもしれない。

 残念ながら、共和政ローマ時代に親しまれていた優雅な文体のアリストテレスの著作の多くは失われていて、学園の学徒向けに書かれた講義草稿を基にした難解な著作集の方が現在に伝えられている。そんな訳で、アリストテレスの哲学は難解だと思われている。アリストテレスの著作とその学問体系は多岐にわたり、哲学者でもない僕のような凡人にはとうてい読み得ないし、理解し得ない。
 
論理学には、「カテゴリー論」「命題論」「分析論前書」「分析論後書」「トピカ」「ソフィスト的論駁」、理論学の自然学には、「自然学」「天空論」「気象論」「生成消滅論」「霊魂論」「自然学小論集」「動物誌」「動物部分論」「動物発生論」「動物運動論」「動物歩行論」「小品集」「問題集」、同じく理論学の数学(ただし著作は現存しない)、神学の「形而上学」。また実践学としての行為学に「ニコマコス倫理学」「エウデモス倫理学」「大道徳学」「政治学」「家政学」、同実践学の制作学に「弁論術」「詩学・文芸創作論」…と言う風に、幅広い広がりがある(※ただし未完の作や後代の偽作も存在する)。正に「万学の祖」と言われるに相応しい体系構造である。また、叙事詩や箴言風の文体ではなく、論文に近い体裁の著作は古代ギリシャの哲学史上、アリストテレスによって初めて本格的な形をとった(※例えば、タレスやソクラテスはそもそも著作を残さなかったし、プラトンは対話篇と言う特異な戯曲形式を使ったし、ピタゴラス派の奥義は教団内部の秘密だった)。

※これだけ多くの学説があるが、現代の学問的水準からすると、誤謬だらけである。特に、自然学理論においては、彼の学説はまったく過去のものである(例えば、天動説に基づいた天文学や生物の自然発生説は、その典型的なものである。)。しかし、アリストテレスが今も尚優れた学者として認知されているのは、その時代の限られた観測技術・方法を用いて理論を組み立てていった、着眼点や洞察のその思考の道筋が優れているからである。顕微鏡も望遠鏡も無い時代に、自然を観察して、例え自分の説に合わない事象であっても、観察結果の方を優先した。旧来の思弁的独善ではなく、彼はあくまでも観察事実に忠実な経験主義を貫いた。

 アリストテレスは、人間の思考が働く場面を「作る」「行う」「見る」の3つに区分し、学問も3つに分類した。彼は、
「理論学」と人間の行為に関わる「実践学」を区別し、理論学は「自然学」「数学」「神学」に分類し、実践学には「倫理学」「政治学」がある。アリストテレスは、それらの学問分類に先立つ分野として「論理学」を、多くの学問に共通する道具(オルガノン)と位置づけた。
 実践学は、人間の行為や社会現象を扱うので、数学のような厳密性は得られず、経験的なものが重きをおかれ大雑把な認識が得られれば十分とした。アリストテレスの学問分類は、対象の特質に応じて認識の厳密さを変えている。アリストテレスのこの学問観は、その後微妙な変型を蒙りながらもストア派やエピクロス派にも継承される(※現代の我々の社会も理系・文系の区別がされているが、このような分類はアリストテレスにまで遡るのである)。
 アリストテレスの哲学の中で、最も特徴敵なのは徹底した"方法論"の意識である。観察事実、常識、学説を拾い上げ、分析しながら、絶えず論述の順序や考察の限界に留意する。場合によっては、独自の造語も作り出すのだ。こうした叙述は、学問的な探求が踏まえるべき手続きをきちんと示している。
 以上のように、アリストテレスの学問を全てにわたってここで論じるのは無理なので、主要(と思われる)な論点をいくつか取り上げる。まずは「第一の哲学」と呼ばれる問題(※形而上学にて取り扱う論考)。感覚の対象となり、運動変化の相にある
「自然」を対象とする問題の論及は「第二の哲学」と呼び、それよりももっと普遍的な学問を「第一の哲学」として構想して、「第二の哲学」と区別している。
 "すべての"人間が、"知"を求める。動物は"感覚"(※五感の中の触覚)を備えたものとして生まれ、植物は"栄養"機能(※新陳代謝と物質交替により自己を維持する)と"生殖"機能(※同じ種を生産する)を本質とする。人間の場合は、動物の持つ感覚から記憶が生まれ、記憶を基にして経験を獲得する。更に、技術や知識をも駆使して生活環境を変化させながら生きていく。これが人間である。技術は経験から発生し(例えば楽器の演奏の練習、外国語の習得etc.)、経験を欠けば技術は役に立たないかもしれない。しかし、経験が豊富な人よりも、技術知を心得ている者の方を、我々は「知恵ある者」と考える。なぜならば、"技術"は事柄の根本を教えるが、"経験"しその理由を教えないからである。「訳(※根拠や原因)が分かる」ことによって、他人の自らの知見を伝達する事ができるのである。アリストテレスは、このようにして、学問・知識・技術が成り立つ場面を狭く明確にとらえようとしている。
 こうした知識観には、重要な問題点がある。第一に、
学問や技術は"個別"ではなく"普遍(カトルー)"に関して成立する。「この薬はあの人には効いたが、この人には効かなかった」と言う経験ではなく、「このような体質には、この薬が効く」と言う普遍的な法則を把握することが、学問や技術なのである。そして、この普遍を把握するために、統計や確率の手法が取り入れられるのである(※例えば天気予報なんかもその一つ)。毎年1万人が交通事故で亡くなったとすれば、来年もそのぐらいの人が亡くなると全体的な傾向の推測はできるが、しかし、「明日、私が交通事故に遭うかどうか」と言う一回限りの個別の出来事の推測は立てられない。それは、胡散臭い占いの領域の話である。第二に、言葉にできないものは知っているとは言えないと言う見方。何故なら、学問や技術はすべて論証と説明の体系を持っているからである。一方で、自転車の乗り方などは、知識ではなく経験を通して得たものであり、本人が体を動かすことでしか体得できない「分かっているが説明できない知識」である(※習うより慣れろ)。彼は、このように"技術・学問"と"経験"を区別した。
 知の追求たるべき"技術、学問"だが、もともとは生活を便利にするための実用目的だった(※例えば生活に必要な技術=実学、もう一つは娯楽の技術)が、実利を離れて自己目的的性格を持った抽象的な学問へと成立した(※例えば数学)。アリストテレスは、これを第三の知識とする。こうした学問が生まれるには、「生活の余裕(スコレー)が無ければならない」(スコレーは、スコラ(学校、哲学)、スクールなどの語源)と考えた。日常生活の時間を、誰のためでもなく自分自身のために用い、自分の目標を実現していくための時間、これがアリストテレスのスコレーであ、自由人の証である。つまり、彼が言いたいのは、人間は自分を取り巻く世界の諸現象がいかに成立しているのか、その根拠・原因を尋ねずにはいられない存在であること、そう言う人間観=知識観を持っていたのである。
 アリストテレスが考える、学問本来の原因探求が目指すべき究極の根拠は何か。かれは、それを4つの類型に収束させる。第一は
「質量因」=何でできているのか、第二は「形相因」=それは一体何であるか=本質、第三は「始動因」=それが何によって生まれているか、第四は「目的因」=何を目指して生み出されたのか。これらを「四原因論」と呼ぶ。例えば、茶色の机があれば、質量因は"木材"であり、形相因は"茶色の"ではなく"机"が本質であり、始動因は"職人"であり、目的因は家具としての用途…と言うことになる。。 さて、「それがいったい何であるか」はその物の本質である。コップの本質は、木製とか金属製とかプラスチック製とか、白いとか黒いとかには何の関係も無い。凹みに液体を入れておけることがコップの本質である。タイヤは丸くなければ転がらない。そのように物の本質は、形・形態を媒介にして重なっているのである。このように、アリストテレスは事物を一般に"形相(エイドス)"と"質量(ヒュレー)"の両面から二元的に把握しようとする視点をもっていた。彼によれば、形相と質量からなる個物が「実体(ウーシア)」である(ウーシアについて後で詳述)。
 机やコップは人工物だが、アリストテレスは「自然とは何か」を論ずる。自然は、人工や不自然と対をなすが、自然の実在をわざわざ証明するのは意味が無い。自然と人工の区別は、人間の世界認識で前提となるもので、日常ですでに了解されている最も基本的な枠組である。アリストテレスによれば、自然は現象を説明するための根拠である。自然は、"事実概念"であり、"方法概念"でもある。
 「自然によって存在するもの」は、動植物や土、火、水、空気などの元素を意味し、「自分のうちに運動変化と静止の出発点・原理(アルケー)を持っている」点で人工品とは異なる。例えば、机は職人の手が入って初めて完成するが、病人は医者が薬を処方するにしても病気が治るのは体に備わっている治癒力である。人工物とちがって、始動因が初めから備わっているのである。花の種も卵にしても同様である。そして、卵も花の種もその向かうべき目標(終着点)が、初めから定められている。生育は、自己実現をした時点で静止する。また、すべての生物は同種の子孫を複製して後に残す。翻って、人工物は時間の経過と共に秩序は解体して、自ら再生することはない。自然は運動変化しながらも、全体として見れば絶えず同一の秩序を反復再生する円環、サークルをなしている。

 アリストテレスの第二の哲学についてざっと見たが、次に第一の哲学について。先述したように、ありとあらゆる「存在するもの」を正にその存在するものとしての限りに考察する普遍的学問を、アリストテレスは構想している。究極的には"神"を対象とする「神学」とも言える(※「形而上学(メタフィシカ)」は、この困難な試みである第一の哲学に関する論考)。「存在」の問題を取り扱うにあたり、アリストテレスが提起した重要な概念は"カテゴリー(範疇)"と言う考え方である。例えば、「僕の幅1メートルの白く軽い机」があるとする。これらは、「分量」や「所有」、「実体」などいくつかのカテゴリーに分けられる。カテゴリーは複数(※10とも言われる)あるが、重要なのは"実体"とそれ以外のカテゴリーとの区別である。実体とは、それについて語るのに他の前提を必要としない「それ自体として存在する」と言えるものである(=
ヒュポケイメノン=もとに置かれている物の意味)。赤いリンゴが5つ欲しいとする。八百屋で「赤いのください」では何の事か分からない。トマトだって赤い。「5つください」では、何が5つ欲しいか分からない。常識で考えれば、「リンゴを」と言うかリンゴを指差して「赤いの5つください」と言う順序でなければ買い物はできない。順番は、この逆ではない。リンゴが、この"ヒュポケイメノン"である。そのような安定した物の世界を物として成立させている構造が、"実体(ウーシア)"である。アリストテレスは、さらに"実体とは何か"と言う探求を行う。実体を規定する候補を4つ(本質、普遍、類、基体)挙げ、それについての分析を加えていったのである。

 次に、アリストテレスの実践哲学の方法論としての倫理学(エートス/エシックス(倫理)の語源)を論考する。第一に、人間の行為はすべて個別的である。個別性に伴う揺らぎ・不確定性の意味を見据える必要がある。なので、第二に人間的な事柄の研究に当たっては過剰な厳密さは期待できない。大雑把な傾向や法則性が理解されれば、良しとしなければならない。直角を求める仕方は、数学者と家具職人では同じではない。この両者を混同するのは、そもそも「教養」が欠けているのである。そして第三に、実践は「善い人は何であるか」を知るのみならず、善い人に"なる"ことを目指すのである。
 もう一つ大切なのは、彼の倫理学は、政治学と密接不可分な関係の点である。人々は神々や動物と違って単独では生存し得ないので、生活の必要に応じて様々な規模の社会共同体が生み出されてくる(家→村→ポリス=都市国家)。「倫理学」においては、人間にとっての善、つまり幸福とは何かなどの諸問題が究明されるが、これらが解明されるだけでは十分ではなく、こうした人間の善や幸福を実現可能にするポリスの条件が問われなれればならないのである。善い国家、悪い国家とは何を指すのか、国民の条件とは何か、ポリスでの教育はいかにされるべきか、などなど(※これらが「政治学」で問われる。この倫理学が、後に続くストア派、エピクロス派、懐疑主義などのヘレニズム諸学派と違うのは、それらが政治学を欠いている点である)。
 さて、人間の行為、生活の究極目的(最高善)は何か?たいていの人は、"幸福"で一致する。しかし、幸福の中身まで一緒とは限らない。「健康」、「財産」、「名誉」etc.…。アリストテレスは、改めて人間の自然本性に即した考察を展開する。人間の固有の機能としては、ロゴス(分別、理性)を持つ部分のあり方が問題になる。こうした部分の有する卓越性こそが、人間の善悪に関して決定的な意味を持つ。それが実際に活動している場合に、人間固有の善が生まれ、それが幸福を意味するとアリストテレスは考えた。この二つの要素が、幸福を問題にする際の指針とした。彼は、人間にとっての幸福をこうした観想の生活に見出した。人間には、知的な活動の傾向が自然本性的に備わっているのであり、人間的な幸福は突き詰めれば「神の生」を生きることで、初めて完成に至る。各自が好む行為や活動に時間を忘れて没頭することで、深い充足と喜びに満たされ、そのことで有限の生を生きる人間は、単なる自然的な制約を超えて神々の生に至る道が開けてくる。このようにアリストテレスの第一の哲学と倫理学はつながっているのである。
 アリストテレスにとっての幸福は神の生活に近づく事だが、彼にとって神は天体の運行の原因である。神は自分以外の何者にも煩わされることがない、ひたすら思索にふける完全な理性的存在である。天体は神に憧れて動くもの。従って神は自ら動くことなく他を動かすもの、「不動の動者」であるとした。人間の幸福には、欲望の満足や快楽を追求する「享楽的生活」や名誉と正義を追及する「政治的生活」があるが、アリストテレスは、この真理を探究し神の生活に近づく「観想的生活」が最も幸福な生活であると考えたのである。

 さて、アリストテレスの哲学のほんの一部を覗いただけだが、彼の哲学の一端には足を踏み入れたと思う。


現代に生きる我々とアリストテレスの哲学の適用について

 アリストテレスの学問は、現在に至るまで色んな影響を与えている。前述のように、アリストテレスは物の"本質"や"実体"とは何かについて我々の前に示そうとしたが、そのために彼が用いた概念・方法論が"カテゴリー"と言う考え方である。現代に生きる我々も、意識せずに色んな事象をカテゴライズしている。例えば、このHPのメニューは分野別にカテゴライズしているし、各項目、例えば車のコーナーでは"スポーツカー"と"小型大衆車"を区分けしてるのもカテゴライズの一つである。また前述しているように、世の学問を理系と文系に分けているのも、このアリストテレスの学問的方法論にルーツがある。
 また、言葉では伝えられない"経験"と、学問的な"知識"の違いを明確に区別したのもアリストテレスである。例えば、野球のバッティングの理論は事細かにある。コーチや解説者は、それを言葉で明確に伝えられなければならない。しかし、選手が実際にボールを打ってホームランにするには頭で理解しただけでは駄目で、何度も反復練習し体で覚えこまなければならない。このように、言葉で伝える"知識(学問や技術)"と体で体得する"経験"は異なることを示したのである。
 アリストテレスの哲学は難しいと考えられているが、我々の意志とは関係なく、既にアリストテレス(の学問)の影響を色んなところで受けていると考えることができる。


クリスチャンである私とアリストテレス哲学の関連について

 アリストテレスの哲学や学問観はその後のストア派やエピクロス派に引き継がれるが、聖書にもこれら哲学との関わりが描かれている。新約聖書の使徒言行録にその記述がある。初代教会のパウロが、2回目の宣教(伝道)旅行でアテネに行ったときのことである。パウロは、アテネの町中の至る所に偶像があるのを見て憤慨した。それで会堂ではユダヤ人たちと論じ合い、町中では居合わせた人々と論じ合った。その中にエピクロス派やストア派の哲学者たちも幾人かいて、パウロにこう言った
"「あなたが説いているこの新しい教えがどんなものか、知らせてもらえないか。奇妙なことをわたしたちに聞かせているが、それがどんな意味か知りたいのだ」。すべてのアテネ人やそこで在留する外国人は、何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていたのである"(※新共同訳聖書より)、と書かれている。するりと読み飛ばしてしまいそうだが、これはアリストテレスが観想の生活"を第一としていたことに一致する。"生活の余裕(スコレー)"を持ち、そして"知的活動"を第一とするアリストテレス的生活は、「何か新しいことを話したり聞いたりすることだけで、時を過ごしていたのである」と言う聖書の記述と一致する。
 一方のパウロは心では偶像に憤慨していた訳だが、何とかアテネの人々に福音を伝えたいと言う思いから、なるべく彼らの哲学や宗教の論理を利用しながらも、福音を述べ伝えようと努力する。結果は、
"ある者はあざ笑い、ある者は、「それについては、いずれまた聞かせてもらうことにしよう」と言った"…である。この言葉は、日本の政治家の「前向きに検討します」と一緒で、初めから二度と聞く気のないと言う意志の発言である。ギリシャ人たちは、彼らから見れば外国人であり異邦人であるパウロを、初めから完全に上から目線で見ていて、聞くだけ聞いた後に軽く彼をあしらっているのである。つまり、ここで登場しているアテネの哲学者達は、自分達の方ががより学問的に上級で、信仰に関してもより深く思索をしていると考えている。ギリシャの哲学がソクラテス以来の長い伝統を持っていると言う歴史背景、ギリシャの文化の方が他の異教の文化よりも秀でていると言うギリシャ人の意識も無視できないだろう(※この思考や態度は、正にキリスト教徒を迫害していた頃のパウロの姿である)。
 ここに重大な問題が潜んでいる。知的な活動や生活を否定する人は、そうはいないだろう。僕も否定しないし、むしろ知的活動は好きだ(※こんな"めんどい"文章を書いているくらいだから)。しかし、ここでの論点はそこではないのである。"人間の力"と"神の力"、どちらを人生の中心に置くかと言う論点なのである。アリストテレスの最上の幸福は"人間の知"の追求であり、神に近づき、神の真似をし、神の生活を送ることである。一方、聖書はそう教えない。人間の力では、決して神になれないし神に近づくこともできない。人間には罪があり、神に近づくには神の独り子であるイエス・キリストの救いを受け入れる以外の道は無い。
アリストテレスにおいては人間の力と努力の延長上に神があり、聖書においては人間と神の間には自らの力で渡る事のできない大きな断絶があるのである。"ストア派やエピクロス派らの哲学"と"パウロの伝えた福音"は、決定的な衝突を免れ得ないである。ギリシャ哲学にとって、聖書の語る"隅のかしら石"は、決定的な"躓きの石"となる。「どこか中間点で妥協しましょう」と言うように、あやふやにできる問題ではないのである。これはアリストテレスの学問的方法論が、現代の我々に益であるのとは別問題であり、正に"人間が何によって幸福を得るのか""何を至高の幸福とするのか"と言う"究極の問い"なのである。新約聖書のコリントの信徒への手紙(第一)には、人間の知恵・力を絶対視する愚かさを次のように言及している。
「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする。」知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教と言う愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、わたしたちは、十字架につけられたキリストを述べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤであろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを述べ伝えているのです。神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです」。
 また、同じく聖書のローマの信徒への手紙には、知恵があると誇りながら実は愚かな人間の真理を妨げる不信心と不義について次のように語っている。
「不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らにも明らかだからです。神がそれを示されたのです。世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。(中略)自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。」
 アテネの哲学者達はパウロの福音を一笑に賦したが、
"しかし、彼について行って信仰に入った者も、何人かいた"(聖書)…と書かれている。日本は、数多くの哲学や宗教が氾濫する、正に"思想の見本市"のような国である。そのような国で生きる1%にも満たないクリスチャンは、パウロの姿勢がとても参考になると思う。

(2010年 8月29日記載)


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